るうてる2012年4月号
説教「新しくされたあなたに、おめでとう!」
兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。コリントの信徒への手紙一 15章1~5節
イースターおめでとうございます。こちらブラジルでは、イースター(復活祭)を、「パスコア(Pascoa)」と言います。チョコレート製の「オーボ・デ・パスコア(イースターエッグ)」がスーパーで鈴なりにぶら下げられて売られています。5cm位から30 cmのもので、割ると中にもチョコがたくさん入っていて、二重の喜びを味わうことができます。
死んだ石ころのような冷たい殻を破って愛くるしいひよこが生まれ出てくるように、キリストの死の悲しみを蹴破り、新しい命が出てくることをお祝いします。
ブラジルではカルナバルの大騒ぎが終わって、四旬節の慎ましい期間が始まります。お肉の売り上げが落ち、バカリャウ(鱈の塩漬けの干物)が積み上げられ売られます。この期間、お肉やお酒をいただかないで、日常を悔い改めるという方々にも出会います。街の通りでは、クワレズマ(ポルトガル語で「四旬節」の意)の並木が、みごとな紫色の花を咲かせます。神様も、この季節にこの色の花を咲かせ、心静かな悔い改めという準備を迫っておられます。
私達はどんな準備、どんな神様との対話を日々しているでしょうか?
私はブラジルに遣わされて3年になります。今までと違った体験や祈りをさせられます。机の上の話し合いや書類、予算書だけではなくて、祈りながら体当たりをしなければ渡れない川辺に今まで以上に立たされるように思います。静かに考え、祈るようにさせられました。教会のことでも、人生でも、話し合いで結論を出すことや議論で勝つことではなくて、困難でも神様のみ心があるなら、取り組み、祈り、ひたすら待つことを教えらました。眠れないような不安や絶望の、もう一つ向こうで神様に出会うことができるように思います。新しい地で、新しいことに取り組み、自分に足りないことを教えてくださる神様に感謝します。
困難に出会う時、自分の小ささを思い知らされます。しかし、そこでどう思うかで、結果は違います。「ああだめだ、いつもこうだ」とふさぎ込むか、信仰と希望を持って進むかです。ただ頑張ることは限界があります。絶望するけれど、安心するということが大切です。「キリストが私達のために十字架に掛かり、復活してくださったから」という聖書の言葉と、「あの時もそうだったから、今度も神様が動かしてくれるはず」という自分の神様との体験がそうさせてくれるのです。不思議な安心感です。その福音の言葉を私達は受け入れ、「生活のよりどころにする」ことが、道を切り開くのです。
あなたは、どんな事柄を抱え、どんな祈りを持っていますか?
今年の初めに、ブラジルの有名な「弓場農場」を訪ねました。もとはキリスト教中心の自給自足の農業共同生活を続けている、日系社会です。そこで、多くを感じました。
食料もほぼ自給自足で、家具やお茶碗なども作っています。私も、お茶碗やコーヒーカップを買い求めてきました。釜の隣の部屋の棚から、出来るだけ綺麗で、形や高さの整ったものを選びました。しかし、最後まで気になるカップがありました。棚の下にまとめておいてあった、曲がったカップたちです。私は最後にそれも一つ買ってきました。
毎朝、朝食でそのコーヒーカップを使うことにしました。朝の忙しいひとときですが、それでコーヒーを飲み、自分の足りなさや不完全さを思う時間になります。「神から見れば、罪人の私達は曲がった失敗作かも知れない。自分も弱いところ、曲がったところ、とがったところがある。でも赦され、生かされている。用いられている」と、食事をしながら瞑想できるのです。心の中で静かに祈って始める一日。そこに新しい一日、新しい自分の命があると思うのです。
皆さんもそんな朝を始めませんか? 復活のキリストに出会い、新しいいのちに与る生活を始められるでしょう。神様からの多くの祝福を見ることができるでしょう。
復活祭、おめでとうございます。そして、新しくされたあなたに、おめでとうございます。
ブラジル/サンパウロ教会 徳弘浩隆
宗教改革五〇〇周年に向けて(1)
歴史には重い意味を持った年月日がある。
一五一七年一〇月三一日もそうした日に当たる。ルターがヴィッテンベルクの城教会の扉に、通称『九五箇条の提題』を掲示した日だからである。そこから、いわゆる一六世紀宗教改革が始まった。
二〇一七年と言えばほんの五年先だが、その年は「宗教改革五〇〇周年」の年に当たっている。それでは、ルーテル教会は、またカトリック教会はその日をどのように迎えようとしているのだろうか。
結論を先取りして言えば、ルーテル世界連盟とヴァティカンは、その日を共同で記念する計画を立てている。一〇月三一日にはおそらく、『九五箇条』が貼り出された城教会で、両教会による合同の礼拝が行われるだろう。 日本福音ルーテル教会も五〇〇周年を記念するための準備委員会を立ち上げた。日本でもカトリック教会と合同の記念行事が行われることが期待されている。
時代は変わったし、変わり続けている。だから、宗教改革とその中心人物ルターの意義が、この機会に改めて問われねばならない。この連載がその一助になればと思っている。
ルター研究所 所長 鈴木 浩
牧師の声
「希望」を証しする者として
乾 和雄
こんにちは。神戸東教会の牧師とされた乾です。主が若き日に内海季秋先生との出会いを与えて下さり、神戸と東京の二つの神学校を経て、今このように、六五歳の私を福音宣教者として招き、召し出してくださったことを心から感謝したいのです。私たちのこの世での命は神さまからの預りものです。与えられたこの命を神さまに精一杯用いていただきたいのです。これからの宣教の場におきまして、主が豊かに用いてくださると信じております。
一五二七年ヴィッテンベルクにもペストが大流行し、多くの人々が町を去ったにもかかわらずM・ルターは牧師として町に留まり続け、人々を慰め励ましました。主の召しの確信に堅く立ち、「この世と来るべき世での命を約束」(一テモテ四章八)してくださり、生きて働いておられる救い主イエスさまにのみ、まことの希望があることを、さらに多くの方々に、生き生きと証しをさせていただく者でありたいと、心から願っております。
「主が備えてくださる」
竹田大地
主の御名を賛美いたします。
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」という箴言の御ことばが神様の真理であると思います。私自身、本当に神様の計画の偉大さを感じずにはいられないからです。 神様から召しを受ける前は、「絶対に牧師にはならないと」息巻いていた私が、まんまと牧師になったわけですし、私のことを幼少の頃よりご存じの方々にとっては驚きに満たされていることであると思います。
しかし、この私自身を神は立ててくださいました。本当に欠け多い私ですが、神への畏れと感謝を持ってこれから歩んでいきたいと思います。
その一歩一歩を神様は、備えてくださっています。その大きな恵みを受けつつ歩める喜びに満たされていますし、そのことを信じて生きていきたいと思います。
神様を頭として、そして、皆様と共に福音宣教に励んでいきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。皆様の上に豊かな恵みがありますように。
日系ルーテル・サンパウロ教会を訪問して
間瀬園恵(藤が丘教会)
大袋のだし昆布やバザー用の衣類を一杯に詰め込んだ大型トランク三個を引きながら、サンパウロの空港に到着したのは、京都のマンションを出てから36時間後のことでした。残暑の厳しい京都とは一変して、まだ肌寒い春先の空港には、長袖姿の徳弘牧師夫妻がにこやかに出迎えてくれていました。
1965年に、初代宣教師の藤井牧師が設立された教会は取り壊されて、今はカトリック教会の駐車場の一角になっており、次の教会跡地も大きな商業複合ビル建設地に呑みこまれていました。現在の日系ルーテル・サンパウロ教会は東洋人街の突き当たりにあって、看護大学や予備校、商店や食堂の集まる、賑やかで明るい場所にありました。地下鉄駅にもバス停にも近くて便利で、おまけに、数分歩いた先の日伯文化協会にはブラジル日本移民史料館があり、一世、二世の方々のご苦労を写真や展示品を通して偲ぶことができました。さらに、その辺りには青森、新潟、広島、富山、佐賀等の県人会の建物があり、日系人の寄せる「故郷への思い」をつぶさに感じさせられました。その界隈には、驚いたことに、BSGI(ブラジル創価学会インターナショナル)の巨大なビルがあり、「学会長詣で」の大型バスがその前の道路を行き来していました。
お目当てのルーテル教会は薄茶のレンガ調の二階家で、二階が牧師館、一階が学生寮として仕切られていました。自立教会を目指して、まずは運用資金の調達のためにと、中央に大理石の階段のある大きな古家を手に入れて大改造し、一五の個室を作って入寮生を集めたということです。安くて清潔だというので人気があり、向こう数ヶ月は予約満杯だということでした。しかし、経費の節約のためにガスではなく電気だけに頼っているのでシャワーの出が弱く、また、トイレに流す水も、水道水の節約のために雨水を溜めて流すという、並々ならぬ工夫がしてありました。サンパウロでは、驚いたことに、美術館でもホテルでも、トイレに紙が流せません。「ウォシュレット」のトイレというものは、並の生活では無縁のもの(超一流はわからないが)と聞かされて驚嘆しました。寮の学生さんたちは当番をきめて掃除をしていました。学生さんの相談相手と事務管理には、すぐ近所に住んでいる教会員のしっかり母さん、日系二世の君江さんが奉仕しておられました。
建物の右側通路の奥に礼拝堂があり、そこに続く白い壁にはスペイン風に花器がかけられて、彩を添えていました。その入口の光採りの屋根は長く突き出ていて、その場所にイスとテーブルを並べては、礼拝後の昼食会や交流会をしていました。ちょうどバザーの前でもあったので、そこでバザー用品に値づけをし、そこをバザー用品の置き場に使っていました。毎年日本から送られてくる「北海道ルーテル昆布」は目玉商品であり、また日本からの古着も、すぐにほどけてしまって着づらくなるブラジルのものとは違うということで人気があり、日本の教会から送られてくるバザー用の、特に女性衣類は喜ばれていました。(続)
九州教区礼拝と音楽の学び
九州教区では、毎年2月11日に「礼拝と音楽の学び」を行っています。もともと奏楽者講習会としてはじめられたプログラムでしたが、奏楽者だけでなく、ひろく牧師や会衆の方々にも参加していただけるように「礼拝と音楽の学び」として対象を広げて開催されてきたものです。この数年は、隔年でパイプオルガンとリードオルガンのそれぞれを用いた礼拝での賛美について、各地の教会をまわりながら学びを深めてきました。
今年は、昨年パイプオルガンを新設した健軍教会での講習会に、教区各地から約60名が集まりました。午前中、前田貞一先生から「ルーテル その後、松波姉の指導で、ルターのコラールを学ぶワークショップが行われました。教会賛美歌に収められたルターの手によるコラールを10曲。こちらも賛美歌の楽譜にしばられるのではなく、会衆が賛美しやすいように自分も歌いながら、会衆をリードしていく、といった奏楽者の心構えについて。また、その賛美歌が作曲された背景や、ルターがその曲に託した想いなども伺いながら、奏楽者も会衆も、今までよりもっと賛美歌が好きになるような、恵まれたひとときを過ごして、会場を後にしたのでした。
九州教区伝道教育部長 小泉基
林 宏牧師の思い出
定年教師 園田 剛
1954年にルーテル神学校を卒業して牧師への道を踏み出したのは、林 宏 、南里卓志、河田 稔、折田良三、それに私の5名。すでに主の御許へ先立った南里君と河田君に続いて、今度は林牧師が去り、同窓仲間は折田君と私だけになりました。
林牧師を「君」付けで呼ぶには抵抗があります。入学した当初、彼は2学年上に在学中で、故石居正巳先生など、畏れ多い先輩たちのクラスで、私より6歳も年長でした。だから親しみよりも実は「怖い」先輩。きわめて無愛想、強面、よれよれの服、ぼさぼさの髪の毛、泥まみれの破れ靴、そんな芳しくない印象だけが残る先輩でした。
ところが、彼は神学校を中途で飛び出し、2年後に復学して私たちと一緒に卒業する「同窓仲間」になりました。学校を去った理由は、当時の神学校の権威主義への抵抗だったそうです。
けれども、その後の牧会においては、厳しさよりもその内側に秘められた優しさと愛情を感じ取る人が多く、最初の赴任先だった甘木教会での3年間では、20名近い人たちが彼に深く影響され洗礼を受けています。やがて、皆に惜しまれつつ小城教会へ転任し、小城における前期の働きが始まりました。私もその頃隣接したかつての大町教会にいましたので、バイクを駆って何度か行き来し、小城での苦労話を聞かされる親交に恵まれました。
やがて私も九州を離れて、海外留学や豊中教会の在任で、30年近く疎遠になっていました。そして再び身近に接する機会が出来たのは1990年に私が博多教会に赴任して、彼との親交が再開されました。昔のままの強面、無愛想、口の悪さなどは少しも衰えていませんでしたが、幼児教育に寄せる彼の情熱に触れ、内側から滲み出る幼い者への愛情を実感させられて感動した記憶があります。
ついでに思い出すのは「電話魔」だった彼のこと。ある夜明け前の早朝に電話のベルにたたき起こされ、妻が受話器に出ると挨拶抜きにいきなり「剛はおるか」。妻は驚いて、てっきり私の叔父か親戚の者と勘違いしました。迷惑な電話はその後も何度かありましたが、「剛はおるか」と呼び捨てにしてくれる友人が去ってしまい、寂しさが身に迫る思いです。
「林宏君、もうまもなく主の御許で会おうよ」と、「君」付けで呼びかけて、一時のお別れをしたいと思います。
[2012年2月25日逝去]
TNG-YOUTH
ちかごろの全国青年活動
安井宣生
日本福音ルーテル教会の全国的な青年活動のキーワードは「つながり」であるといえます。つながりたいという気持ちが青年達同士のつながりを生み、つながっている喜びがそれぞれの信仰を養います。それは青年活動としては消極的なのものであるかもしれません。しかし、忙しさや生きづらさを抱える若者たちが体を引きずるようにして教会に集う現実の中で、居場所や生きる意味を得ていくために欠かすことのできない要素であると思います。もちろんこの「つながり」には神や教会とのつながりも含まれます。
昨年9月に雪ヶ谷教会と幼稚園を会場に行われた全国青年修養会は、15回目となる会でした。これもまたつながりを欲し、その重要性が引き継がれて来たことの証明でもあるでしょう。 また特に今回は、人と人とのつながりが揺さぶられ、またつながりを断つことまで起きてしまった大地震による津波や原発事故から、自分のこれまでとこれからの生き方を考える機会ともなりました。
3月に行われた春の全国ティーンズキャンプには青年達も多く参加しました。例年、青年達が様々な形で準備と運営を担います。つながりを与えられることの喜びを経験して来た青年達は、今度はかつての自分たちの世代へ、つながりを提供するスタッフの一員として、ティーンズに仕える機会を持つのです。
昨年はルーテル世界連盟が取り組んだLWF-togetherにも参加し、環境問題と聖書をテーマに世界各地の青年達と祈り合うことが生まれました。このようなつながりも青年を育てます。
教派を超えた青年達のつながりにも恵まれています。日本キリスト教協議会のつながりの中で、様々な信仰スタイルや社会との関わり方に出会い、それに刺激を受け、磨かれる機会となっています。
修養会などの特別な機会だけでなく、全国に散らされた青年達がその日常においてつながりを確認し祈り合うためにフェイスブックでの交流が開始されました。 (http://www.facebook.com/zenseiren)
今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。
(http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。
。http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。(http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。
引退牧師あいさつ主の導きのままに
白髭 義
振り返れば、六十歳で牧師になり七十歳の誕生日を迎えるまでの十年間は本当にあっという間でした。けれども、その十年は豊かな交わりに支えられ充実した十年でした。大江教会、宇土教会、天草集会所、三原教会、福山教会、松山教会に直接関わりながらでしたが、また教区、全国の信徒の皆様のお祈りに支えられていることをひしひしと感じてきました。紙面をお借りして皆様にご挨拶できることを喜びとさせていただきます。
なお、退職後もまだ少しは余力があると思って奉仕の継続を願い出ましたところ受理され、新たな思いに満たされているところです。家内もおかげさまで元気ですので、これからもしばらく二人三脚で行けることでしょう。青年時代に神学校に行きながらも挫折した私ですが、それもまた御心であったと今は受け止めています。主の導きにわが身を委ねつつ、これからの道を歩んでゆきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。
ふたたびのみちのくへ
東京教会 伊藤百代
東日本大震災から1年、大津波の恐怖、加えて福島第一原発の不安は今も続いています。第1回ボランティアパックに参加し、今回は「東松島のり加工所」の奇跡的な復興を喜び会う感謝の再会でした。 8ヶ月ぶりの東北道は、雪景色であらわれる思いでしたが、福島警戒区域を通り過ぎる頃から、残雪の中に痛々しい姿に様変わりしていました。三陸自動車道から鳴瀬川や北上川が穏やかに流れ、杜の都でみどりが美しい仙台の地で祈りました。神さま、このような震災の時にこそ試練と同時に逃れる道を整えてください。あなたの教会が「主にあって一つ」神の家となりますように、仙台教会が導かれ、3月11日が宣教の拠点となりますことを信じています。
日本の大津波の歴史の中で、この度の大津波は、千年に1度と言われています。平安時代貞観(じょうがん)地震(869年)以来の巨大地震だったと記されています。当時人々は、朝廷など「公」の信頼の代わりに、救い主として死後にすばらしい世界を提示してくれる阿弥陀仏などの浄土信頼にすがりつくようになり、平泉(岩手県)の浄土の世界は、この貞観地震に原点があるといわれています。
二日目は、石巻三反走にある仮設住宅を訪問しました。仮設住まいのほとんどの方は、自宅が全壊しているということですが、その多くが知り合いということで、広い敷地で110世帯の方々が慰め会いながら生活を余儀なくされていました。
立野牧師、伊藤文雄牧師の暖かい信頼関係は見事でした。当日の昼食を任されメニューに苦労し、通常はご飯と汁物が多いようで、【すき焼き】を提案しましたが、高価? 少量? 豚?。市ヶ谷を出発する前日の事で時間切れ、大泉学園の肉の卸問屋へ走り、4割引で5�の交渉成立でゴーになりました。ルーテル救援会は、ハーモニカにのって懐かしのメロディーを歌ったり、体操、オシャベリなど
「お茶っこ」は盛り上がっての4時間でした。4回目のバスパックは、礼拝に守られ、笑顔の現地の皆さまに送られて帰路へと出発しました。
2012年度人事
(*敬称略)
定年引退
(2012年3月31日付)
・白髭 義
新 任
(2012年4月1日付)
(一般任用)
・竹田大地(新任・ 一般) 下関教会(主 任)・厚狭 教会(兼 務)宇部教会(協 力) (西教区)指導牧師: 佐々木赫子
・乾 和雄(新任・ 嘱託) 神戸東教会 (西教区)指導牧師: 松本義宣
人事異動
(2012年4月1日付)[北海道特別教区]
・なし
[東教区]
・なし
[東海教区]
・中村朝美 高蔵寺 教会主任
・花城裕一朗 復活 教会主任
・宮澤真理子 岡崎 教会・刈谷教会主任
・三浦知夫 浜松教 会主任(兼務)
・渡邉 進 沼津教 会主任(兼務)
・白川道生 掛川菊 川教会主任(兼務)
[西教区]
・小勝奈保子 釜ヶ 崎活動・豊中教会主 任(兼務)
・鐘ヶ江昭洋 三原 教会・福山教会主任 (兼務)
[九州教区]
・立野泰博 大江教 会・宇土教会主任(6月1日付)
・小泉 基 大江教 会・宇土教会主任(兼 務4月1日~5月31
日)
・濱田道明 二日市 教会・甘木教会主任 (兼務)
・宮本 新 福岡西 教会主任(兼務)
・野村陽一 日田教 会主任(兼務)
その他
■本教会人事
(2012年4月1日付)
・野口勝彦 東日本 大震災「ルーテル教 会救援」派遣牧師
■嘱託任用
(2012年4月1日付)
・谷川卓三 三原教 会・福山教会 主任: 鐘ヶ江昭洋(兼)一 般から嘱託任用へ変 更
■宣教師(2012年)
・エリック ・ハンソン 退任(2012年9 月30日付)
・セッポ ・パウラサーリ 退任(2012年9
月付)
2011年12月フフティネ ン氏(日本宣教担当より SLEY常議員会から派遣終了 決定の通達を受けて退任を 承認。
J3プログラム
退任
・Dana Dutcher デイナ・ダッチャー (J3)文京カテリーナ・ 本郷学生センター
・John Hoyle ジョン・ホイル (J3)文京カテリーナ・ 本郷学生センター
・Susan Wironen スーザン・ヴィロネン (J3) 九州学院
・Douglas Foster ダグラス・フォスター (J3) 九州学院
・Carolyn Stypka
キャロリン・スティプカ (J3)九州ルーテル学 院
■牧会委嘱
(2012年4月1日付)
・中村圭助 浜松教会(新)
・白髭 義 二日市教会甘木教会 (新)
・重富克彦 恵み野教会(更新)
・藤井 浩 沼津教会(更新)
・明比輝代彦 富士教会(更新)
・横田弘行 掛川・菊川教会(更新)
■牧会委嘱終了
・戸田 裕 復活教会
・重野信之 刈谷教会
・勝部 哲 高蔵寺教会
■休職
・汲田真帆 201 0年9月~2012 年9月末
2012年9月末をもって 病気休職期間(2年)終了 の連絡を行った。