新しくされたあなたに、おめでとう!
兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。コリントの信徒への手紙一 15章1〜5節
イースターおめでとうございます。こちらブラジルでは、イースター(復活祭)を、「パスコア(Pascoa)」と言います。チョコレート製の「オーボ・デ・パスコア(イースターエッグ)」がスーパーで鈴なりにぶら下げられて売られています。5cm位から30 cmのもので、割ると中にもチョコがたくさん入っていて、二重の喜びを味わうことができます。
死んだ石ころのような冷たい殻を破って愛くるしいひよこが生まれ出てくるように、キリストの死の悲しみを蹴破り、新しい命が出てくることをお祝いします。
ブラジルではカルナバルの大騒ぎが終わって、四旬節の慎ましい期間が始まります。お肉の売り上げが落ち、バカリャウ(鱈の塩漬けの干物)が積み上げられ売られます。この期間、お肉やお酒をいただかないで、日常を悔い改めるという方々にも出会います。街の通りでは、クワレズマ(ポルトガル語で「四旬節」の意)の並木が、みごとな紫色の花を咲かせます。神様も、この季節にこの色の花を咲かせ、心静かな悔い改めという準備を迫っておられます。
私達はどんな準備、どんな神様との対話を日々しているでしょうか?
私はブラジルに遣わされて3年になります。今までと違った体験や祈りをさせられます。机の上の話し合いや書類、予算書だけではなくて、祈りながら体当たりをしなければ渡れない川辺に今まで以上に立たされるように思います。静かに考え、祈るようにさせられました。教会のことでも、人生でも、話し合いで結論を出すことや議論で勝つことではなくて、困難でも神様のみ心があるなら、取り組み、祈り、ひたすら待つことを教えらました。眠れないような不安や絶望の、もう一つ向こうで神様に出会うことができるように思います。新しい地で、新しいことに取り組み、自分に足りないことを教えてくださる神様に感謝します。
困難に出会う時、自分の小ささを思い知らされます。しかし、そこでどう思うかで、結果は違います。「ああだめだ、いつもこうだ」とふさぎ込むか、信仰と希望を持って進むかです。ただ頑張ることは限界があります。絶望するけれど、安心するということが大切です。「キリストが私達のために十字架に掛かり、復活してくださったから」という聖書の言葉と、「あの時もそうだったから、今度も神様が動かしてくれるはず」という自分の神様との体験がそうさせてくれるのです。不思議な安心感です。その福音の言葉を私達は受け入れ、「生活のよりどころにする」ことが、道を切り開くのです。
あなたは、どんな事柄を抱え、どんな祈りを持っていますか?
今年の初めに、ブラジルの有名な「弓場農場」を訪ねました。もとはキリスト教中心の自給自足の農業共同生活を続けている、日系社会です。そこで、多くを感じました。
食料もほぼ自給自足で、家具やお茶碗なども作っています。私も、お茶碗やコーヒーカップを買い求めてきました。釜の隣の部屋の棚から、出来るだけ綺麗で、形や高さの整ったものを選びました。しかし、最後まで気になるカップがありました。棚の下にまとめておいてあった、曲がったカップたちです。私は最後にそれも一つ買ってきました。
毎朝、朝食でそのコーヒーカップを使うことにしました。朝の忙しいひとときですが、それでコーヒーを飲み、自分の足りなさや不完全さを思う時間になります。「神から見れば、罪人の私達は曲がった失敗作かも知れない。自分も弱いところ、曲がったところ、とがったところがある。でも赦され、生かされている。用いられている」と、食事をしながら瞑想できるのです。心の中で静かに祈って始める一日。そこに新しい一日、新しい自分の命があると思うのです。
皆さんもそんな朝を始めませんか? 復活のキリストに出会い、新しいいのちに与る生活を始められるでしょう。神様からの多くの祝福を見ることができるでしょう。
復活祭、おめでとうございます。そして、新しくされたあなたに、おめでとうございます。
ブラジル/サンパウロ教会
徳弘浩隆