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バイブルエッセイ

主からの一歩、そして主に従う一歩

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコによる福音書2章13〜17節)

 板橋教会出身の私が、山口県と島根県にまたがるシオン教会に赴任し3年目の春となります。この原稿は、山口県の徳山礼拝所、20人程の礼拝出席の教会で書いています。現在、朝9時です。あと1時間で島根県の益田礼拝所に向かいます。その距離片道100キロ。中国山脈の横断です。今の時は、大変に素晴らしい時期です。「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」の江戸の俳句は確かだと思います。白雲青空の下、葉桜や山藤、山ツツジが映えます。益田教会では、3、4人での礼拝を守り、確かな喜びを抱きます。益田の次は、徳山との中間地、 島根県吉賀町六日市です 。こちらも5、6人ながらも豊かな礼拝です。帰りは22時過ぎです。木曜の走行距離は210キロ。高速道路でなく、峠道を行く往還です。冬季は、路面凍結やシャーベット状の道路を行くこともあります。帰路、ダム湖の傍を通る時には一年中、センターラインも見えない濃霧に困ります。しかし無事に帰り着くと、「今日も僕は、無事故、無違反という意味だけの安全運転を心掛けた」という感想を抱き、そして「守られ、導かれた」と思わされます。

 冒頭の聖書は、徴税人レビの物語です。レビは「収税所に座っている」と記されています。 収税所という場所、 制度は、現在の税務署の役割がそのまま当てはまるということではありません。市民からの税金徴収と、上級官庁への献納は、役割としては今日と確かに同じです。しかし「税金徴収」の際に収税人たちは自分の利得分を上乗せして多く集金していたということがあったのです。いきおい、厳しい視線を集める職業ということになりました。仕事として腹を括る、つまり「自分の仕事だからしょうがない」と諦めていたでしょう。だからといって、人々からの厳しい視線は、経験を重ねてもこたえるものです。針のむしろに坐すような心持ちで仕事の合間の休息を取っていたのでしょう。それがレビでした。

 レビは、イエスさまから弟子入りの言葉を頂きます。するとレビはイエスさまに従うものとなるのです。 イエスさまの言葉の力強さと共に、レビの鮮やかな転身が印象に残る聖書箇所です。レビの転身の出来事に、私自身、思いを傾け、 その心境に至った時期もありました。レビは、人々から厳しい視線を集める仕事を捨て、神さまに仕え、その働きをなす仕事に至った、と。レビがイエスさまの世界に入った。言い方を変えれば、俗なる者が聖なる空間へと至ったと、かつてそのように聖書を読み、今も折にふれてそんなことを思います。

 しかし、改めて聖書を読むと、「俗から聖」ではなく、むしろその反対かと思わされます。つまり「聖から俗へ」なのです。イエスさまは、聖書全体を通して、徴税人など、当時としては白眼視された方々と交流を深められます。とやかく言う人々は登場しますが、イエスさまはその白眼視をものともされませんし、時にはそれと戦います。ここでは、イエスさまは、自ら、レビの世界に入られたのです。結果を見れば、レビは弟子となり、収税所の仕事とは距離を置いたのでしょう。しかしその契機は、イエスさまがレビに近づき、その生活の中に入ったが故に、レビの生き方が変化したということです。

 レビは、確かに頑張りました。今までの生活を脇に置いてイエスさまに従うという決断は、並大抵のことではありません。けれど、そのような生き方を決断させたのは、他でもないイエスさまの言葉があるが故なのです。「私は頑張っている、しかし主はそれを越え、計り知れない所での恵みを増し加えてくださる」のです。そして、今までのレビの生き方も無駄ではない、ということも覚えたいのです。今までの生活、生き方があったがために、レビにはイエスさまの言葉が響いたのです。「あなたの今までの人生に、無駄なものは何一つもない。イエスさまはそれをも用いてくださる」のです。 

この6月、イエスさまの言葉によって導かれるルーテル教会の群れとして、過ごしたいものです。

日本福音ルーテルシオン教会牧師 水原一郎

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