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機関紙るうてる

るうてる2010年12月号

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説教「それだけでいい 心のベツレヘム」

 
 今年も気がつけばもうクリスマスです。やってくるサンタクロースにお願い事をしたのははるか昔の出来事。皆さんはどのような12月を過ごされていますか? 振り返って見れば、悲しくなるようなことばかりだった1年だったかもしれません。クリスチャンであったとしても、こどものように無邪気にクリスマスを過ごすことはできそうにありません。
 人生は喪失や別離の連続です。わたしもこの1年間、沢山の喪失を体験いたしました。もし、これを読んでいるあなたがその様な中で時を過ごしておられるのであれば、伝えたいのです。「キリストはあなたのためにこそ来られるのだよ」ということを。

 この夏、わたしはキリストに出会える心のベツレヘムを見つけました。それはドイツのベルリンにある「和解のチャペル」という場所です。この場所には1985年までネオゴシック様式の壮大な教会堂が建てられていました。けれどもこの礼拝堂は旧東ドイツ保安局によって監視の邪魔になるという理由で爆破され、跡形もなく崩れ落ちてしまったのです。教会が崩れ落ちた瞬間、人々の心はどれだけ傷ついたのでしょうか。100年以上も守られてきた場所であったとしても、いかに荘厳な建物であったとしても、人はそれを一瞬で失ってしまうのです。
 あなたがこの一年で失ったものは何でしょうか。大切な人ですか?財産ですか?健康を失いましたか?大切なものほど、わたしたちはあっけなく失ってしまうもの。奪われるならまだしも、自らの手でそれを壊してしまうこともあるでしょう。そして失ったもの、壊れてしまったものは決して前と同じようには戻りません。
 1985年に爆破されたこのベルリンの教会もそうでした。どんなに財を次ぎ込んでも建物は前と全く同じようにはならないし、教会爆破によって傷ついた人々の心も癒すことはできません。この場所で国境を越えようとしていのちを奪われた人も大勢いました。
 ですが、神さまはこの教会にひとつの奇跡を起こされたのです。2000年にこの教会は驚くべき形で再建されることになったのです。それは以前のような高い塔の教会ではなく、卵形の小さな礼拝堂。大理石などの高価な素材ではなく、それは土と木で造られました。新しい何かではなくて、爆破された聖壇や鐘を集めそれを礼拝堂に置いたのです。高価なものは何一つありません、でも何とも言えない暖かみがそこにはあるのです。その場所に足を一歩踏み込んで分かりました、イエスさまがお生れになったのはまさしくこの様な場所であると。何故だが涙が溢れてきました。
 
 聖書は語ります。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(「ルカによる福音書」2章6~7節)
 父ヨセフはこの時どんな気持ちだったのでしょうか。妻のはじめての出産、それなのに体を横にできる部屋さえ用意する事ができなかったのです。夫として男としてのヨセフの喪失を感じます。
 マリアの気持ちはどうでしょうか。神から預かった救い主のいのち、何よりも大切なイエスさまを飼い葉桶に寝かせるしかなかったのです。母だったら願います「もっと暖かい所で、もっと柔らかい場所で」と。でもそこには飼い葉桶しかなかったのです。ロマンチックで素敵な飼い葉桶ではありません。それはヨセフとマリアの喪失と悲しみが滲むような飼い葉桶です。
 
 そして想うのです。イエスさまが飼い葉桶のような場所にお生れになったからこそ、救いはわたしたちに届くのだと。そんな場所に生まれてくださるお方だからこそ、喪失感や悲しみの中に居る人々に本当のイエスさまの光が届くのです。
 気がつけば今年ももう12月、クリスマスです。笑顔で過ごせていますか? もし笑うことさえできないのであれば、「それでもいい、ずっとそれでいい」。イエスさまはそんなあなたのためにお生れになったのだから、「それだけでいい、ずっとそれでいい」。失う者には与えられ、悲しむものは慰められる、心からのメリークリスマスをあなたに。

 東京教会牧師 関野和寛

風の道具箱

天使の出番

 ある日のこと、神様は天使に声をかけました。  「この世界の中で何が一番だと思うかい?」。天使は「それは、人間がいちばん大切にしている、キラキラ輝いているものですよ」と答えました。神様は「それでは、それをここへ持ってきてくれないかい」とお頼みになりました。天使は「はい、よろこんで」と飛び立っていきました。天使は世界中を飛び回りキラキラ輝くものを探しました。「お金」「花」「宝物」「食べ物」。それらを持って帰ろうとしましたが、みな途中で輝きをなくしてしまうのでした。
天使は困り果て、小さな家の屋根で休むことにしました。すると、家の中から赤ちゃんの声が聞こえます。とっても嬉しそうな声です。天使はそっと家の中をのぞきました。ちょうどお母さんが赤ちゃんにお乳をあげているところでした。この嬉しいような、楽しいような、安らぎはいったい何だろう。形もなく色もないけれど、とっても幸せな気持ちがするのです。
 お母さんは赤ちゃんに「愛してますよいつまでも、大好きですよいつまでも」と子守歌を歌います。天使は、神様がいつも「愛している」といって抱きかかえてくださることを思い出しました。「そうだ愛だ。いちばん大切なものは愛だ。神様に持って帰れるものは神様がくださった愛だ!」と。
天使は大喜びで神様のもとへ帰っていきました。 (T)

牧師の声  私の愛唱聖句

津田沼教会 渡邊賢次

「この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の労苦は一日にて足れり。」
マタイ伝6章34節(文語訳)

 高校生になって宇和島(愛媛県)の高校に通っていた頃、本屋の店頭に亀井勝一郎全集が講談社から出版されているのが目につきました。その第7巻に「親鸞」が含まれていることに気づき、母に知らすと、母は早速それを買い求めて読み出しました。第7巻には、他にも「日本の智慧」、「西洋の智慧」という部分も含まれていました。 「西洋の智慧」の中に、聖書の主要な言葉が取り上げられており、母は「空の鳥を見よ」という文章の中に「明日のことを思ひ煩ふな」という主イエスの言葉を見出し、この言葉だけは本当だなあと思うと感慨深く私に漏らしたのでした。その聖句は、私にとっても大きな印象と影響を与えるものでした。
 それから私は大学に進みました。大学紛争は既に終わっていましたが、疾風怒濤の青春時代に突入していきました。順調に行かないことに直面し、孤独に悩み、幾度か挫折を経験しました。やがてルーテル教会に通うようになり、32歳で当時のルーテル神学大学の3年次編入が許されました。神学生生活も順調には進まず、もう駄目ではないかと思われる時が幾度もありました。
 しかし、神さまはそのたびに救いの御手を差し伸べてくださいました。多くの先輩教職の先生方や仲間たち、信徒の方々、また身内の者が力となってくれました。牧師になってから16年があっというまに過ぎましたが、今も試行錯誤の連続です。
 思い煩うことの多い私に、キリストは「今日」という一日を思い煩いながらも、精一杯生きるように今も招いてくださっています。
 キリストのみ言葉を通して教会につながることができ、多くの喜びや出会いを経験してきました。これからも神に自己放下して牧会に専念していきたいと思います。

信徒の声  信徒説教者として活かされて

博多教会 田村圭太

九州教区では、信徒教育のプログラムである「九州セミナリオ」が二〇〇三年春にスタートしました。クリスチャンホームの出身でもなくミッションスクールへの通学歴もない私は、受講者募集の告知が始まると、キリスト教の基本を学ぶ科目が網羅された信徒説教者コースの受講を、飛びつくように申し込みました。
 二年間の課程を終えて信徒説教者の資格が認証され、さっそく博多教会の主日礼拝において説教の奉仕をすることになりました。一か月前から当日の日課を何度も読み、黙想を繰り返し、注解書を参考に原稿を作り上げたものの、説教前日になって「私の説教は、聴く人々に届くだろうか。単なる自己満足で終わらないだろうか」と悩みました。
 そんな私に、ある友人がこう言いました、「田村が説教しているのではない。神さまが田村の口を使って語られるのだ、と思え。礼拝は神さまによるサービスなのだから。」この言葉のおかげで、私は心身から無駄な力が抜け、翌日は生まれて初めての説教を、平安のうちに終えました。
 当日の夜、先輩の会員の方が電話でこう言われました、「説教をしてくれて、本当にありがとう。」しかし、感謝すべき側は、神さまからの言い尽くせない恵みを受けた私の方です。私を支えてくださった全ての人に、説教を聴いてくださった方々に、そして何より私の口を用いてくださった神さまに。
 これ以降、今日までの5年半の間、福岡及び北九州地区の教会において、説教(一部は司式も)の奉仕を二十五回させていただいています。毎回、先述の悩みが心に湧きつつも、祈りながら力の限り説教の準備をし、先述のような感謝の思いに毎回満たされます。
 私は、説教の奉仕を積み重ねるごとに、「もっと説教について学びたい」と思います。私がいつも心の中で繰り返す聖句は、子どもの頃、日曜学校(他教派)で覚えた使徒言行録16章31節ですが、パウロとシラスが絶望した看守にこの聖句を語り受洗へ導いたように、自らの奉仕が決して独善に陥らず、み言葉が会衆の方々にしっかり届くよう、さらに研鑽を積み、私が説教準備を通じて受けた恵みを会衆の方々と分かち合いたいと常に思います。
 説教は私個人の業ではなく、神さまのみ業です。万人祭司の端にいる私を信徒説教者として活かしてくださっている神さま、そして会衆の方々に対して、感謝の念は尽きません。

園長日記 毎日あくしゅ

「クリスマスおめでとう」

 ことしもクリスマスを迎える時期となりました。
幼稚園では、収穫感謝祭を通してたくさんの恵みを神様に感謝する日々を過ごしています。その最も大いなるものは救い主イエス様の誕生です。
 教会の暦より一足? くらい早く、感謝祭の終わった頃から、幼稚園は「待降節」へと入って行きます。
毎週行っている礼拝では、アドベントクランツを用意して一本ずつローソクを灯していきます。
 初めてクランツを見た子どもたちは、四本ローソクが立っているのを見て、「たんじょうびのお祝い?」と、必ず何人かが言います。中には「たんじょうびのケーキ?」と言う子どももいます。そこで、わたしは、「そうね。これは”アドベントクランツ”と言って、イエス様の誕生を待つ間に使うものです」、また、「毎週一本ずつローソクの灯が増えて、四本ついたらクリスマスです」と話します。そして、一本目のローソクに灯をつけてイエス様の誕生についての話を始めていきます。子どもたちはローソクの灯を見ながら真剣に話を聞いてくれます。わたしにとっても、緊張して身の引き締まる思いがします。
 これから、イエス様の誕生についての話は続けられていきます。ローソクの火も一本ずつ増えていきます。そして、部屋を飾ったり、プレゼントを用意したり、降誕劇の練習? をしていよいよクリスマスの日を迎えます。この時期、子どもたちはキリスト教の幼稚園ならではの毎日を過ごしていきます。
 この大切な心あたたまる経験が、成長していく中でも一人ひとりの子どもたちの心に、時には小さく、時には大きく、灯がともされ続けていくことを心から祈る毎日です。そして、わたしたちも、イエス様の誕生を心から待ちのぞみ、お祝いすることのできる者でありたいと思います。
(1)むかしユダヤのひとびとは かみさまからの おやくそく とうといかたのおうまれを うれしくまって おりました。
(2)とうといかたのおうまれを みんなでたのしく いわおうと そのひかぞえてまつうちに なんびゃくねんも たちました。
(3)あるひ てんのみつかいは よろこびなさい かみのこが みんなのためにおうまれと たかいおそらで つげました。
      幼児さんびかより
神水幼稚園園長 寺本 晟

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その9

社会福祉法人キリスト教児童福祉会
情緒障害児短期治療施設 子どもL.E.C.センター

施設長 白鳥 哲

こどもL.E.C.センター(以下、センター)は、主に虐待を受けて心に深い傷を負った子ども達や発達に課題を抱えた子ども達を治療するための児童福祉施設として、平成13年4月に開設された情緒障害児短期治療施設です。現在、6歳から18歳までの32名の子ども達が、保育士・児童指導員などの職員と寝食を共にしながら、各々の抱えている問題を改善するために生活しています。
昨年4月に、開設以来の念願であった分教室が、町教育委員会によって当センターに設置され、小中学校から各々2名の先生が来られて、子ども達の教育に携わっています。
 センターの一日は、朝の礼拝から始まります。その後に朝のミーティングをして職員はそれぞれの持ち場に向かいます。月に1回は健軍教会の小泉牧師に来ていただいて、聖書の学びをしています。
センターで生活している子ども達は様々な問題を抱えていて、そのため、すぐに興奮する、他の子どもとトラブルを起こす、物事に集中できない等の問題を持っています。職員は時々子ども達から暴力、暴言を受けたりします。子ども達が社会で自立した生活ができるように支援しています。
 現在、子ども達が勉強している教室は教育環境としては十分でないため、10月から敷地内に教育棟の建築を始めています。建築資金は財団法人JKAからの補助金と社会福祉協議会からの借入金と寄付金ですが、約150万円が不足しています。
 全国の各ルーテル教会の牧師、役員会あてに献金のお願いを全国総会にていたしました。
 信徒の皆様がお祈りに憶え一人500円の献金をしていただければ、写真のような立派な教育棟を3月に完成させることができます。ご支援をよろしくお願いいたします。

第30回教会音楽祭テーマ曲「光」の曲募集

歌詞入選作はいずれもルーテル教会員!

 8月末閉め切られた教会音楽祭テーマ曲の作詩の公募では過去最多の24作品(内ルーテル6)が寄せられ、下記の3作品が採用されました。3作品ともルーテル教会の方々の作品でありましたことを、喜びと感謝をもってご報告させて頂きます。
 詩が決まりましたので、今回は曲の公募となります。採用作品は第30回教会音楽祭(2011年6月19日 東京カテドラル聖マリア大聖堂)にて歌い、主を讃美いたします。
これらの詞にふさわしい曲を、ふるってご応募ください。

応募規定=1人1作品、旋律の下に必ず全ての歌詞を記載のこと、未発表のもの。
応募方法=作品に住所、氏名、連絡先、所属教派、教会名を明記のこと。
応募締め切り=2011年2月末日(消印有効)。
提出先=〒105-0011 東京都港区芝公園3-6-18 日本聖公会東京教区事務所礼拝音楽委員会宛。
※旋律のみの応募、録音音源による応募も可。
音楽祭実行委員会で審査の上、採用者に通知しますが、採用作品でも添削を加える場合があります。なお応募作品は返却いたしません。
【問い合わせ先】
音楽祭担当=小海(日本キリスト教団荻窪教会〉TEL:03-3398-2104
【教会音楽祭HP】http://10.pro.tok2.com/~yoichis/kyokai_ongakusai/ongakusai/index.html

採用作品(歌詞)
【作品1】
田中栄子(日本福音ルーテル神水教会員)

1.朝の光が 聖壇に 
 ひとすじきらめき
 差し込んで
 私は一瞬 息をのむ 神様への架け橋ですね
2.ステンドグラスに  当たる陽が
 ほのかに心を 包みこむ
 私も共に 祈ります 神様との 語らいの時
  
【作品2】
木村満津子(日本福音ルーテル湯河原教会員)

1.光ふる 海原 
 波の色 変えてゆく 光よ どこから来て どこへ行く
 神のみ手から 
 そして
 人の心の深みまで
2.光舞う 草原 
 花の色 増してゆく
 光よ どこから来て どこへ行く
 神のみ手から 
 そして 
 人の心の高みまで
    
【作品3】
久木田恵(日本福音ルーテル池田教会員)

1.よろこびの歌 はずむ時 御業を信じて
 空を仰げば
 手をさしのべる 
 イエス様がいてくださる
 微笑の輝き 
 そらよ、そらよ、 
 優しく晴れて 
2.描いた夢が 消える時 御心求めて 
 空を仰げば
 光をそそぐ 
 イエス様がいてくださる
 なぐさめの静けさ  そらよ、そらよ、
 優しく晴れて
3.祈りの道を 歩む時 御言葉抱いて 
 空を仰げば
 寄り添い守る 
 イエス様がいてくださる
 やすらぎの約束 
 そらよ、そらよ、
 優しく晴れて

私の本棚から

中村妙子訳「サンタクロースっているんでしょうか?」偕成社

 有名な本で「サンタクロースっているんでしょうか」という本があります。今から110年以上も前の、1898年にニューヨークの新聞の社説が8歳の女の子の、「サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?」という素直な質問に新聞記者のフランシス.チャーチが答えたものです。このような言葉で8歳の女の子に語っています。
 「バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちはまちがっています。きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。うたぐりやは、目にみえるものしか信じません。うたぐりやは、心せまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
 けれども、人間の心というものは、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうちっぽけなものなんですよ。わたしたのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
 そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。」
 このように疑いをいだくのでなく、信じる心をもつことを記者は丁寧に伝えています。さらに、信じることは、人間にとっても最も大事な愛と信頼がそこから生まれてくることを語っています。
 信じる世界の中で生きること、これがキリストの誕生を祝うクリスマスです。信じる世界の中で私たちの心が新たにされ、愛と信頼に満ちた日々の生活を送っていきたいものです。(青田 勇)

東海教区宣教60周年記念信徒大会

 
実行委員長 平瀬暢子

 「プログラムが良くなければ、魅力的でなければ、人は集まらない、去るのみ。」このことを根本理念として、実行委員会は都合9回集まり協議し60周年記念大会に臨みました。
 まず、次世代を担って戴くために若い方々の参加を願い大人も子供も一緒に楽しめて、ルーテルを元気にすることを目的に、開会礼拝は子供中心の礼拝にしました。成人向きには講演会とパネルディスカッションを企画し、選択日本人参議院議員のツルネン・マルテイ氏を講師に迎えました。基調講演は「クリスチャンの使命」と題して。午後のパネルディスカッションでは氏はパネラーとして参加して戴き、活発な討議が交わされました。
 講演内容は「4回の落選を経てまでなぜ国政に携わったか」「四国48カ所を53日間かけて回られた理由とは」など、とても興味深いお話でした。また「他宗教とどう付き合うか」は私達に考える良い機会を与えてくださいました。堅いお話ばかりでなく「癒しの時」として、ソプラノの小杉由子さんの奉仕によるプチコンサートをもうけました。
 予定していた200名の参加者を迎え、帰り際に「良いプログラムだった」との言葉をいただきました。ここに至るまでには激論もありましたが、相手の立場に立って物事を考えたこと、パソコンによる新しいシートを開発して参加者名の間違いをなくしたこと、ドタキャンが赦されると言う悪習をなくしたこと、強い意見に押し切られることなく、どこまでも話し合いを続け得たことなどが印象に残りました。

第14回全国青年修養会

実行委員長 末吉潤一
 
10月9日~11日に、長崎市にある「長崎市立日吉青年の家」をメイン会場として、35名の青年(牧師を含む)が集まり、第14回全国青年修養会が開催されました。
 今年のテーマは、「We are PEACE makers」で、プログラムを4つの段階(ピース①~③・ピースメイキング)に分け、様々な平和から戦争を切り口とした平和までみんなで考え意見交換をしました。
 初日、初めましてとお久しぶりの仲間たち。ぎこちない雰囲気で始まるのではないかと思われましたが、予想に反して和やかな雰囲気で始まりました。「ピース①」では、参加者がイメージする「平和」についての分ち合いの時間を持ち、それぞれが想う「平和」は同じではないことを学びました。
 2日目、路線バスを使って、ルーテル長崎教会の礼拝へ。礼拝後には教会員方が作ってくださった美味しいお弁当をいただき、交流のひと時を持つことができました。本当にありがとうございました。その後、「ピース②」である戦争を切り口とした「平和」を学ぶために、「長崎原爆資料館」(戦争の被害的側面)と「岡まさはる記念長崎平和資料館」(戦争の加害的側面)へ。「原爆爆心地」や「平和祈念公園」にも行きました。参加者は、戦争の恐ろしさだけでなく、人間の恐ろしさや罪深さも感じました。
 「ピース③」の前半では、「ピース②」についての分ち合いを行いました。みんな、かなりの衝撃を受けていたようでした。後半、参加者の心を癒すべく、「キリストの平和」について安井牧師がお話と晩祷をしてくださいました。
 最終日、まとめとなる「ピースメイキング」。ピース①~③でそれぞれが考えてきた「平和」をどのように実現させていけるだろうかと意見を交わしました。最後の派遣礼拝では、1つ1つのピースを繋ぎ合わせて、十字架を完成させました。
 参加できた青年は35名でしたが、参加できなかった青年も含め多くの方々の想いを抱き「PEACE maker」として、それぞれの地へ派遣されました。
 来年も全国青年修養会で皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

いちど、来てみん!!

浜名教会集会室建築委員 鈴木路加

 30畳ほどの宿泊可能な浜名教会集会室がよぉ~やく完成しました。関係者の皆さん、集会室建築を知り励ましてくれた皆さんには、ご理解・ご協力を頂き、本当に感謝いたします。
 「んっ?集会室?」と思った皆さんに説明をします。浜名教会は、新しい会堂の建築をきっかけに「地域に根ざした教会」を目指し、バンドやフラダンスの練習、学童保育など、地域の人が気軽に来られるように活動してきました。少しずつではありますが利用者が増え、教会が手狭になってきた事がこの集会室建築の最大の理由でした。
 次に「集会室では、何ができるの?」と思う方に説明をします。「浜名教会では、何でもできる」と思っていただいたほうが幸いです。海あり山あり川ありのちょいちょいした田舎ですし、色々なアイテムがこの教会には揃っています。 主催側の希望していることは、ある程度出来ます。但し、20人程度の少人数に限りますが…。いずれにせよ、一度浜名教会に来てもらうのが一番に正しくて、楽しいかと思います。「ま~、いちど来てみん」

SLEY宣教師 着任のあいさつ

ポウッカ・マルッティ

 九月からスオミ・キリスト教会で妻のバイヴィと共に牧師/宣教師として働き始めました。私はフィンランドの南部、人口約4000人の静かな場所の出身です。多くの湖や広大な森
林のある農村で生まれたので、森が大好きです。15年ぶりに来日し、東京には神様が愛する人間が、私の出身地よりもたくさんいることに再び気付かされました。だからこそ一人でも多くの人に、天国への道/イエスキリストについて伝えたいと思います。
(私は牧師と教会音楽家、妻のバイヴィは小学校の教師で、ここ数年日本の教育について博士論文を書いていました。)

吉村博明(信徒宣教師)

 長年フィンランドで暮らして誇れることがひとつだけあります。産時に、妻の手を握って赤子が頭から足まで無事出てくるのを全部見届けるのが夫の勤めという国柄です。炊事洗濯家事育児は職業人の妻とほぼ同等にこなしてきました。毎日が時間との戦い、体力の限界への挑戦でしたが、神の御言葉に支えられてやり遂げました。今回、日本にきて任命は私が中心なので、普通の日本の男に戻ってしまうと危惧しています。皆様よろしく。

住所変更のお知らせ

松隈貞雄先生
〒862-0909 熊本県熊本市湖東2丁目16番8号

2011年教会手帳住所録の訂正
小石川教会のFAX番号は削除。電話番号を(共用)としてください。

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