るうてる福音版2010年5月号
やさしさに包まれたなら
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソの信徒への手紙1:3-4)
高校時代、私はユーミン(松任谷由美さん)の歌が好きだった。友達とクラスで起こったさまざまな出来事、恋のこと、テストのこと、家族のこと、昨日観たドラマのこと…とりとめもなく話しながら歩いた下校途中の帰り道。ユーミンの曲は少し背伸びをしたい自分たちにぴったりな気がして、私たちはよく歌いながら歩いた。メロディを口ずさんでは、せつなさの少し混じった幸せにほうっとなったことを思い出す。
“やさしさに包まれたなら”という曲がある。スタジオジブリの宮崎駿氏のアニメ「魔女の宅急便」の挿入歌と言えば思い出す人も少なくないだろう。軽快なリズムに乗せて彼女は歌う。
『小さいころは 神様がいて
毎日愛をとどけてくれた
心の奥に しまい忘れた
大切な箱 開くときは今
雨上がりの庭で くちなしの香りの やさしさに包まれたなら
きっと 目にうつるすべてのことは メッセージ』。
人は常に心を占める考えや気持ち、態度を外に反映して生きている。外の世界に映るものは、すべて私たちの心の投影である。自分が何を外に見たいか、どんなことを聴きたいかによって、私たちの世界はまったく別の表情で立ち現れてくる。聞こえなかったメッセージが聞こえてくる。
神様は人間を「愛され愛する」存在としてお創りになった。そう、本当はこの世界は神様のやさしさで満ちている。私たちは、いつ頃からこの愛を信じることに無器用になったのだろう。私たちの心の中には愛ではなく常に怖れがある。そして、それによって過去に支配され、現在を否定し、未来に望みを抱くことができないでいる。
雨上がりに咲き出でる花の香りにこめられたメッセージを受け取りたい。小さい頃、いや私たちが母の胎にいた時からもうすでに届けられていた主の愛にもっともっと気づいていたい。あなたも私もやさしさに包まれている。あなたもそれを信じてみませんか?
(のんのん)
いのちはぐくむ
中井弘和
音楽の恵み
『全地よ、主に向かって歌え』(歴代誌上16章23節)
日野原重明博士は、音楽の癒す力に着目し、早くから音楽療法を試みてきた人としても知られています。もともと神を賛美する音楽が人の心身を癒す話は聖書にもたびたび登場してきます。私も稲の研究でバングラディシュに滞在中(本稿第3回、2009年6月参照)、音楽に救われた不思議な経験をしたことがあります。
ある蒸し暑い日の夕方、稲の採集旅行のため列車に乗ろうと、現地の研究者に伴われて街はずれの駅に行きました。初めて見る駅の構内は、身動きできないほどに人や家畜が入り乱れ、舞い上がる砂埃にまみれてごった返していました。人込みのいたるところに裸同然の病人が倒れ臥し、牛や山羊や鶏までが生死不明のまま横たわっています。人々は、それらを気にすることもなく、ただ騒々しく動き回っていました。しかも、予定の列車はいつまで待っても来ません。夜が更けるほどに、駅はますます騒乱の空気に包まれていきました。
私は疲労困憊して気分が悪くなり何度も嘔吐しました。明け方近くになって、我慢もついに限界に達したようでした。全身から力が抜け、遠くなる意識の中で自分の身体が崩れ落ちるのを感じました。ちょうどその時、突然私の体内からバッハのロ短調ミサ曲のある楽章が鳴り響いてきたのです。はっとして、それに聴き入るうちに意識も明瞭になり、衰弱しきった心身が癒されていきました。列車はとうとう来ず、白々と明けた朝を無事宿舎に戻ることになりました。
しかし、それから数日後、今度は重い食中毒に罹りました。激しい下痢や嘔吐による一滴の水も受け付けない極度の脱水症状に陥り、病院に運び込まれました。40度の高熱と激しい頭痛が幾日も続く危険な状態の中で、確かに「もう日本には戻れない」と考えていました。しかし、一方、そのように考える意識のもっと奥からは、「生きる」といういのちの意志が絶えず湧き上ってきて、私の心は平安でした。もうあの音楽が耳に響いてくることはありませんでしたが、その調べは意識の底で豊かに流れていたのだと思います。
実は、渡航の前、毎日のようにロ短調ミサ曲を聴いていました。そのころ読んだ小説『宣告』(加賀乙彦著)で初めてその曲名を知りレコードを買い求めていたのです。主人公の死刑囚が、間近に迫る死の予感に呻吟しながら、たまたま教誨師である神父の計らいで聴いたその曲に深く心癒される場面が印象に残っていたからです。いずれにせよ、遠い異国の地で私の心身に生じた奇跡のような出来事は、バッハのロ短調ミサ曲という音楽を介して与えられた神の恩寵だったに違いありません。
中井弘和
静岡大学名誉教授 農学博士
園長日記「毎日あくしゅ」
「祈り」
5月のさわやかな季節になりました。
4月に入園した子ども達は、当初、初めての集団生活に戸惑い、泣いたりわめいたりと色々な表情を見せてくれました。その点、進級した子ども達は、「名札の色が変わるのが嬉しい!」、「あこがれの二階に行けるんだ!」などで、希望に満ち溢れて意欲満々です。そして、一ヶ月過ぎるころには、どのクラスもぐっと落ち着いてきました。
また、5月からはお弁当も始まりました。子ども達が楽しみにしているお母様の愛情たっぷりのお弁当です。朝泣いていた子どもも、お弁当の時は違います。お弁当の中身を気にしながらも、神妙に手を合わせてお祈りのご用意をしています。
朝と帰りのお祈りに加えてお弁当の時の感謝の祈りも覚えました。
以前、卒園されたあるお母様が、「この幼稚園でお祈りを覚えて、実家に帰った時、仏壇の前でチーンと鐘を鳴らしてアーメンとお祈りしていたんですよ。」と話されていました。私はその話にとても感動して、「そうそうそれでいいんだ、子どもってなんて可愛いんだろう!」と思ったものです。このエピソードは、入園説明会の時によく話させていただいています。子ども達が、神様に感謝することや人の為に祈ることを覚えて、その心を大きくなっても忘れないでいて欲しいと思います。
最後に、朝の礼拝で毎日聖句暗誦する時に一緒にする「祈り」があります。これは玉名教会の牧師でいらっしゃった故藤田武春先生(幼稚園創設者)が亡くなる寸前に書かれたものです。今から32年程前になりますが、藤田先生はご夫妻で永年幼児教育に携わる中、この「祈り」を私達に指し示して下さいました。私達は、玉名ルーテル幼稚園の基盤として「祈り」を受け継いでいきたいと願っています。
祈り
お家のうちに女の子がいたら
その子はみんな小さなマリヤ
その子にキリスト様が一緒に生きられ
その子はみんな神の子
やがて やさしいお母さんにして下さい
お家のうちに男の子がいたら
その子はみんな小さなキリスト
その子にキリスト様が一緒に生きられ
その子はみんな神の子
やがて 人に仕え世を救う 立派な大人にしてください 藤田武春
玉名ルーテル幼稚園 園長 中島千麻子