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るうてる《福音版》  2009年 7月号

バイブルメッセージ  瞳を閉じて

主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ルカによる福音書11章1節

「ああ、今日は胃袋がどこにあるのか、わからない!」
彼女は、うれしそうに言いました。
彼女は妻の友人。ある日、うちに泊まりに来てくれたときのことでした。せっかく来てくれたのに、彼女はおなかが痛くなって夕飯も一緒にできません。でも、夜ゆっくり休んだおかげで、朝には元気回復。さわやかな顔で起きて来た彼女が言ったセリフが、それでした。
面白い表現だなぁ、と思いました。確かに痛くもかゆくもない時、自分のからだの中の様子は気になりません。もちろん、どのへんに胃袋があるのかもわかりません。痛み出した時に、ああ、確かにここに胃袋がある、とわかります。病気になって初めて健康のありがたみがわかる、ということと通じるでしょう。

同じことは、あいつについても言えるかもしれません。
あいつは内臓器官と違って、そもそも本当に見えません。でも、あいつが痛む時があります。大切な人が苦しんでいるのを見たとき、あいつは痛みます。その時、あいつがあることがわかります。あいつのことを、心と呼ぶこともあり、感情と呼ぶこともあり、気持ちや思いと呼ぶこともあり、魂と呼ぶこともあります。
きれいなお花を見て、感動できる人を、心が豊かな人なんて言うことがあります。そして、逆の場合を、心貧しい人とか、心ないことをした、などと言います。
この目では見えないあいつを、確かにそこにある、とわたしたちは自然と見て取っているのですね。この、目には見えないあいつを豊かに育てることができることも、わたしたちは知っています。子どもたちが、しっかり食べて、しっかり運動して、しっかり睡眠をとると、からだが成長していくように、あいつは成長することができます。
いや、成長という言葉は合わないかもしれません。あいつが安らいだり、落ち着いたりするために、できることがあると言ったほうがいいでしょう。あいつは、からだが栄養を取るように、「わたしにも栄養補給や深呼吸の時間をください」と耳では聞こえない声でよく叫んでいるようです。
その栄養補給や深呼吸の方法を、ひとつここで紹介しておきます。
目には見えないあいつに安らぎを与えるためには、やっぱり目を閉じることです。目を閉じてみた時、あいつは、「ようこそ」とわたしたちを迎えてくれます。そして、わたしたちがあいつに安らぎを与えているつもりが、わたしたちがあいつから安らぎを受けるという逆転劇がそこで起こります。
あいつは、目を閉じたわたしたちを、まだ見ぬ明日を思うことや、ここにはいないあの人のことを静かに思い起こすことや、そして、生きる意味なんていうものまで考えさせてくれながら、再びわたしたちをこの世の見える世界に送り出します。
その時、世界は少し違って見えます。目をつむって、あいつに、大切なものを見せてもらったおかげで……。栄養を与え、深呼吸させたつもりが、あいつによってわたしが深呼吸させてもらうことになるのです。あいつの魔法です。
たぶんあいつは、目には見えない神さまへの直通電話を持っていると、わたしは踏んでいます。
パパレンジャー

十字架の道行き

【その1】イエス、洗礼を受けるマルコによる福音書 1章9節
【祈りの言葉】
水と聖霊によって新しい「いのち」を与え、罪の赦しを賜った全能の神様に感謝します。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

Q. 医師と準医師があるというのはネパール独自のものなのでしょうか?
A.たぶんインドにもあると思います。ネパールはインドの経済・文化の影響を強く受けています。インドからすればネパールはインドの一州くらいに思っていて、別の国とは思っていない人も多いのです。経済圏も文化圏もだいたい一緒です。南・東・西をインドに囲まれていてビザも必要としません。ヒンドゥー語はサンスクリット語から出ていて、ヒンドゥー語、ネパール語、ウルドゥー語、ベンガル語……と共通なのです。インドのTV番組を見ていますが、7~8割は共通の言語なので理解できます。
そういう事情ですからインドの制度が入ってきていると思います。もちろんネパール本来の医師の教育制度もあります。
Q. 看護師さんの養成はどうなっていますか?
A.準医師と同じように準看護師が地方では第一線を担っています。高校を卒業して1年間看護師学校へ行き4~6ヶ月の実習を経て試験に合格したものが準看護師になります。
今、私が働いているチョウジャリ病院には準看護師が6名いますが、その人たちが「お産」も含め何から何まで全部やります。
Q. 準看護師は女性が多いですか?
A.そうですね。準医師は女性も男性もいますが、準看護師は9割以上が女性です。チョウジェリ病院はすべて女性の看護師です。数人男性の看護師がいるというのを聞いたことがあります。
それからスタッフナース、日本で言えば高等看護師がいます。このコースが3年。さらに学士、修士、博士になるそれぞれの学校があります。
看護師になる人は大変少ないです。その教育はすべて英語でなされるため英語が流暢になり、9割以上の人が海外へ行ってしまいます。
新聞を開くと「オーストラリアで働きませんか?」「アメリカで働きませんか?」といった海外の求人広告がたくさん載っています。
お給料が、国立病院の医師が月1万円(100ドル)くらい、看護師さんもそれくらいかそれ以下ですが、海外で例えば、オーストラリアで働けば「年間400万円500万円もらますよ」と書いてあるわけです。
Q. 医師不足の原因は、こういうところにもあるんですね。
A.海外に行ってしまう原因はお金のことだけではありません。ポストがないということや、政治的なこと、雇用制度によるものもあります。日本のようにオープンな形で就職することが、なかなかできないのです。開発途上国にはよくあるのですが、身内だけを雇用してしまって、平等の受験という形で雇用されることが少ないのです。そういうことを嫌い、海外に行ってしまうとか、その他にもいろいろな理由があります。
(つづく)

写真提供:JOCS http://www.jocs.or.jp/jocs/index.html

毎日あくしゅ

4月に新しく保育所や幼稚園に入園し、毎日不安で泣いていた子どもたちも、園生活に慣れ楽しい毎日を過ごしている時期だと思います。これから夏を迎え、プールや水遊びが始まることでしょう。子どもたちが元気いっぱいにはしゃいで遊んでいる姿が目に浮かびます。
ところで、保育所では、第二の家庭を目標として「家庭的な保育」を実践している園が多いと思います。
先日、Aちゃんが担任を呼ぶときに間違えて「お母さん」と呼んでしまいました。
そうすると周りにいた子どもたちが間違えを非難するのではなく次のように言いました。
「いいんだよ。○○先生は私たちのクラスのお母さんなんだもん。保育所のお母さんなんだから……」と。私たち大人は、「なに間違えてるの? お母さんじゃなくて先生でしょう」と言ってしまいそうですが、子どもたちの温かい言葉とその思いに、保育士たちは嬉しい思いになりました。そして私たちが目標としている家庭的な保育が子どもたちに伝わっていることを確認できた一コマでした。
お父さんやお母さんと一緒にいて安心して過ごせる場所が必要なのは、子どもも大人も同じです。
つらい時、悲しい時にそっとそばにいてくださる方。両手を広げて迎え、包み込んでくださる方。私たちは、神様がいつもいてくださることを知っています。
そのことに感謝しつつ、毎日を安心して過ごしていきたいですね。
(園長)

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