るうてる《福音版》 2009年 5月号
バイブルメッセージ いらかの波と雲の波…
わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
コリントの信徒への手紙一 2章12節a(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)
その重なる波の中空を泳ぐのが「鯉のぼり」です。梅雨空ならまだしも、風薫る5月、それこそ「五月晴れ」の青空になぜ魚が、と子ども心に思いました……。
旧暦の5月、「皐月」だったのですね。皐月はまさに梅雨の季節。そういえば、松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」も梅雨時のことゆえ納得です。雨の季節であれば、「鯉の滝昇り」も、鯉のぼりも絶妙な組み合わせということになるのでしょうか。
「東京は雪」と伝えられた3月初旬、乾季に入ったばかりのインドはデカン高原、その西端で「熱風」にさらされていました。日中、炎天下での気温は30度を越えていたことでしょう。しかし、木陰や建物の陰に入ると、そこはひんやり。吹く風も、薫風というか、涼風というか、とにかく心地よく、さわやかなのです。全身から汗と疲れを拭い取るように、吹き抜けていきます。おもわず「ゴクラク、ゴクラク……」。
「薫風」という、さわやかな初夏、青葉の季節を連想させる言葉の出典は漢詩だそうです。そこには、皇帝と部下のこんなやりとりがあります。皇帝が「人は皆、炎熱に苦しんでいるが、私は夏の日の長いことを愛する」と言うと、すかさず、部下が「薫風は南より来たる(薫風自南来)、殿閣に微涼の生ず」と答えたのだそうです。熱風を「薫風」と言い替えたところが味噌なのでしょうか。
いずれにしろ、インドの炎熱の薫風? に打たれ、熱中症寸前、へろへろ、くたくたになった人間が、木陰に身を寄せ、建物の陰の地べたに身を伏せる時、生き返るのです。日本では吹かないであろう乾ききった風。それは時に熱風にもなりますが、木陰の爽快感は、日本では味わえないものでした。薫風に感激、感動、感謝。風は不思議ですね……。
イエス様も「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」と言われました。ご自分のことを「風」にたとえられたのです。目には見えず、音がするだけの風。
飼い葉桶に生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ死なれたイエス様は目を見張るような存在ではありませんでした。
イエス様は続けて言われます。「霊から生まれた者も皆その通りである」と。わたしたちも、神様からの霊をいただいて、「風」のように生きるのです。目には見えなくても、爽やかに、力強く。
5月31日、その神様からの霊、聖霊が与えられたことを記念し、お祝いします。
「霊よ、四方から吹き来たれ。……そうすれば、彼らは生きかえる」(エゼキエル書37章9節より)。
M.T
十字架の道行き
【第十四留】イエス、墓に葬られる マタイによる福音書 27章57~61節
【祈りの言葉】
イエス様の体は、亜麻布に包まれて新しい墓に葬られました。私たちも主の御心のまま、み旨のとき墓に葬られます。それは、あなたの命に迎えられることであると悟らせてください。
ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ
ネパールはインドと中国チベットが隣接する東西に細長い国です。エベレストを含むヒマラヤ山脈が連なり、首都カトマンズはその山々に囲まれた盆地にあります。主な産業は農業で約7割の人が従事しています。2008年には王政が廃止され7月に大統領就任、8月に首相が決まり、内閣が発足しました。
ネパール派遣ワーカーの楢戸健次郎先生のインタビューの続きです。今月は派遣先のネパールや、チョウジャリ病院のある地域のことなどをお聞きしました。
Q. 赴任先をネパールにされたのはご自身の希望ですか? その場合ネパールを選んだ理由を教えてください。
A. 半分私の希望でもありましたがJOCSの決定です。JOCSのワーカーの送り方は要請主義です。はじめ私はタイのスラムの問題にかかわりたいと希望したのですが、適当な仕事がなく、ネパールからの要請に応える形で派遣されました。それまでに何度もネパールへ来たことがあり、魅力のある国の一つでしたので喜んでまいりました。
Q. 先生をネパールに派遣しているJOCSについて教えてください。
A. 1960年発足の海外医療協力を主な仕事とするキリスト教NGOです。医療従事者を医療に恵まれない開発途上国に送ることと、相手団体の医療従事者を奨学金で応援し協力することが2つの柱です。今までに私を含め約60名の医療従事者が送られてきました。国や企業からは援助をもらわず、会員の会費と献金、それに全国から送られる古切手を換金しての資金だけで運営しています。皆さんに支えられ現在8人のワーカーがカンボジア、バングラディシュ、ネパール、パキスタン、タンザニアで働いています。
Q.チョウジャリ病院がある地域の現状を教えてください。
A. 首都カトマンズから西に直線距離で350km。19人乗りの飛行機で1時間20分。週に一度定期便があります。3つの郡の境界線、大河ベリのそばに病院はあります。標高700m。周りは山また山で、そのすそ野には段々畑が張り付いています。チョウジャリのあるルクム郡はネパールの中でもマーガル人が多く住む貧しい地域です。
Q.チョウジャリ病院のスッタフの構成は?
A. ネパール人医師一人。他に準医師4人(高校1年終了後1年間の学習と6ヶ月の実習を受けた人)、准看護婦7人、検査、薬局、X線のそれぞれの手伝い、事務、掃除、夜警の人たちを加え、総勢36人です。
Q.カトマンズとの生活の格差はありますか?
A. 比べようもありません。ネパール人が9割近く住む田舎からみればカトマンズは“外国”です。カトマンズは停電こそ毎日12時間もありますが、お金を出せば日本に近い生活もできます。日本料理屋もスーパーもあります。ここでは電気は1日1時間、飲み水は川から汲み、食べるのが精一杯の生活で、日本の昔、“おしん”の時代と同じでしょうか。
(つづく)
毎日あくしゅ
新学期は新入園と、転勤やその他の事情で転園してくる子ども達がいます。のぶちゃんは他の幼稚園から止むを得ず、年中組に転園してきたひとりです。園の玄関先で愛らしいしぐさで靴を履き替えるものの、顔は無表情で逃げるように保育室に入ってしまい、なかなか教師や友だちになじめない女の子でした。
自閉的な傾向があるとの診断がついていたのぶちゃんは、確かに気に入らない事があるとひっくり返って泣き喚き、いつまでも気持ちの切り替えができなかったり、すねたりすることが多く友だちもなかなかできませんでした。
しかし、次第に幼稚園の生活にも慣れ、《ここはまんざら悪い場所ではない》ことが理解できると、のぶちゃんは笑顔も見せるようになり、小さな声でしたが「お・は・よ・う」が出るようになりました。そんなのぶちゃんは、聖書のお話をよく聞いて、しっかりおぼえている力をもっていました。時折びっくりする質問をすることがありました。「イエス様のお弟子さん知ってる。アンデレって言うんでしょ、漁師さんだったよ」。
また、全園児で将来の夢を紙に書いて紙風船を空に飛ばした時も、ひとり真剣に「ねえ、かみさまはこの手紙みんな読まないといけないんだよ。たいへんだね」。のぶちゃんは、神様が何でもできる、とても大きなお方であることをいち早くキャッチしたのかもしれません。
卒園の日が近づくにつれ、お母様は毎日のように「私たち親子はここに来て本当に良かったです」と感謝の涙と共に、将来への不安は拭い去れないようでした。
大人の不安をよそに、どんなときでも神様がいつも一緒にいてくれることに信頼を寄せ、神様を素直に信じることができたのぶちゃんは、卒園式の時に「わたしは大きくなったら、神様を礼拝する人になりたいです」と挨拶をして卒園していきました。
(園長)