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るうてる  2009年 6月号

機関紙PDF

徳弘浩隆宣教師 派遣式
4.18 東京教会

4月18日午後、徳弘浩隆牧師のブラジル宣教師派遣式が東京教会で行われました。
派遣式では、海外宣教主事の浅野直樹牧師が司式、宣教室長の青田勇牧師が説教、そして、総会議長の渡邉純幸牧師が派遣の按手と祝福を行ないました。
開始時刻が近づいても、徳弘牧師は姿を現さず、少々あわてましたが、引越し業者さんとの打ち合わせが長引いたとのこと。日本を離れる日が目前に迫っていることを、わたしたちも実感しました。
その日、東京教会の1階会議室では、東教区「女性会」の会長会が同時進行で行われていました。派遣式終了後、徳弘牧師ご夫妻は、その会場にも出向かれ、ブラジルへの出発の報告と挨拶をなさいました。女性会からも熱いエールが送られ、ご夫妻は励まされ、心強く思ったことでしょう。
渡邉進牧師のあとを引き継いで3年間の宣教師としての働きが始まります。主なる神様の祝福を祈ります。みんなで支えていきましょう。
(広報室長 徳野昌博)

説教 「招きに応じて」マタイによる福音書4章18~25節

副議長 青田 勇
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安がありますように。
この度、宣教師として神の召しを受けた徳弘浩隆牧師を日本福音ルーテル教会より第7代宣教師としてブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)の、サンパウロにある日系パロキアの教会(サンパウロ教会・南米教会)に派遣できることを神に感謝いたします。
すべての人の職業がどんなものであれ、その働きが等しく神のみ前に「召命」を受けていると言うのが、ルターの宗教改革の大切な教えの一つです。
「召命」という言葉は日本人に馴染みのない言葉ですが、最近の『広辞苑』には、その言葉が載っています。そこには、「『召命』とは、ある使命を果たすように神から呼びかけられること」と説明されています。
もう一つ、「出家」という日本語がありますが、「出家」について『広辞苑』では、「出家は俗世間を捨てて、修行の道に入るのです」という言葉で説明されています。確かに、「出家」と「召命」は信仰の道に入るという点では同じです。でも、「出家」は人間の決断と決意に重きが置かれていると言えます。しかし、「召命」は「神に呼ばれ、それに応えていく」ことに中心があります。神の働きかけが中心であり、それに私たち人間は応じていくのです。主体はあくまで神であり、私たちは呼びかける神に応じて、神から託された業、働き、その務めを果たしていくのです。
マタイ4章19節で主イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉でペトロたちは呼びかけられ、そこから彼らはすべてを委ねて主イエスに従っていったのです。主イエスとの出会いの結果です。
主イエスによる呼びかけを受け、彼らは人生を大きく転換し、自らをキリストの宣教者としていったのです。その出発点はキリストからの呼びかけと、働きです。
彼らを宣教者として選んだのは主イエスです。彼らが主イエスを選んだのではありません。主イエスが彼らを一方的に選び、声をかけたのです。そして、その呼びかけに、働きかけに彼らは応じたのです。これが神の召命です。
神の働きかけが彼らの背後にあり、その働きと呼びかけを受けて、彼らは主イエスに目を向け、従い、宣教者として立てられていったのです。
伝道は私たちの業ではなく、神の業です。神のミッション、神が主体的になされるみ業を信頼し、その働きとみ業に招かれ、そこに従事すること、これが神の宣教・伝道です。
十字架にかかり、復活した主イエス・キリストのみ業を伝えることが宣教の中心です。キリストの十字架と復活は、神の救いの業、神のミッションそのものです。十字架の業により、神の救いへと招かれ、復活の主イエスにより宣教へと派遣されている群れ、それが教会です。
教会の宣教の業に就く私たちは、何事においても、いい加減な関わりをすることはできません。また、一時的な気持ちで生きることはできません。救いへと導かれた後、私たちは主イエス・キリストとの関係を一生のこととして受け止め、神の宣教の業に加わり、携わっていくのです。
日本福音ルーテル教会を通して、神によりブラジ宣教師として遣わされる徳弘牧師のこれからの働きがブラジル・ルーテル告白福音教会における共同の宣教の業として実りあるものとなるように心よりお祈りいたします。

風の道具箱

「三六〇度の方向転換」

教会裏の畑に、さつまいもとサクランボの木を植えました。1年ぶりに裏の畑が復活したことになります。あまりにも空き地にしにしていたので、畑に戻すのが大変でした。
今回さつまいもを植えるにあたって、どんな肥料がいいのか調べてみました。鶏糞がいいのか、それとも化学肥料がいいか結論が出ず、園芸店の方に聞いてみることにしました。すると「何もやらない方がよい」との答えでした。下手に肥料をやると葉だけが成長し、肝心な実が太らないのだそうです。荒れ地の方がよく育つと聞きますが、まさにその通りなのです。
人間も同じ様な気がします。神様から与えられている信仰は、下手に肥料(思い・考え)をやらなくても実をつけるのです。知識や名誉、お金や物によらなくても、キリストの言葉だけでしっかり育つし、豊かな実をつけるものです。主の復活を信じるのに、人間的な肥料はいらない。信じるという神様からいただく信仰だけでよいのです。
360度の方向転換は、いつも元通りで方向転換にはなりません。しかし、神様のもとに帰る方向転換は360度。なぜなら悔い改めによってなされる方向転換は常に神様に出会うからです。
(柿のたね)

インフォメーション

■第11回ルーテル子どもキャンプ
TNG-子ども部門では、今年も恒例のルーテル子どもキャンプを開催します。
●日程 2009年8月6日(木)~8日(土)
●場所 ルーテル学院大学・神学校
●テーマ
空にいちばん近い国、ネパール
~ナマステ、サンチャイチャ~
●主題聖句
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」詩篇121:1
●対称 小学校5、6年生
★スタッフ募集★
グループ・リーダー 大学生以上の教会員
ジュニア・リーダー 高校生以上
※研修会からキャンプ期間全日程参加が必須条件となります。
★お問い合わせ キャンプ長 小泉嗣まで
電話043-244-8008
メール t-koizumi@jelc.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 室園教会・小国教会 牧師  後藤 由起

わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです
テサロニケの信徒への手紙一 1章5節

伝道者を志して神学校に行き、牧師となった。どうやって伝道しようか、楽しみで燃えていた。まずは新しい人が教会に来るきっかけを作ることだ! 伝道集会を企画し、音楽伝道をはじめ、インターネットやチラシで宣伝、ミッションスクールにもがんがん働きかけた。新しい人々は教会にやってきた。ハレルヤ! しかし、次の週にはもう来なかった。そこではたと気がついた。
肝心の「福音」はどうなっているか?? 私は福音を伝えているだろうか?? 年齢、職業、学歴さまざまな方が教会にやってくる。その方々に、「通じる言葉」を語れているだろうか?? 猛反省した。私は教会の中だけで通じる説教をし、せっかく教会に来てくれた、社会の真っただ中でもまれている新来会者には縁遠い、「ザ・クリスチャン」たちの世界を作りあげていなかっただろうか。
大いに恐れはじめた。「私にはできません……」。たとえば「この世の知恵ある人々」が教会にやってきた時、神学校を出たての私が何を語れるというのだろうか? 絶句するような悲しみの中にある人がやってきた時、どんな慰めを語れるというのだろうか?
その時、神は私にこの言葉を語られた。異教の街テサロニケで伝道をはじめたパウロたちは、短期間にもかかわらず大きな成果を得、異邦人から改宗者が多く生まれた。それは「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったから」だと聖書は告げる。「力と聖霊と強い確信」、これが私に欠けていたものだった。自分の知恵と言葉遊びに頼ろうとしていた罪を主は示された。すぐに私は天のお父様に「力と聖霊と強い確信をください」と祈り始めた。
土曜の夜になると、私はいつも恐れに取りつかれる。1コリントのパウロのように。しかし宣教とは、人々が「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになる(1コリ2:5)」ことだ。ルーテル教会に「力と聖霊と強い確信」が与えられるよう、私はこれからも祈り続ける。

信徒の声

教会の宝を捜して

九州教区 小倉教会  小牧 千賀至

信仰生活に至ったきっかけはなんだったのですか?
妻の勧めでした。妻は子どものころからキリスト教信仰がなじみやすい生活環境にあり、九州女学院卒業でもあったので、2人の結婚式も妻の希望で教会で挙げました。
一方私は、社会人となって以来の現役40余年間は、当時の皆さんがそうであったように、生活のすべてが仕事へ仕事へと埋没する日々の繰り返しでした。仕事を離れる時期が近付くにつれ、今までの生活への空疎感は覆い隠せなくなっていた時、妻の勧めで教会に足を運びました。
信仰生活にはいっていかがですか?
多くが初めての体験であり、戸惑ったり不安であったりでしたが、礼拝を繰り返すうちに、少しずつ少しずつ幸せと安らぎが心の中に広がってきて、信仰の喜びを実感できるようになってきました。
小倉教会で会計のご奉仕をされてこられましたが、これからの抱負を聞かせてください
これからも小倉教会でできる間は奉仕させていただこうと思っていますが、この厳しい経済情勢のなか今後のありようが心配です。

九州教区の「高齢者に関するアンケート」から

九州教区 社会・奉仕部長  岩崎國春

昨年、教区が実施した標記のアンケートから、教区の高齢者問題の全体像の一端を垣間見ました。教会の高齢化が一段と進み、礼拝出席者のほとんどが高齢者である教会も散見され、とても衝撃的でした。
各個教会の内なる活動では、高齢者への色々な配慮と取り組みが行われているものの、地域社会での高齢者への宣教活動の取り組みは、全く手付かず、暗中模索のように感じました。
多くの教会で、高齢者の交わりと働きの場の形成には、知恵と工夫が施され、それぞれの教会に相応しいプログラムが用意されているのに安堵いたしました。今後、教会で高齢者の担う役割がより重要になっていくのは明々白々だと強く感じたところです。
教会内外のバリアフリー化は着実に進んでいます。例えば和式トイレの洋式化が順調に進み、残すは2教会のみとなりました。その背後には、教区女性連盟の粘り強い啓発活動がありました。
「老老介護」「看取り」「成人後見人制度」等の今日的問題への取り組みには、教会間でかなり温度差があります。いずれにせよ、この問題はこれからの教会にとって大きな課題と受け取りました。
各個教会の共通課題に、高齢者の礼拝出席とそれに伴う送迎の問題があり、年毎に、深刻さを深めています。今後、家族集会や信徒訪問等の必要性が予想されます。この際、私ども、ルーテル教会黎明期の牧会活動の有り様に深く学ぶところがあるように思えます。

新型インフルエンザ気をつけましょう。

新型インフルエンザが全国的に広がりを見せつつあります。各教区、教会におかれましても、対処について考えておられることと思います。
報道に振り回されたり、神経質になり過ぎることはないでしょう。しかし教会や関連施設という不特定多数の人々が集う場にあっては、危機管理の対応は重要です。
自ら感染しないように、互いに感染しあわないように、十分注意しましょう。そして、万一の場合は落ち着いて対応しましょう。ウエブサイトの「厚生労働省新型インフルエンザ対策関連情報」も参考にしてください。(広報室)

いのち、はぐくむ  中井弘和

第3回 落穂拾い

穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。……ぶどうも摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。……
(レビ記19章、9~10節)

もう30年も前のことです。当時、世界の最貧国といわれていたバングラデシュに稲の研究指導のため滞在していました。ある日、現地の若い研究者と少し離れた田園地帯に稲の採集に出かけました。雨季前の薄日射す緑の平原は、少しうねりながら、どこまでも遠く広く地平線まで続き、牛、山羊などの動物と人が無数にまじわりあって星のようにゆっくりと動いていました。そんな風景の片隅で、収穫後の田をゆっくり行き来しながら落穂を拾う数人の質素なサリーをまとった女性たちの姿を私は何気なく眺めていました。
あのミレーの作品「落穂拾い」の静謐な画面が現出し、それをゆったり鑑賞するという心情だったでしょうか。そのとき、長く続いた沈黙を破るように、同行の研究者が「あの人たちは非常に貧しい」と語りかけてきました。この年、当地は未曾有の旱魃に襲われ、多くの農民たちは田畑を捨てて都市になだれ込んでいるというニュースにも接していました。街の路上はその日の糧を求める貧民であふれていました。あの女性たちもそのような人たちだというのです。
よく見ると、田の傍らにはやせこけた裸の赤ん坊が転がされています。彼女らの手にはわずかの稲穂しかありません。一日中さまよい拾い続けても、ひと握りにもならないだろうとのことでした。美しい風景の向こうに人々の苦しい生活の現実が隠されていることを思い知らされて衝撃を受けた記憶が蘇ってきます。その後、バングラデシュは工業化が進み、経済成長も著しいようですが、一方、貧富の格差は一段と広がり、貧困はなお、その社会に強く根を張っていると聞いています。
現在、地球上の栄養不足人口は12億人、極貧人口は28億人(「地球白書」より)といわれています。工業化による経済成長はもはや世界の趨勢ですが、その一方で、貧困が増大するという矛盾の前に私たちは立たされています。その過程で、落穂拾いの風景はひっそりと姿を消しつつあるのではないでしょうか。それは、確かに哀しみの風景に違いありませんが、落穂を貧しい人々のために残す田畑を私たちの心と社会に生かし続ける必要があると考えています。

路帖百年。 1909年~2009年

1909年9月27日の記念碑

「(1909年)9月27日、熊本市新屋敷町412番地のスタイワルト邸を仮校舎として、路帖神学校は開校式を挙げた」と『日本福音ルーテル教会史(60年史)』は伝える(神学生は4名)。
その後市内東子飼町の仮校舎を経、九州学院の開校(1911年4月)と共にその敷地内に校舎を得て、九州学院神学部(神学生は8名。1916年に専門学校の認可)となった。
白川の対岸(熊本教会に向かい合うあたり)の、大きくないマンションの入り口、楠の木の下に小さな石碑が建つ。九州学院発祥、路帖神学校開校と記して記念としているのだ。熊本を訪れる機会があれば、私は立ち寄って先達の心意気に触れる思いを深めたものである。
教師も教師なら、学生も学生、明治から大正へのこの時代に、世が求めた栄達を求めず、神と人とに仕える学びに励んだのである。熊本での神学教育は1925年、日本ルーテル神学専門学校として東京中野、鷺宮の地に移転するまで続いた。
「路帖百年」の第1期の16年であった。
(徳善義和)

関門の丘から  松隈 勁

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
(コリントの信徒への手紙一 3章7節)

6月。校舎は芳しいクスの香りに包まれ、新緑が目に鮮やかな季節を迎える。中学1年生が校地内樹木マップを頼りに探検に興じている。理科の授業風景だ。実物に触れて学ぶという初代院長の教育理念は、今でも樹木の種類の豊富さの中に息づいている。
中学1年生にとって初めての体験である中間試験が実施される。15、6年前までは、無監督制が敷かれていた。「誰が見ていなくても、神はあなたを見ておられる」この事実を自覚させ、自主性を育てていくという試みであった。自主性は育つものではなく育てる(=育ちゆく環境を整える)ものである。しかしこのすぐれた教育方法も、やがて大学入試で評定平均値を基にした推薦制が一般化するにつれ、外部からの信頼性の標準化を問われるようになり、あきらめざるを得なくなった。
学校は常に自主性を育てる仕組みを求められていると思う。新任の頃、家庭訪問で自分よりもずっと年上の保護者の方に恐る恐る「ご家庭の教育方針は?」と尋ねると、「子どもの自主性に任せています」という返事。「なるほど、だからこのようなしっかりしたお嬢様が育っていらっしゃるのですね」と感心したものだったが、任せることが放任につながらなければいいのだがと心配にもなった。任せるのではなく任すことができるように育てることが大切なのだ。教育の営みは保護者・教師・生徒が一体となって初めて完成される。だから家庭教育も大切な教育の一環である。例えば、初めて子どもが試験を受ける時、どんな子でも何をしたらいいものかと迷いがあるはずである。親の出番がここにある。一切を塾などの他者に任せることでなく、今、子どもが何を学び、何を悩んでいるのかということを肌で感じ取ることができるいい機会である。だから、親は子どもが持っている教科書を手にしてみて欲しい。何かと批判はあるかもしれないが、日本の教科書はよくできている。教科書は限られたページ数の中に先人たちの血のにじむような努力の結晶が整理されている。この教科書を栄養にして子どもたちは成長していく。親も教師も連携できるのだ。

神の召しに答えて 新任牧師からメッセージ

目をあげてみると

板橋教会 汲田真帆

説教を考えながら歩いていたら道に迷ってしまいました。不安を通り越し悲しくなったその時、舞いおりた一片の花びらに目をあげると満開の桜と青空が見えました。私達は自分の目から見える物が全てだと思う時、頭上にどんなに美しい空があってもそれに気づくことができません。
マリア達もそうでした。「誰があの石を取り除いてくれるのか?」これは私達の見る現実の限界へのつぶやきです。しかし「目をあげてみると」石は既に転がされていたのです。主は復活されました。私達の死よりも強い確かな愛が示されたのです。心の目を上げて生きていきましょう。神様はあなたの目の前に一片の花びらを用意してくださっています。

ガリラヤでお目にかかれる

鹿児島教会、阿久根教会  小山 茂

女性たちは墓で、絶望の淵から希望の光を見たのに、逃げ去りました。「ガリラヤでお目にかかれる」は、主イエスの復活の出来事として、後に弟子たちを挫折から再び「信従」へと招かれます。弟子たち同様に、時に私たちも素直に聞く耳を持たないのです。それでも主イエスが私たちをガリラヤで待ち受け、共にいてくださり、私たちを頑なさから解き放たれます。私たちの信仰がどれほど不完全であり、福音宣教にひるんでも、主イエスは粘り強く諦めずに私たちを招き続けられます。私たちは主によって、最後に信じる者と変えられていきます。ハレルヤ!

広島教会での初イースター

広島教会 鷲見達也

さすがにイースターの力、普段あまりお見えにならない方も教会においでくださり、100人を超える方々、私の拙い説教にも耳を傾けてくださったことをありがたく思います。
広島教会ではボーイスカウトが平和大通りの歩道の茂みなどに「イースター卵」を隠し、保育園の子どもが全く教会とは縁のなかったおばあちゃんと参加したことは印象的でした。あまり準備のできないまま受難週やイースターを迎えてしまい、牧師は忙しいよと神学校で言われていたことを実感した今年のイースターでした。

熊本・ルーテル学院から

ルーテル学院中高チャプレン 崔 大凡

4月から熊本のルーテル学院でチャプレンとして働いています。新しい生活が始まってまだ間もないところですが、今年の3月末まで東京の神学校寮で過ごしたことがもうとても昔のことのように感じる今日のこの頃です。
毎日仕事に追われながら、自分として何とか頑張りつつ、中高の生徒たちと一緒に過ごしています。彼らは今の私にとって喜びでもあり悩みでもあります。しかし間違いなく、彼らは私に、毎日大きな感動を与えています。彼らと一緒だからこそ、とても生き生きと感じる毎日、神様に心から感謝しています。私たちのためにお祈り、よろしくお願いします。

第14回全国伝道セミナー

第14回全国伝道セミナーが、5月4日(月)~6日(水)、日本のガリラヤ湖と呼ばれる琵琶湖で開催されました。
今回の伝セミは「そうせずにはいられないことだからです(コリント一 9:16)」を聖句に、「私にとっての伝道~誰に、どこで、どのように?~」をテーマとして、北海道から九州まで全体で75名の参加者が集められました。
会場には「るうてる福音版」でおなじみの杉岡広子さんの聖書人形「十字架の道行」が展示され、また、若くして来日しこの地で生涯を終えた信徒宣教師W.M.ヴォーリズの息吹を感じながらの3日間でした。
参加者は、それぞれの生活の場で感じている伝道やキリスト教のあり方について分かち合いました。スタッフも含め初参加の方が多かったにもかかわらず、すぐに打ち解けあうことができ、和気あいあいと有意義な時を過ごすことができました。
沼崎牧師の「聖書に聴く」や谷口兄の「ヴォーリズの生涯」(ともに京都教会)では真剣に耳を傾け、長谷川(間瀬)姉の紹介された「祈りの輪」による夕べの祈りと朝の祈りでは祈りを過ごしました。
2日目にはヴォーリズゆかりの今津教会(日本基督教団)や資料館を見学したり、グループでの散策の時を持つことができました。夜はゴスペルシンガー・森繁昇さんの愉快な楽しい賛美を楽しみました。
子どもたちも大人と同じようにヴォーリズのことを学び、また自然の中で遊んで楽しい時を過ごしました。
今回はいつもより少ない参加者でしたが、家族のようなきずなのもと、ともに讃美し、それぞれの地へ伝道の聖火を胸の奥に携えて派遣されて行きました。
(実行委員長 前田実)

メコン

ミッションフォーラム

5月11日から14日、カンボジアのプノンペンで「メコンミッション・フォーラム」が関係教会の代表もふくめて約40名でによる定期会議が開催された。JELCも緊急支援した、昨年5月のミャンマー・サイクロン緊急支援報告と共に、メコン地区の伝道・教育・奉仕事業についての共同事業等について協議した。JELCからは、事務局の青田牧師と浅野牧師が出席し、例年通り、連帯献金より、メコン地区の伝道維持のために応分の献金協力をしていくこととした。(副議長 青田勇)

お知らせ

■『路帖神学校百年。』歴史フォーラム~生み出したもの、支えたもの~
日時 2009年6月15日(月) 13:00~17:00
会場 市ヶ谷センター第一会議室
神学校百周年を祝し、上記の日程にて、その歴史に学び、想起しつつ、さらに後世の教会に伝えていくための歴史フォーラムを開催しますので、お集まりください。
■第33回 キリスト教美術展
日時 2009年 6月17日(水)~28日(日) 11:00~19:00(最終日は16:00まで)
会場 銀座教会 東京福音会センター
※6月22日は休館日になります。
■第3 回カンボジア・ワークキャンプ
日程 2009年 9 月1 日(火)~11 日(金)11 日間
対象 18 歳以上の健康な方(高校生不可)
申込締切 2009 年7 月7 日(火)必着
問合せ・申込先 JELA+JELC ボランティア派遣委員会
メール:workcamp@jelc.or.jp
Tel:03-3260-1908 FAX:03-3260-1948

電話番号変更

荒尾教会の電話番号が、左記の通り変更されました。
0968-57-9866
FAX番号の変更はございません。

柳川教会のステンドグラス譲渡の件

応募は締め切りとさせていただきます。4教会から問い合わせ、申し込みがあり、その後の折衝で、2教会はとり下げられました。最終的には、事務局長がとりまとめをします。

お詫びと訂正

るうてる5月号3ページ目、「いのちはぐくむ」の記事で最後の一文「今も考えています」は4月号のもので、編集作業上のミスでした。その一文を除いて読んでくださるようお願いいたします。執筆者の中井先生、読者の皆様にはご迷惑をおかけしました。お詫びして訂正させていただきます。
(広報室)

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