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バイブルエッセイ

隔てを越えてゆくため

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
エフェソの信徒への手紙 第2章14〜16節

「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。」「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。」 広島市長は今年の平和宣言において穏やかに、しかし、厳然と呼びかけました。

私はこの言葉に、聖書が呼びかけてきた平和構築への可能性を聞く思いがしました。威嚇ではなく対話を重ねて行くこと。それは為政者のみならず、他者との関わりに生きる私たちの誰もが大切にしなければならないことでしょう。それぞれの経験や立場を絶対的なものとするのではなく、その間を隔てる壁を乗り越えて、互いに尊重し学ぶ関係をつくっていくこと自体が平和への道なのだと思います。

エフェソの教会に連なる人たちと当時のユダヤ人キリスト者の間にも、「律法」ゆえに互いを遠ざける現実がありました。また、ユダヤの人々が神殿を大切に思うほど、他者を排除しその純粋さを守るために自分たちと「異邦人」との「隔ての壁」の維持を重要視してしまうことにつながりました。このことは、形を変えながらも、現代の私たちの社会に巣くっているのではないでしょうか。人種や民族、国籍、宗教、性別、心身の状態、性的指向、社会的地位などで自分との違いを生きる存在に不寛容な思いを持ち、対立し、ともすれば排除しようとしてしまう。それは人類が普遍的に抱く闇といえます。
だからこそ神が「双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」、「両者を一つの体として神と和解させ」、「敵意を滅ぼ」す必要があったのです。そしてそれは、キリストの十字架によって、神自身が痛みを負うという赦しの業によってもたらされました。

文字を持たないアイヌの口伝承ユカラを文字化し、日本語訳し「アイヌ神謡集」として世に送り出した知里幸恵という人がいます。1922年の夏、金田一京助宅で知里が「アイヌ神謡集」の出版準備のために過ごした三ヶ月は、地上での最後の時間となりました。知里は校正を全て終えた晩に心臓疾患により短い生涯を閉じたのです。19歳でした。

知里がその命を削るようにして編纂・翻訳した「アイヌ神謡集」とその序文は、雄大で美しく清らかな内容もさることながら、その生きる姿の熱さ力強さで人の心を激しく揺さぶります。それは、知里が生まれたアイヌ民族の、物語の紡ぎ手と受け手とが文字の受け渡しではなく、ことばを行き交わすことによって育まれてきたことと無関係ではないと思います。この物語は、受け手を巻き込み、受け手も共に紡ぐ者とし、さらに受け手を伝え手として動かしていく。そうやって物語とその物語を生み出した自然の豊かさと厳しさ、それと共に生きる恵みが届けられ、自然と人、カムイ(神)とアイヌ(人間)とを結びあわせていくのです。

そのようなアイヌの言葉や生き方を失わせる原因となった和人に対して、それを伝えるべく知里が日本語訳に取り組んだことは、まさに知里が「敵意という隔ての壁を」越えて行こうとすることです。知里の物語はアイヌと和人とを結びあわせる取り組みでもありました。

知里にとってもう一つの大切な物語がありました。それはキリストの物語でした。虐げられ傷つけられている人を訪ね、救いを告げ、共に生きる。文字は残さずとも、語る言葉と生き方を通してその愛を伝え、それを受け取る人に人生の新しい一歩を踏み出させる力を与え、神と人を結び付けていくキリストの物語に、知里は幼い頃からその心に響きを与えられてきました。知里はこの物語を熱心に求め、受けとり、この物語に動かされてキリストに従う道、隔ての壁を取り除かれることに信頼する道を歩んだのです。

知里の終焉の地となった旧金田一宅跡の隣に今、本郷教会が立っています。ことばが人を生かす、アイヌの物語とキリストの物語。知里が生かされ、知里が担った物語を現代に結ぶ役割を託されたと受け止め、数年来、召天記念日にあたる9月18日に、記念会「シロカニペ祭」の会場として用いられています。
キリストがその十字架において隔ての壁を取り壊したのは、私たちが互いの間にある隔てを越えて生きるためです。それは簡単なことではありません。しかし、キリストが砕いた壁の残骸を踏みしめて共に生きることへと私たちは招かれているのです。
日本福音ルーテル本郷教会 安井宣生

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