絶えず新たに開始する教会
「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」 (テモテへの手紙二 3・15)
「牧師は総辞職せよ」。私の人生で衝撃を受けた言葉の一つです。
事務局勤務だった頃、日本キリスト教連合会主催の宣教講演会に出席しました。講師は牧師、宣教師、信徒(ビジネスマン)が集まり、福音宣教の拡大を目指しキリスト者の人口比1%越えを目指している信徒リーダー達でした。テーマは「日本のキリスト教界の現状と展望」。副題に(エリヤのように、私は変わる、あなたも変わる、日本が変わる)、ユニークで力強い講演でした。
その中で「牧師は総辞職せよ」と提言されたのです。この百年いまだ人口の1%以下しかキリスト者になってない状況の責任は牧師にある。「牧師は、戦後の働きを自ら深思し、先ず一度、総辞職せよ」と言われたのです。業績をあげられないなら会社ではクビなのですとも。教会と会社は違うという意見もありますが、真摯に受けとめようと思いました。
教会、牧師信徒は、宣教に本気で取り組んでいるか。人々に届くキリストのみ言葉を語っているか。そのために努力し、創意工夫しているか。どうせ1%だからとあきらめてないか。教会の維持、内向的なことばかりになってないか。全世界に福音を宣べ伝えているか。聖書を読んでいるか。かなりチャレンジを受けました。
その時、大切なことは「ミッション」であると教えられました。使命です。遣わされた教会が、何を神様から与えられたミッションにするか。それで教会も牧師信徒も変わってくる。そのミッションを「最優先事項(トップ・プライオリティー)にする」こと。神様から与えられた私の使命は何か。それが分かれば、今やるべきことは見えてきます。他のすべてのことを停止してでも、その一時に集中する。それが最優先事項という意味です。その一時を聖書の中から見つけることです。
そこでルターの『キリスト者の自由』を読んでいます。教会の信徒の願いで、しぶしぶ読みはじめたというのが本音です。読み進めていくうちに、ぐんぐん引き寄せられ、毎週1回の読書会が待ち遠しいです。教会の生きた現場で読みました。
ルターの言葉で衝撃を受けた言葉を一つ。「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」という言葉です。
キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかです。昔はということは、キリストの前からだんだん後退していることです。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに始めることです。教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。
宣教の現場に戻って新しいことをたくさん始めました。中高生がいる教会、楽しい教会、人が絶えず溢れる教会、未来にむけて成長する教会を目指しました。まず教会集会室をカフェスペースに。扉は24時間オープン。様々な楽しいカフェ企画。毎日の朝礼拝。礼拝堂を聖なる空間に変える。礼拝に来られる方が毎週何か変わっていると言われます。絶えず新しく始まっている教会でありつづけました。とにかく外へ向けての宣教を最優先事項にしてきました。結果はどうぞ大江教会にいらしてください。
しかし、一番大切にしたのは「み言葉」と「祈り」です。宗教改革500年にむけて何をするか。まずは「聖書のみ」に立ちました。礼拝堂にある講壇用聖書の通読を始め、3年間で3回の通読。毎日3章ずつ礼拝堂で読み続けています。まもなく3回目が終了します。さらに礼拝堂で祈る。毎日誰かが礼拝堂で祈る。これだけのことで教会は改革されていくのです。物置状態であった礼拝堂が聖なる空間となります。
宗教改革500年の10月をむかえました。私たちの教会にとっては501年が大切です。記念とならないように。そして「絶えず新たに開始する教会」でありたい。それぞれのミッションに従って。
日本福音ルーテル大江教会、鹿児島教会、阿久根教会 牧師 立野泰博