1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2015年10月号
刊行物

BLOG

機関紙るうてる

るうてる2015年10月号

機関紙PDF

説教「これはいったいどういうことなのか」

 
「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。」 (使徒言行録2章12節)

日本福音ルーテル田園調布教会・日本ルーテル神学校 宮本新牧師 

人には自分の力(理性)で知ることができるものとそうでないものとがある。
 ルターが気づいたことでした。宗教改革に身を置いて聖霊だけが教えるものがあるとルターは悟ってゆきます。「私は何もしなかったのだ。みことばがこのすべてを引き起こし、成就したのである」(「四旬節第2説教」1522年3月10日※)と述べたのはそのような思いからであったのでしょう。その思いはルターその人のものでありながら、同時にいつの時代のキリスト者にも共通する体験となります。実際、それは教会のはじめからあったものでした。使徒言行録2章に記されている聖霊降臨の出来事です。そこで〈教会の誕生(聖霊降臨祭)〉から〈教会の歩み直し(宗教改革記念)〉を結び合わせる聖霊の働きに思いを向けたいと思います。
 使徒言行録2章にある聖霊降臨には「一同」と呼ばれる聖霊が降ったという人々のほかに、その傍で「これはいったいどういうことなのか」と驚き戸惑う人たちがいました。この日から人々は聖霊を受け、宣教に本格的に乗り出します。主の言葉を伝え、信仰の伝播がはじまります。しかし、そこに別の人たちがいたことも使徒言行録はきちんと述べています。最初の聖霊体験にこの人たちの戸惑いと驚き、意外性とつまずきの体験が含まれていることには大切な意味があったと思います。
 もし仮に聖霊降臨が「一同」と呼ばれる一部の人たちだけの話なら、当人に重要であっても、他の人々にはほとんど関わりのない話です。聖霊降臨が誰にあったかではなく、次に何が起こったのかが使徒言行録の関心事です。そうして2章から「一同」と、驚き戸惑う人たちの物語がはじまります。私たちはみな、この物語を生かされているものでもあるのです。
 聖霊が注がれてこの人たちが気づいたことがありました。事の始めに、自分たちの言葉と思いと計画を超えているものがあるということをです。宣教のはじめに良い思いがあり、その終わりに良い業がある。私たちの業ではありません。旧約聖書のはじめに「光あれ」(創世記1・3)といった御業についてです。
 私たちには教会の門をくぐったり、洗礼を受けたり、新しい何かをはじめるときに自分なりの動機やきっかけがあります。いろんな出会い、導き、出来事があります。いずれも大切ですが、聖霊を軸に考えるとさらに大切なことに気づきます。
 そのはじめに神が事を起されていた。それを測りがたいものとしてキリスト者は受け入れます。時に口ごもりながら、時に迷いながらです。そして信じた通りに生きて歩んでいこうとします。そこに人の行き交いがあり、神の導きがあることを心の眼で互いに見ようとします。
 最初の聖霊降臨祭には異なる人たちがいて、その日の出来事にはつづきがありました。同様に、信仰生活には自分を超えて、他者がいて、相手があることに気づく時があり、使命や託せられたものがあることを心で受け止める時があります。それがなかったら教会や信仰生活は、片方の翼で飛んで行こうとするようなものです。初代教会でいえば、弟子たちや周囲の人で、聖霊が降った、恵まれたといって喜び祝い、やがてその人たちがいなくなれば終わってしまう信仰です。
 使徒言行録は人から霊へと視線を転じます。聖霊の行先へと自らの歩みを重ねてゆきます。2章12節のつまずきは、続く41節の教会の誕生へと跳躍します。「ペトロの言葉を受けいれた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2・41~42)。 使徒言行録は28章で終わりますが、この聖霊の働きは終わっていません。そのつづきが次の世代の人々によって担われ、さらに福音は手渡しされ、ここまできています。そのはじめに主の言葉があり、聖霊の導きがありました。宗教改革500年の時を刻むとき、「聖霊だけが教える」ものがあることを心に留めたいと思います。

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(42)

ルター研究所所長 鈴木 浩

「義」という言葉は、ルターにとって「つまずきの石」であった。「義」とは正しさ、正義のことなので、人一倍罪の意識が強かったルターにとっては、この言葉は「裁き」という言葉と直ちに重なった。「裁き」は地獄の永遠の炎をイメージさせた。
 修道会は、学歴が突出し、しかも真面目な修道生活を積み重ねているルターを新設のヴィッテンベルク大学の教師になるよう命じた。修道士には、上司からの命令に黙って従う他に選択の余地はなかった。
 旧約聖書学教授になったルターは、1513年から詩編の連続講義を始めた。朝の6時からの授業である。その間の事情は徳善先生の『マルティン・ルター』(岩波新書)に詳しいが、ルターはこの講義の際に、この「つまずきの石」に文字どおりつまずいてしまう。詩編31編2節(ラテン語版)でのことである。
 そこには、「あなたの義によってわたしを解放してください」とあった。「罪人である自分が神の正しさによってどうして解放されるのか」。彼にはどうしても分からなかった。
 しかし、長い苦闘の末に、この「つまずきの石」が「神学的突破」のきっかけとなった。

議長室から

「ルーテルはルターのこと」

総会議長 立山忠浩

10月はルーテル教会に属する者にとっては特別な月です。1517年のマルティン・ルターによる宗教改革が10月31日に始まったからです。
 2017年の宗教改革500年まであと2年と迫って来ました。この記念事業は、すでに出版物の取り組みなどは始まっていますので、購入いただいた方や学習会で用いていただいた教会もあることでしょう。
 今後の2年間の記念事業の活動の骨子がようやく確定し、これから具体的な動きが本格化して行くことになります。 第1弾として近々「統一バナー」が皆さんのお手元に届けられる予定です。全国の教会、施設、学校、幼稚園・保育園で、このバナーを2年間設置していただくことをお願いします。
 この宗教改革500年事業を行う狙いをいくつかの切り口で説明して来ましたが、より皆さんに理解していただくために、「教会の内」と「教会の外」と二つに分けて説明することにしました。
 「教会の内」とは、教会に属し、教会の内にいる私たちのことです。私たちは、ルーテル教会に属していることの誇りと感謝の思いを強める機会としたいのです。ルターの書物と思想を学び直し、彼が指差した聖書のまことの福音に出会う喜びを、一緒に分かち合うことを目指すのです。
 「教会の外」とは、教会、施設や学校、幼稚園や保育園を外から眺めている方々のことです。教会に限れば、私たちの伝道の対象であり、 教会に招きたい方々のことです。道行く方々に教会の門をくぐってもらうためには、まず教会の存在に気づいてもらい、さらに「入ってみようかな」という興味を持っていただかなければなりません。ここの狙いは、教会の外の人が門をくぐり、聖書の福音に出会ってもらうことです。
 もちろんこれは容易なことではありませんが、宗教改革500年の風は、私たちにとって追い風となるに違いありません。道行く方々の中には「宗教改革者ルター」の名前は知っている方も多いからです。でもそれが「ルーテル」という名とつながっていないのです。バナーによって、「ルーテルとはルターのこと」というメッセージが発信できることでしょう。私たちの宣教の第一歩となることを願っています。

「共に、未来を切り拓くために」第11回るうてる法人会連合総会報告

現地準備委員 髙橋睦 (東京老人ホーム)

 本総会は、「新しい宣教の展開」の先にある望む未来を、私たちは共にどのように切り拓いていくか、をテーマとして8月25~26日に、ルーテル学院(東京・三鷹)を会場に開催されました。 
 連合会会長である立山忠浩議長の「神の霊が宿る器として」と題する説教で幕を開け、基調講演は「少子長寿社会に求められる教育機関及び民間機関の役割~三鷹市での協働の事例からの期待~」と題し、三鷹市長であり、ルーテル学院大学客員教授でもある清原慶子さんをお迎えしました。三鷹市長として、未来に大きく明確なビジョンを掲げ、地域社会が一体となる協働を推進してきた実践とその成果をさまざまな例から示していただきました。法人会連合の課題解決に向けて、連携・協働を考えさせられる講演でした。
 初日後半は、まずルーテルグループの4つの法人の実践報告で、キリスト教精神を理念に掲げたそれぞれの活動実践と、望む未来の目標、さらにそこに向かう現在に取り巻くさまざまな課題が報告され、現実の厳しさを実感しました。望む未来の実現について、ルーテルグループはどのように取り組めばよいのか、さらなる議論が望まれましたが、続きは翌日の分科会に引き継がれています。
 レセプションでは、ブラウンホールを会場に、50名の参加者が自己紹介をして、和やかに交流が深められました。
 2日目、参加者は6グループに分かれ、それぞれの働きを踏まえながら、前日からの課題や未来について話し合い、相互に発表と話題共有がなされました。
 総会協議では、各法人会及び連合会諸委員会の活動報告がなされ、相互理解を深めた後、分科会からの提案や要望の実現に向けて、今後の各法人会・諸委員会、宗教法人などで検討されることが決議されました。
 次回連合会総会は、宗教改革500年の年になるため、宗教法人からは、連合活動を全国的に展開・推進する総会になること、そのための準備委員会を立ち上げること、さらに、記念のさまざまなキャンペーンを企画していることが報告され、連合会の協力が決議されました。また、次回の会場は九州ルーテル学院(熊本)を会場とすることが決定されました。
 2日に渡った報告、討議、課題の共有と祈りは、大柴譲治副議長による閉会礼拝で祝福を受け、「宣教共同体」として派遣され、それぞれの地域社会に新たに出かけて行きました。

認定NPO法人 「いわき放射能市民測定室 たらちね」について

プロジェクト3・11企画委員 李 明生

 東日本大震災での福島第1原子力発電所事故から約3ヶ月後、地域住民の願いによって「いわき放射能市民測定室 たらちね」が発足しました。発足に際してはNCC(日本キリスト教協議会)ドイツ教会関係委員会委員長の菊地純子さんが海外教会への支援の呼びかけに尽力され、JEDRO(日本キリスト教協議会エキュメニカル震災対策室)による最初の支援先となりました。ドイツをはじめ、北米、韓国、香港、オーストラリア、スイスの教会からの支援を受けて測定器が設置され、活動が開始されました。
 「たらちね」事務局は子どもを持つ母親達を中心に運営され、安全な食と生活を望む地域住民の求めに応じて、食材に内在する放射能の測定、人体の全身放射能測定、生活領域の土壌測定などを行い、そのデータを公開する活動が続けられています。
 地域の生活に寄り添う中で事実を明らかにし、内部被曝の問題に正面から取り組むことで、一人一人の不安を乗り越えてゆくことが目指されています。また子どものための甲状腺健診や、沖縄での保養プログラムの募集なども行われています。 2012年12月には認定NPO法人となり、現在も全国からの寄付金および会費によって運営がなされており、プロジェクト3・11も支援に加わっています。
 東日本大震災から4年余りが経過し、日本社会の中では震災と原発事故の記憶は日々薄れつつあるようにも思います。しかし原発事故の影響はわずか数年で解消されるものではなく、これから何年も何十年もかけて向き合ってゆかなければならない問題です。それは自然環境の中に残された問題であると同時に、被災地域に生きる人々の心にも大きな爪痕を残していることを私たちは覚えてゆくことが必要だと思います。

礼拝式文の改訂

18「礼拝式文の音楽」(その3)

式文委員 松本義宣

 中世の美しく華麗な「教会音楽」を司祭や音楽専門家が独占し、会衆はその視聴(とパンのみの聖餐)に終始し、いわば礼拝の傍聴者にすぎない時代の中で、ルターの宗教改革が起こります。詳細は省きますが、会衆も参加できる教会音楽の創出、専門家でなくても、音符や字すら読めなくても、聞いて覚え復唱して「神の奉仕」たる礼拝に主体的に参与することができるようになります。
 その際、すべて創作したのではなく、馴染みある伝統的な典礼歌の翻訳と改作、簡潔化から始まり、そこから、後に讃美歌に発展する「衆参歌=コラール」も生まれます。複雑な「ミサ曲」から、会衆も一緒に歌うための試みは、『教会讃美歌』231~235番にありますし、『讃美歌21』の86番はルター作の「神の小羊(アグヌスデイ)」です。同じく『讃美歌21』の25番(「小栄唱」=グロリア・パトリ)も、1524年の式文(ストラスブルク)で既に用いられたものですが、この二つは現在のドイツでも礼拝で用いられています。
 ただ、重要なのは、式文もですが、当然音楽も強制や規範化、固定化をするものではなかったということです。福音、神の言葉の中心性を中心に置き、後はそれぞれの教会が、地域や文化や伝統に従って、歴史的経過によってその時に相応しく整え、用いていくのです。
 そのような経過の中で、私たち日本のルーテル教会は、アメリカのルーテル教会の影響を大きく受けて「式文の音楽」を持って来ました。が、そのアメリカ教会も、移民国家として様々な影響下で成立、合同してきた経緯があります。 多くは北欧の教会に由来し、その北欧の音楽も、中世来のグレゴリオ聖歌やアングリカンの「チャント音楽」に起源があるようです。この小文で詳述はできませんが、現行の「青式文」Aに採用された、今最も馴染みのある音楽は、そのアメリカの「1958年版式文」から、以前の「茶式文」に採用されたものを、新たに編曲流用したもので、そのために現行の式文が広く普及するのに寄与したと思われます。Bは、近代以降の調性を用いた小節線がある「有拍音楽」でフィンランドに由来しています。Cは、この青式文のために日本的な旋法を用いて創作された新曲でした。
 さて、今回の式文改訂にあたり、多くの方々の関心と興味が音楽にもあるようです。結論からいうと、創作をお願いしているセットは幾つかありますが、結論は出ていません。というより、出すのは教会、会衆の皆さんというしかないのではないかとも思います。
 そもそも、現在、ほとんどの教会で用いているA、これも絶対ではなく、私たちの文化や現状から見て、そのままでいいのかという問題があります。また「日本語を歌う」、このことにも重要な課題が多々あります。式文を歌うとはどういうことなのか?そもそのAを私たちは正しく相応しく歌えているのでしょうか。せっかくのBやC、これも、その存在も知らない現状すらある私たちの「式文の音楽」。もっと自由闊達に様々なものを使用(試用)し、固定化ではなく「新しい伝統を造る」、私たちはまだその途上にあるのではないか、そう思えてしかたがありません。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(9)

江口再起

これまで、ルターの人の時を、7つの局面に区切って学んできました。  

(1)誕生(1483年、0 歳)―「近代」という時代の幕開け
(2)落雷(1505年、22歳)― 青年の危機(信仰の葛藤)
(3)塔の体験(1513年 ~1516年?、30歳ころ)―神の恵みへの開眼
(4)95ヶ条(1517年、34歳)―宗教改革運動の 開始
(5)ヴォルムス国会(1521年、38歳)―改革運 動の前進(「われ、ここに 立つ」) 
(6)結婚(1525年、42歳)―生きることは、山あり谷あり
(7)死(1546年、63歳) ―「それでも、リンゴの木を植える」

 さて、最後に全体をまとめておきましょう。三点あります。
 第一点、神の恵みがすべてだということです。「恩寵義認」です。
 第二点。人生そして信仰も教会も山あり谷あり、その中で人間は生きることも死ぬことも受けとり受け入れ、それでもリンゴの木を植える。「受動的能動性」ということです。
 そして第三点目。それはこの世界が「神のすばらしき創造の世界」だ、ということです。いろいろある、人生も信仰も教会も世界も。それでも人は生きてゆく、生きてよい(「受動的能動性」)。したがって、この世界はすばらしいということです。神が創造し、それゆえ救済してくださるこの世界。だからヒロシマとフクシマの後でも、明日はとても明るい日がくるのです。「恩寵義認」、「受動的能動性」、「神のすばらしき創造の世界」。ルターを学ぶということは、神の恩寵の下、明るく生きるということです。     (了)

第22回東教区宣教フォーラム報告

準備委員長 木村 猛

 東教区宣教フォーラムは、2017年の宗教改革500年を踏まえ、昨年から『宗教改革を語れる信徒になろう!』をテーマに開催しています。前回はこの「るうてる」にも掲載された江口再起先生のルターの信仰の人生をめぐる講演「マルティン・ルター、人生の時の時」でした。今回は、その第2弾として「礼拝にいきるルターの心」を学ぶことにしました。
 梅雨空の7月4日、会場の東京教会に120名余の信徒が参加しました。私たちの信仰生活の中心の礼拝が宗教改革でどのように変わり、今に続いているのか、そして、現在検討されている式文改訂案をどう考えるのかが興味深い課題でした。
 主題講演を担当してくださった松本義宣牧師から、当時の礼拝の様子と、ルターが提唱し、実施された信徒の礼拝参加、神への応答の賛美、祈りとしての讃美歌等々、今に繋がるルーテル教会の礼拝が語られました。500年続くルーテル教会の礼拝の成り立ち、その中に宗教改革の真髄である「信仰のみ、恵みのみ、み言葉のみ」が生かされ、式文によって伝えられてきたことへの理解が、参加者のアンケートの回答によって確認されています。
 検討中の式文改訂案に基づいた礼拝は、チャント(交唱)のメロディが完成していないので、言葉を唱えることによって進めました。アンケートの回答では、言葉を大事に受け取れた、おおむね良いというものが大部分であり、一部で順序(奉献の位置)について違和感があるというものがありました。500年を記念して、もう一つの式文が与えられることを感謝したいと思います。
 午後のワールドカフェ(6名単位の少人数での語らい)では他教会の礼拝の様子、信仰生活の披露で話に花が咲き、旧交をあたため、他教会を知る良い機会でした。また、ルターが作詞・作曲したいくつかの讃美歌を松本牧師の解説とともに歌い、音楽のルーテル教会を感じる一時をも過ごすことができました。
 次回は信仰の中心である「聖書」を取り上げたいと考えています。

「春の全国ティーンズキャンプ2016」 in 神戸 スタッフ募集のお知らせ

2016年3月28~30日に神戸市立自然の家にて開催される、「春の全国ティーンズキャンプ」をティーンズと一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。 募集するスタッフは、リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
 詳細は、以下のサイトよりご確認ください。 
http://the-next-g.blogspot.jp宣教室TNG委員会ティーンズ部門

ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 高垣嘉織(三鷹教会)

 第17回ルーテルこどもキャンプ「フレンドリーアイランド ~トンガ王国へようこそ~」が8月6~8日にルーテル学院大学にて行われました。今年は全国から小学5、6年生のキャンパーが26名、リーダーやスタッフ、ボランティアも合わせると総勢約60名の仲間と一緒に3日間を過ごしました。
 プログラム内容は「クイズdeトンガ」「トンガ王国体験ハイク」「トンガ王国クッキング」「トンガ人takaiさんファミリーのおはなし」など、出会う・考える・体験する・味わう・聞く・祈るという様々な働きを通して学びました。とても暑い中でのキャンプとなりましたが、こどもたちの笑顔がいっぱいの3日間となりました。
 キャンパーのみなさんには、ひとつ宿題を出しました。「あなたの大切なものは何ですか?」という宿題です。家族、ペット、友だち、命、神さま・・・ たくさんの大切なものを考えてきてくれました。私たちは、日々の生活に追われて自分の大切なものを忘れてしまいがちです。このキャンプでトンガ王国について学びながら、トンガに住んでいるまだ会ったことのない友だちが大切にしているものは何か、私たちの大切にしているものは何かを今一度考える大切な時間となりました。そして、最後の礼拝では、神さまの大切なものは何かを思いおこし、主題聖句の「我らは神の中に生き、動き、存在する。」(使徒言行録17章28節)というみ言葉から、それはここにいる私たちや、トンガにいる友だち、この同じ空の下にいるすべてのものなんだという思いをひとつにしたのです。みんなで神さまの恵みを分かち合うキャンプとなりました。
 また、こどもキャンプはジュニアリーダーとリーダーの存在が大きな力となっています。若い彼らにとっても、キャンプでの経験は信仰の糧となったことでしょう。彼らの尊い働きに、心から感謝です。来年ぜひ、”あなた”をお待ちしています!
 最後になりましたが、キャンパーを送り出してくださった各教会、教区のみなさま、スタッフのみなさま、そして神さまに感謝いたします。

全国青年バイブル

河田礼生(三鷹教会)

 今回のバイブルキャンプでは聖書について深く学ぶことができ、僕の聖書観や礼拝に対する考え方が大きく変わりました。
 僕は生まれてすぐ洗礼を受けたクリスチャンだったため、教会でいろんな人のお話を聞いてきましたし、大学でもキリスト教学科に属し、キリスト教や聖書について学んでいます。 また高校生までは、ティーンズキャンプにも参加してきました。しかし、今回のキャンプはそのどれとも違う新鮮な学びのときとなりました。
 まず旧約聖書を読むにあたって、今までは律法とか契約とか言われるたびにつまらなさを感じていたのですが、背景と結び付けながら読むと、これまでとは違ったとらえ方ができとても楽しく読むことができました。キャンプ後、旧約を読もうという意欲が掻き立てられました。
 また、講師の久保彩奈先生のお話しでは新約の世界観を変えられました。聖書の人物に自分を当てはめることはよくしてきましたが、自分の生活に聖書の出来事を結びつけることは、なかなかしてこなかったことでした。聖書の話を寸劇で再現することは昔からよくやってきたことですが、そのたびに新たな気づきや思いが生まれるので、とても良かったと思います。
 二日目夜の聖書黙想では一人で何度も同じ個所を読み、新しい発見をしたり、細かい疑問を見つけたり、また学んだことを実践してみたりととても有意義に過ごせました。とても長い時間をとっているなと思ったのですが、足りないくらいでした。ただ黙想の後にもう一度意見を提示する時間が欲しかったと思いました。同世代のクリスチャンと学べたこのキャンプはとても有意義でした。このようなキャンプに参加できたことを神に感謝いたします。

「卒寿」 なお「現役」

市丸清江、太田基、清野智佳子 (藤が丘教会)

「わたしは、皆さんのお支えのおかげで、教会へ通い続けられていられるのよ」そう語る田中易子さんは、2月23日に90歳のお誕生日を迎えられました。田中さんのクリスチャン人生は、そのまま教会オルガニストの人生であり、藤ヶ丘教会の礼拝には、いつも田中さんの姿とお働きがあったのです。教会の玄関には、ずっと以前から田中さんの描いた絵が飾られていて、皆さんを優しく迎えています。 藤が丘教会の30年以上の歩みと共に教会生活を守られ、今なお自在に讃美歌を奏でてくださる現役のオルガニストですが、その田中さんが話してくださったエピソードをご紹介しましょう。
 1925年(大正14年)、熊本生まれの田中さん。時が時だけに、軍国少女へと育てられたそうです。10歳の時に右ひじを骨折し、そのあと指が動かなくなり、ご両親も田中さんも困っていた時、教師であったお母様のオルガンで覚えたての唱歌を歌っていたら、少しずつ鍵盤に触れる指が動いたそうです。お母様は大変喜ばれ、すぐピアノの先生を探してくださったとか。一時期は、神水教会のチーフオルガニストからも、ピアノの指導を受けていたそうです。お母様の友人がクリスチャンだったことから、女学校時代にはお母様に連れられて聖書研究会へも出席しました。
 その頃、神水教会の牧師であった太田先生のご子息で、現在は藤ヶ丘教会会員の太田さんは当時中学生。若き日の田中さんが、お姉様と同じピアノ教師に習っていらしたことを覚えています。
その後、女学校から芸大への進学を目指した田中さんですが、時代と人々の考え方は若い田中さんの味方をしてくれず断念。その後、結婚と同時に西宮へ。でも教会とのつながりは絶えることなく、出産の際には牧師家庭のご協力を受けて、天王寺にいらしたこともあったそうです。
 ご伴侶の転勤で上京。落ち着いたところは大岡山教会の一本裏の通り。「神さまは行く先々で、いつもうちのすぐそばに教会を用意していらしたの。」そう話す田中さんは、27歳で受洗。以後、大岡山教会で長くオルガニストを務められ、藤ヶ丘ではピアノ教師として自宅で指導にあたりながら、献堂当時から教会を支え、毎週の礼拝に与りました。田中さんのご奉仕に改めて感謝すると共に、田中さんにすばらしい才能を与えてくださった神様に感謝します。
 2月15日の女性会の席上では、教会員の水野さんの手による紅白の絹地の折鶴と、皆さんからの寄せ書きのお祝いカードが、卒寿のお祝いとして送られました。ご自身について、いつも控えめにお話しになる田中さんを、同席された方々は、人生の素晴らしい先輩と受け止めたことでしょう。
 「卒寿」という言葉に相応しく、「子どもたちのことは、もう何も心配していないの。毎日、心穏やかに暮らしているのよ。」と優しくお話しになる田中さんは、立派に親業を遂げられ、思い煩う人生を卒業され、信仰生活の総仕上げの時期を迎えられたのですね。
 文頭の言葉にあるように、礼拝への送り迎えをお手伝いする者にも心を砕いてくださる田中さん、クリスチャンのお手本の田中さん、そして先輩オルガニストの田中さん、いつまでもますますお元気で「現役」でいらしてください。

関連記事