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るうてる2007年

るうてる2007年3月号

機関紙PDF

常議員会

2月常議員会にて、人事が確定し、それに伴い、新任教師及びJ3の派遣先が発表され、それぞれ紹介されました。
 2月19日(月)~21日(水)にかけて、東京・市ヶ谷センターにて、第22回総会期第3回常議員会が開催されました。主な報告事項としては、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)、日本福音ルーテル社団(JELA)との3者協議が積み重ねられていることが報告されました。本教会常議員会は年に3回開かれますが、なかでも2月の常議員会では、人事が確定するという重要な意味をもっています。
 3日間にわたる常議員会の2日目は、毎年、人事の発令と新任紹介がされました。
 新任教職として神崎 伸氏(武蔵野教会出身)と中川俊介氏(津田沼教会出身)が紹介されました。また、新任のJ3として3名の方が紹介されました。
 マシュー・ガードナー氏及びセーラ・ローン氏は九州ルーテル学院、パメラ・サーセン氏は本郷学生センターへの派遣となります。
 それぞれのお働きのためにお祈りください。

死の向こうにも明かりが…  ~ある死刑囚との交流~

2004年8月、刑務所の中の図書館で借りた本にあった「未来山脈」(垣内氏が編集発行人を務める短歌誌)の「現代口語で短歌を作ってみませんか」という広告が目に留まり、「現代口語」と「未来山脈」という言葉にひかれたと、お手紙が届きました。早速、返事を出し、新聞に書いていたエッセイを同封しました。そのエッセイに「人の人生は90年、だが活字は一生のもの」とあり、その言葉にうたれたという返事がきました。
――歌集「終わりの始まり」のあとがきで岡下氏は次のように書いています。「死刑判決を容認するか、死刑制度の廃止を声高に叫ぶか悩み続け、そのせめぎ合いの中で何かに没頭してみたい、何か本気で打ち込めることはないかと模索していた時、一冊の短歌誌『未来山脈』で巡り合いその文字に心が大きく動かされた。~また、その時に同封されていた~「短歌づくりは未来を見据えると面白いものである。未来とは、人の命はせいぜい90歳か長くとも一世紀である。しかし、短歌は死の向こうにも明かりが灯っている」目に止まったこの記事に私の心は釘付けとなった」――
これ以降、毎月十首が送られ、「未来山脈」に掲載することになりました。
やり取りを始めた頃の作品は、めそめそしたような内容でした。控訴して世の中に早く出たいというニュアンスが強かったのですが、短歌を深めたり、手紙のやりとりをする中で、罪をわびたり、それまでの心の苛立ちが消え、穏やかになっていったように感じられました。やりとりの中で聖書を送ったのですが、それから特に急速な変化がみられるようになり、刑を穏やかに受け入れるようになっていく様子が伝わってきました。
朝6時に独房の時計が止まると、その日死刑が執行されるそうですが、「今日一日は行きながらえる」という手紙をいただいたとき、一日一日を緊張感の中で生きている様子が伝わってきました。
数ある作品の中で印象に残っているものは、「獄舎にもあるささやかな幸せ 米粒ほどの蜘蛛が顔を見せたとき」というものです。この歌を見たときは、小さな蜘蛛にも命を感じる人がどうして人を殺してしまったのだろうと、感じましたが、刑務所の中での心の変化を感じました。また、小さな独房で変化のない環境の中で、次々と歌が出来るものだと感心しました。その後、歌集を作ることになると、十首以外にも送ってきました。新聞では350首となっていますが、実際は650首に上ります。
終わりになりますが、刑務所から歌を作りたいということに正直驚きました。しかし、基本的に殺人犯であろうが、総理大臣であろうが、短歌を作りたいという点では、それぞれ魂のある同じ人間です。特異な中で歌を作ろうとしているのにびっくりもし、ぎりぎりの中で歌を作られることに感動もしました。平凡という中で、穏やかに暮らせるということは幸せがあることを改めて知る経験でした。
独房に長くいると、精神的に追い詰められる人が多いと聞きますが、岡下氏は歌を作ることと聖書を開くことで、死の向こう側に希望を見出したことはよかったと感じています。
(写真)詩集(岡下香歌集『終わりの始まり』)を手にする垣内氏

クリスチャンのライフカレンダー

~20歳を迎えたあなたへ~

 10歳まで生きられたら奇跡だと言われたあなたが20歳、成人となる日を迎える事が出来るなんて! 何という喜びでしょう。
 ここまで成長させて頂けたのは、たくさんの人に愛され、祈られてきた証しです。恵みをいっぱい受けて、今まで守られて来て、大人の仲間入りをしたあなたは、神様と社会に対して責任と使命を果たしていかなくてはいけません。
 言葉では難しく聞こえるかも知れませんが、ハンディのあるあなたにとって、とても簡単な方法を伝授しましょう。あなたはあなたのままで、大好きな神様に全てを素直におゆだねすれば良いのです。すでに、私たちは皆、善い業のために神の完成品として造られています(エフェソ2:10)。たとえそれが人間の目から見て、不完全であったとしても、存在そのものが責任であり、使命なのですよ。まずそれを知る事が大切です。これからのあなたが、神様にどのように用いられて行くか、とても楽しみです。

information

春キャン、申込み最終受付!!

 今年の春の全国ティーンズキャンプは、3月27日(火)~29日(木)にかけて、千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)にて開催されます。
 申し込みは、まだ間に合います!
 うっかり、申し込みを忘れていた方、やっぱり行こう! と思った方、今すぐお申し込み下さい。
申し込みは千葉教会、佐藤先生まで!
メール kz-sato@jelc.or.jp
FAX   043-244-8018

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 大森教会 牧師 勝部 哲
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
伝道の書12章1節(口語訳聖書)

私は聖公会のクリスチャンホーム3代目で育ちましたが、先の終戦直前生まれで、直ぐに疎開したために聖公会の洗礼を受けずにいました。昭和24年に疎開から引き上げた頃、聖公会の教会が遠かったために近くにある焼け残った旧大阪ルーテル教会(現在の天王寺教会)の教会学校に通っていました。訳も分からずにクリスチャンホームの子として当然のごとく教会学校に親の意向で通わせられていました。
 戦後復興という時代が終わった頃、気がついたら小学校や中学校に進むにつれ、幼馴じみは別にして友達というものがあまりいないことに気がつきました。その原因は、私たちの直ぐ後に続く「団塊の世代」に終われるような「受験地獄」に突入していた頃で、日曜日は友達のほとんどが「習い事」や「学習塾」に行っており、毎週ノンビリと教会学校に通っていた私は置いてきぼりだったのです。両親は教育熱心ではなく自由主義の生活を是としていたこともあって、私は徐々に教会学校から離れるようになりました。受験戦争の中、友達を得たいがためでした。また親に対する静かな反抗心が沸き起こり、キリスト教会は何の役にも立たないと思い始めた頃でもありました。そして「60年安保闘争」に巻き込まれ、学業よりも学生運動に飲み込まれてしまいました。
 結果は見事なもので挫折感を味わう結果に陥り、気がついたら私は一体何をしてきたのかと自分の人生を恨む生活になりました。大学受験は中途半端なもので一浪を余儀なくされ、友人達はそれぞれに成功してゆく中、自分一人だけがポツンと時代に取り残されたような感じを経験しました。それからというものは、猛烈に「人生とは何か」、「人は何のために生きているのか」、「この世どのような生き方があるのか」と貪るように哲学書や文学書などを読み漁りました。正直言ってその頃、生きるのに苦しかったと言えます。その苦しい時に母親だけが私の苦しみを知り抜いていたのです。ある日、ぽつんと「聖書の中にある伝道の書とヨブ記をしっかり読み直しなさい。ここにあなたが求めている答えがある。」と言いました。もう後は語る必要がないと思います。
 私はその時に救われたのがこの伝道の書の聖句です。当時16歳でした。直ぐに天王寺ルーテル教会の第1号の洗礼を受けました。自分の事を誇示する積もりはありませんが、今の若い世代の人には、是非、奨めたい聖句です。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東教区 保谷教会 信徒  安部 晴夫
キリスト教との出会いは?
1953年、小石川教会にてハイランド宣教師から洗礼をうけました。大学生の時バイブルクラスに参加し聖書を学んでいる内、教会の礼拝にも出席するようになり受洗へと導かれました。
保谷教会との出会いは?
 教会は居住地に近いほうが良いと考えます。教会が近ければ礼拝や行事、そして奉仕活動に出やすいからです。結婚後、関西に転勤になった時は豊中教会に籍を移し、そこで妻雅子が園田先生から洗礼を受けました。その後東京に移り田園調布教会に、また八王子に転居した時は八王子教会に転籍しました。そして、20年ほど前、現在の場所に自宅を構えた際、当然のこととして、一番近い教会である保谷教会に5回目の転籍をしお世話になる事となりました。
 保谷教会は決して大きな教会というわけではありませんが、ご家族やご夫妻で見える方が多く、また信仰の先輩方もおられ色々ご指導して頂き、私にとってはとても良い教会だと思っております。
阿部さんにとって教会とは?
 教会がなければ私の人生はないと思っています。現実、私が今生きていることは教会に繋がっていればこそと思っています。私は病気とずっと闘ってきました。初め腎臓ガンに冒されました。その時、自分は本当に死ぬと思いました。当時医者はガン告知をしないのが一般的でした。しかし、術後8年間治療を受け完治したのですが、その治療から妻も私も病気がガンであることを理解していました。平成9年、ガンは再び私に襲い掛かり、右肺に転移し手術、そして翌年は左肺をもガンに冒されました。病との戦いの中、ハワイアンと出会い仲間達と音楽を楽しむ時期もありましたが、ガンで仲間が次々と亡くなっていった時、自分が生き残っていることを本当に深く実感しました。教会に繋がっていなければ信仰は薄まってしまうと思います。私は人間の思いではなく、神様の思いに従いたいのです。だからいつも教会に繋がり、教会の礼拝に出席することを大切に考えてきました。そして、自宅から一番近い教会に転籍してきたのです。
信徒として生きるとは?
 教会には色々な方がお見えになります。しかし、礼拝堂に入り信仰を告白し思いと言葉と行いの罪を懺悔し福音の説教を与えられ聖餐にあずかることが出来る、これが教会の素晴らしい点だと思います。聖日には極力礼拝に参加すること、これが信徒としての努めであり、また信徒として生きてゆく最も大切なことと考えます。

求道者の旅24.ケネス・J・デール

第24回(最終回) 成長し続ける事

 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」
(創世記32章25~27節)

 族長ヤコブから使徒パウロにいたるまで、聖書の中には神との関係を求める人々との間に葛藤する話があります。讃美歌、祈りはクリスチャン人生における霊的闘いについて多くを語っています。

 過去2年に及ぶコラムは、神の性質、ご意志、人生における働きをより深く理解しようとする私自身の格闘でした。ルーテルの教義では、私達の奮闘ではなく、神の一方的御心により救われている事は明白です。しかし、神が私達の中に働きかけてくださるチャンスを持つために扉を開けないと神に冷淡で無関心になってしまうのです。
 日本の読者の方々と24回にわたり求道の旅を分かち合うことをお許しいただいたルーテル編集部に対して深く感謝します。日本の教会に対してこの連載を書くことを依頼されたことは真に名誉な事でした。45年間、私達が愛し仕えて来た教会につながることができて本当にうれしかったです。
 またこのコラムを読んで下さったすべての方に感謝します。40年近い間に異なる時間と場所で書いたものですから、一貫性や関連性に欠けていたかもしれませんが、クリスチャン信仰の深い核心的論点に取り組む一助となることを心より希望します。コラムに関して何かご意見がありましたら編集部に送っていただければ幸いです。4月に日本に滞在している間に伝えていただきます。
 最後に上村先生に深く感謝します。私の代弁者として勤勉に、忠実に訳してくれました。有り難う、先生!
 原本は私の著書 A Seeker’s Journalですが、可能であれば将来日本語で出版する事を考えております。
■翻訳者より一言■
 デール先生の貴重な記事を翻訳させていただいたことを心より感謝します。優しい微笑みの中に鋭い洞察があり、私自身はっとさせられる事がありました。完訳を急ぎ、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。(上村敏文)

※デール先生の「求道者の旅」は今回を持ちまして終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

詩編を味わう 礼拝こそすべて

角笛を吹いて/神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて/神を賛美せよ。……
息あるものはこぞって/主を賛美せよ。
ハレルヤ。
詩編150編3~6節

—–賛美とは
 詩編150編は、「小さな聖書」と言われる詩編全体の結びとでもいうべきものです。神を賛美せよとのフレーズが11回にわたって繰り返されることからも分かるように賛美こそ聖書の終わりを飾るにふさわしい形であることを明らかにするものです。
 神を賛美するとは、信仰者の信仰の応答の行為すべてといってよいでしょう。賛美というと賛美歌を歌うことだと考えがちですが、それだけが賛美ではありません。信仰告白であり、祈りがあり、悔い改めがあります。神への感謝、嘆きの訴えもまた賛美のわざに数えられます。讃美歌の歌詞を読めば、何をもって賛美の中身とするかは歴然としています。
 賛美は、わたしたちが聖日の度に守る礼拝においてもっともよくその行為が表明されます。だから、三位一体の神を告白する教会であれば、どこであれ礼拝をしないところはありません。教会は長い歴史の中で、賛美を礼拝という形に整えてきました。礼拝は最高の賛美の形なのです。そして、わたしたちはそれ以外の形で神を賛美する方法を知らないのです。
 しかしながら、天上の教会においてならいざしらず、残念ながらこの地上の教会では賛美の礼拝が常に完全であるとはいえません。肉において生きている間は、賛美は神に最もふさわしい行為であっても、なお欠けた部分を抱えています。ルターは教会の歴史上最大の殉教者は主の祈りであると申しました。主の祈りを毎週のように礼拝の中で祈ります。しかしながら何を祈っているのか分からないようにもごもごと祈ったり、口早に祈ったり、考え事をしながら祈ることもあるでしょう。主の祈りがそれほど乱暴に扱われているのを、ルターは嘆いているのです。あるいは牧師の説教を半分居眠りをしながら聞いていることだって珍しいことではありません。肉の弱さをあげつらえば切りがありません。

—–すべてをあげて
 肉の弱さをよく知る真の信仰者は、どれほどの賛美であっても神のわざをほめたたえるのに十分でないことを知っています。ですから、持てるものすべてをもって神を賛美し、足りないところを補うのです。詩編作者は、持てる物すべてをもって賛美する信仰者の姿を、「角笛を吹き、琴と竪琴を奏で、太鼓に合わせて踊り、弦をかき鳴らし笛を吹き、シンバルを鳴らして」(3~5節)と表現しています。神への賛美は、言葉だけのものではありません。持てるものすべてを用い、体を使うのです。生きている者はすべて、そのような賛美に参加するのです。それこそがこの地上における最高の賛美です。
 音楽の教会と言われるルーテル教会は、賛美に溢れた礼拝を式文という形にして所有しています。この礼拝の豊かな賛美をわたしたちはもっと享受してよいのではないでしょうか。肉の弱さでこの賛美を貧しくしてはいけません。「角笛を吹いて、神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて、神を賛美せよ。……息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ」とは、礼拝の式文をもって賛美をするわたしたちの姿であります。わたしたちの礼拝の形は長い歴史に洗われて今日見るような形になりました。一朝一夕でこの形ができあがったわけではありません。先人たちの信仰の知恵が凝縮しています。詩編が語る神への賛美は、毎週の式文の中にすでに織り込み済みであることを知りたいと思います。

—–式文で養われる信仰
 わたしたちの信仰はこの式文の賛美に包まれ洗われて成熟していきます。式文を教会の殉教者とすることなく、むしろ証人にしていっそう成熟した信仰者の姿を表明したいものです。礼拝はわたしたちが信仰共同体の一員であることを表わします。その礼拝での賛美は、わたし個人の賛美に終わらず、互いの賛美が重なり合い、響き合って、隣人の信仰を養います。たとえわたしの賛美の声は小さくとも隣人からは大きく聞えるように礼拝では整えられているのですから。
(かくしゅういち)

※賀来先生の「聖書研究」は今回をもって終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

jelc.TV 活用術

「るうてる」2006年8月号でも一度紹介しました、インターネット配信「jelc.TV」。番組も充実してきましたので、改めて視聴方法をご案内いたします。
「jelc.TV」 TOP画面←赤い文字の番組が閲覧可能番組です。その下の「Win」「Mac.ipod」の文字(番組によっては「前編」「後編」の文字)をクリックします。
すると再生ソフトが起動して自動的に再生されます。

番組紹介LAOS講座
・LAOS講座を執筆された先生方が、各号の内容を分かりやすく解説してくださっています。
・約45分ずつの、前編・後編に分けて編集してあります。
・教会での勉強会や、個人でもご覧いただき、学びの助けになると思います。
・インターネットをお使いにならない方のために、DVDにして貸し出しをしている教会もあります(次回ご紹介予定)。
・3月末までに、全巻の閲覧が可能になるよう、作業を進めております。
■jelc.TVにて閲覧可能な講座  創刊号、2,4,5,6号
■ただいま編集中 第7,8号(前編)
■これから収録
第1号(浅野直樹先生):日程未定
第3号(江口再起先生):3月25日@横浜教会
第8号後編(石居基夫先生):日程未定

議長に一問一答

Q.どのような施策をもって教会共同体を推進されましたか。
A.教会共同体は、教会の再編案の一つとして生まれた教会の行政単位です。その再編は、教会がもっている総体としての力を教会の外に向って有効に発揮させることを目的に行おうとするものです。
 この教会再編策そのものが、各個教会の自主性に基づくものでなければなりませんので、各個教会にこの施策の意味を浸透させることに努力しているところです。誰かが決めたことに従うということではなく、自分たちの教会の歩み方として、教会共同体を形成するという動きが生まれることを期待しています。
Q.その施策によってどのような変化がみられましたか
A.地区や教区での教会共同体を論じる場で、ある代議員から次のような意見が出ました。
 「教会共同体を形成するメリットは何かとよく言われるが、自分の教会にとってのメリットは何かと発想していたんでは、この教会共同体の意味は出てこない。自分の教会にとってのメリットではなく、そこで考えられている教会共同体全体にとってのメリットは何かを考えるべきだ」と。
 福音のもつ力を福音のもつままに教会の外に発揮させたいという思いで推進してきたこの計画ですが、ようやくここまで来たか、と思わせられたご意見でした。気長に、この計画と取り組んで行きたいと思います。

神学セミナー

現代日本のスピリチュアリティー 第41回教職神学セミナー開催

 2月13日(火)~16日(金)東京・三鷹のルーテル学院大学・神学校で第41回教職神学セミナーが開催された。ルーテル教会3教派から31名の参加者(当大学教授含)に加わって大勢の信徒が受講した。 基調講演で江藤直純氏(日本ルーテル神学校長)は「伝道へ:現代日本のスピリチュアリティー」と題して、スピリチュアル・ニーズ、霊性と伝道等基本的な事柄について説明した。
 外部から招かれた四人の講師が次の講演を通して日本の原状を描いた。菅原伸郎氏(東京医療保険大学教授):「なぜ寛容でなければならないか」、名取芳彦氏(真言宗豊山派布教研究所研究員):「仏教の布教活動」、島薗進氏(東京大学大学院教授):「現代日本の宗教事情」、掛場一彰氏(立正佼成会驚愕委員会委員長):「法座の今」。他の宗教団体の布教も困難であり、現代日本人は宗教団体に属しないで、直接“超越者”に向かっているという神秘的な傾向が強い。
これに対して、ルーテル神学校の教授たちの聖書研究、講演と各礼拝の奨励は、力強いメッセージで、新鮮な気持ちでしっかりと、私たちに預かった大事な福音を語り続けるように励まされた。
 教職神学セミナーはあと2年続いて「伝道」をテーマにする予定。

まきばの家 竣工式

 2007年1月24日に静岡県袋井市にあるデンマーク牧場において、児童養護施設まきばの家の竣工式が行われ、130名の参列者がその完成を祝った。
 会食の部では、こどもの家のスタッフ、まきばの家に内定したスタッフ、前日から駆けつけた教会関係のボランティアなどが総出で作り上げたデンマーク牧場特製の料理に参列者は舌鼓を打った。4月から虐待を受けた子どもたちが入所してくる予定で、デンマーク牧場の新たな挑戦が始まる。
(まきばの家・施設長加藤正幸)

伝道セミナーのお知らせ

 第13回伝道セミナーは、広島県の宮島を会場に5月3~5日の日程で開催されます。
 今年度の伝道セミナーは、伝道について考えるというよりも、むしろ信徒大会的な催しとして企画されています。
 テーマを「いやし」として《礼拝がいやし》という題で賀来周一先生を講師にお招きして主題講演をいただきます。
 またルーテル学院大学からジェームズ・キャロル・サック夫妻をお招きしてハープ演奏による礼拝を楽しみます。
 またゴスペルシンガーの森祐理さんをお招きしてコンサートを聴きます。
 3日間、そのような豊かな礼拝を6回行い、のんびりした時間の中で時を過ごすプログラムになっています。
 みなさまのお越しを心よりお待ちしています。

訃報 

 谷川 辿 様(谷川 卓三牧師のご尊父様)が1月26日午前7時30分頃、召天されました(享年88歳)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

住所変更

 引退牧師の門脇聖子先生が、3月15日より左記の住所に転居されます。
〒665-0025 兵庫県宝塚市ゆずり葉台3-1-1A215

春キャン準備報告

 第15回春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)のご案内は、左のポスターと共にすでに各教会に配付されています。今年は、1月中の申込者は割引をしたこともあって、例年より早いペースで申込みが寄せられています。申込書に記されている参加者の声を読んでみますと、キャンプに対する期待の高さを知らされます。
 それに応えるためにも、迎えるスタッフも準備をしています。2月11日(日)~12日(月)にかけての2日間、田園調布教会を会場にスタッフ研修会を開催しました。目的は、スタッフが互いに知り合うこと、キャンプのねらいを共有すること、そしてリーダーの働きについて知ることなどです。
 スタッフ一人ひとりは、こうして祈りを一つにし、心をあわせて、ティーンズの参加を待っています。どうぞ、皆さんの教会からもお送りください。

教職授任按手式

 3月11日午後7時より東京教会にて教職授任按手式執り行われます。どうぞ、ご参集ください。

*****
『るうてる』が変わります
 来月4月号より、「るうてる」がレイアウト、内容ともにリニューアルします。
 4月号は4月8日頃お届け予定です。どうぞ、ご期待下さい。

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