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るうてる福音版2010年4月号

機関紙PDF

心の火花

「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びをわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。」 詩編51 編1 2̃14節

子供のとき、母の古びた車に乗っていたときのことでした。途中でどこかの店に寄り、再びエンジンを掛けようとしたところ、とうとうエンジンが掛からなくなったのです。母が何回キーを回してもエンジンはなかなか掛からない…。隣に座っていた、当時子供だった私は、「どうしよう…」という不安と共に、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。うちの車は何でこんなに古いんだろうと、新しくて格好いい車に乗れない現実を悲しんでいたそのとき、ある人が現れました。
「何か困っているんですか?」と話しかけてきた見知らぬおじさんは、ついにボンネットを開けてあちこち触ります。すると嘘のようにエンジンが掛かるようになり、母はお礼を言いながら言いました。「これでエンジンはもう終わりかなと思いました」。そのおじさんが去っていくとき言った言葉を今でも覚えています。「どんな車でも小さな火花さえ起こすことができれば、少なくとももう1回 、エンジンは掛かりますよ」。  一枚の写真のように私の印象に残っている出来事。その中で聞こえてきた、見知らぬ、あのおじさんの話は、実は車だけに限らないことかもしれません。
小さな火花。もし私たちの中にもそのような火花があるなら、どこででも新しい出発をすることができるのです。今の自分は新車なのか中古車なのか。値段はどれくらいで、どれくらい動けるだろうか。今、自分がいるのはどんな場所だろうか、走り易い道なのか、困難な道なのか。実はそれらよりもっと大事なのが、まずエンジンが掛かるための新しい火花が自分の心にあるかないか…ではないでしょうか。
暖かい風が吹き、新しい命が芽生える春、新しい年度が始まり、新しい人々と出会う4月 を迎えました。私たちの心の中にも、暖かい風と共に新しい火花を起こす、神様からの新しい霊が与えられますように。それが「今」を生きるための自分のエンジンになりますようにと祈りながら、また訪れる新しいときを迎えます。 Bon

いのち、はぐくむ

第13回 まことのことば

中井弘和
『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。』(ヨハネによる福音書1章1-4節)

「まことのことばはうしなわれ、雲はちぎれてそらをとぶ、ああかがやきの四月の底を、はぎしりもえてゆききする、おれはひとりの修羅なのだ」。宮沢賢治の有名な詩『春と修羅』の一節です。この詩が作られた日付は1922年4月8日となっています。生命が躍動を始め、空気が澄み渡るまさに声明の節気のころです。釈迦が誕生したとされる花祭りの日であり、イエス・キリストの復活の季節にも当たります。時代はといえば、大正ロマンと称された風潮に、世界大恐慌や満州事変など、第二次世界大戦へと繋がっていく兆しが陰を落とし始める時機でした。
私は、中学校時代の恩師の影響を受けて、詩人であり、農民と共に生きた農学者でもあった宮沢賢治に強く惹かれるようになりました。それが農学を志した大きな動機でもあります。今も、折にふれて、深く広いその魅力ある世界に触れていますが、なお、多くの言葉の全貌を読み取ることができないでいます。『春と修羅』で重ねて表現される「まことのことば」もそのひとつです。しかし、この言葉の前にたたずむ時、いつも冒頭に挙げた聖句が浮かんでくるのです。
賢治の詩や童話を紡ぐ言葉からは、悲しいまでに、いのちに寄り添う精神が伝わってきます。彼の共感は、農民をはじめ、小さな虫や草花のいのちにまで及びます。「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という賢治のよく知られたメッセージには、人間のみならず植物や動物、すべてのいのちがその視野に入っていたことは確かです。「まことのことば」とは、いのちに寄り添い、いのちを創る言葉といってよいでしょうか。戦争と破壊に向かう時代の空気の中で、「まことのことばはうしなわれ」とうたった賢治の孤独な姿が浮かび上がってきます。
聖書は、「光あれ」という神の言葉によって光が創造されるところから始まります。初めにあった言葉は、今もなお地上のあらゆるいのちを再生し、創造し続ける希望そのものであるに違いありません。イエスは、その言葉の具現、あるいは言葉そのものであると証しする聖書が人類にゆるぎない希望を提示していることはまた当然のことでしょう。時はちょうどイエス復活の季節です。私たちは、今、一人ひとりが自らを変え、まことのことばをもって、いのちの危機に瀕しているこの惑星を蘇らせる生き方を選び、実践していきたいものです。
中井弘和
静岡大学名誉教授 農学博士

聖書のつぶやき

「まっぴらごめん。神様からも逃げちまえ。」

ヨナ書 預言者ヨナは、神様から異邦人の街ニネベに悔い改め説くように遣わされます。命令を受けたとき、ヨナは逃げてしまいます。大きな魚に飲み込まれた話しは有名です。最後は神様の御心がわかるという話です。 神様から与えられた使命から、時として私たちは逃げようとします。自分はそんな器でないと謙遜します。しかし、神様は「あなた」を選ばれたのです。神様に選ばれたのですから、すべては備えられています。必要のない謙遜は罪になることがあります。結局、神様からは逃げられませんよね。
イラストレーション:FernandoFUJIWARA(ブラジル・サンパウロ教会会員)

園長日記 毎日あくしゅ

「新しい出会い」

春爛漫の4月となりました。
この熊本の地、玉名でもチューリップやスミレなどの可愛い草花が咲き乱れる中、入園式を迎えます。
神様が与えて下さった一年の中で最も彩り鮮やかな季節に、入園・進級を迎えることは、どんな出会いがあるだろうと私たち職員はうきうきとなります。
けれども、新しく入園されるご家庭は、初めての環境に戸惑われたり、キリスト教保育とはどんなものなのかご存知ない方が多いのです。保護者も期待と不安がいっぱいならば、子どもたちはなおさらのことでしょう。当園初代の園長、藤田みち先生は、「私たち保育者は子どもたちの添え木とならなければならない」と常々言われていました。この頃の入園式には両親で出席されるご家庭が多くなりました。二人で子育てをする若い夫婦の姿を見ていると、私たちも添え木となってご家庭を支えていけたらいいなと思います。
春はイエス様の復活祭、イースターを迎えます。幼稚園では、入園式にイースターの案内をします。それは、新しく入園した子どもたちのために教会学校のイースターを入園後の日曜日にさせていただいているのです。そこで、初めてイエス様に出会うのです。イエス様に出会い、神様を知り、お祈りも覚えていきます。
教会学校のイースター礼拝には、毎年子どもたち(幼・小合わせて)70名前後、大人も入れて総勢120名程になります。沢山の方々と一緒にイエス様の復活をお祝いできることは、本当に嬉しいことです。
子どもは、素直にイエス様のこと、神様のことを受け入れていきます。聖書の中にも「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と書かれています。私たち大人も見習う必要があるかもしれませんね。
この幼稚園に来て、色々な出会いを経験する子どもたち、保護者の方々と共に、この一年も神様のお守りの中で、すくすくと成長することを願いながら、また、そこに携わって下さる先生方の上にも神様のお支えとお導きを祈りながら過していきたいと思います。
玉名ルーテル幼稚園園長 中島千麻子

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