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バイブルエッセイ

喜びなさい。大いに喜びなさい。

「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

(マタイによる福音書5・11~12)

 全聖徒の日、私たちは、恵みにより、十字架と復活の主イエス・キリストの信仰によって救われた人。つまり、主に信頼して、主と共に歩みを起こし、御言葉に従い、この地上の生涯を生きて、神様の御元に召された人々を思い起こします。そして、神様が、その人々を通して、私たちに与えてくださった恵みに感謝して、主を賛美し、祈るのです。
 私たちより先に、天に召された人々は、どのような人たちだったのでしょうか?皆さんには、それぞれ様々な思い出があると思います。天国の喜びに招き入れられた人々について、聖書は何を教えているのかを聞きましょう。
 マタイ福音書5章に記されている山上の説教の冒頭で、主イエス様は、八つの「幸いである」ことについて語られました。「心の貧しい人々」(3節)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節)、「義に飢え渇く人々」(6節)、「憐れみ深い人々」(7節)、「心の清い人々」(8節)、「平和を実現する人々」(9節)、「義のために迫害される人々」(10節)は、「幸いである」と、主はいわれたのです。
 これらの幸いに、先にみもとに召された人々を、当てはめることができると、キリスト教会は、ずっと教えてきました。皆さんの家族や親しい人々も、いずれかの幸いに適合していると思います。
 実は、主イエス様が教えてくださった、これらの幸いは、主ご自身の生き方そのものだったのです。ですから、それが私たちに当てはまるということになります。使徒パウロは、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(2コリ3・18)と証言しています。
 つまり、主なる聖霊の働きによって、クリスチャンは、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられ」るのです。ですから、主なる聖霊を内に宿したクリスチャンは、この地上での一生を、「主と同じ姿に造りかえ」られつつ、最後まで生きて、その幸いな人たちが、主のみもとに召されるのだといえます。
 ここで、私たちの救い主、神の子イエス・キリストの生き方に注目したいと思います。御子イエス様は、ただ父なる神様に依り頼み、御心を実現するという、へりくだった「心の貧しい人」(3節)としての愛のご生涯を過ごされました。
 主イエス様は、人間の死を悼み、その家族と共に、「悲しむ人」(4節)であり、主は「涙を流された。」(ヨハネ11・35)のです。また、主は、人々からひどく嫌われ、無視されていた人の友となられた「柔和な人」(5節)でもありました。
 そして、私たち罪人を、恵みと憐れみによって愛し、神様の「義」(6節)を実現されたのも、主イエス様でした。主は「憐れみ深」(7節)く、貧しくされた人々や病の人々、小さくされている人々を助けられ、偽りのない誠実で、まったく罪のない「心の清」(8節)さを持っておられました。
 さらに、主は、「平和を実現する人」(9節)として、私たちの罪のために、地上生涯の最後には、十字架で命を捨てて、神との和解を「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)のです。このように、主イエス様ご自身が、私たちの救いのために、「義のために迫害される人」(10節)として生きられたのです。
 しかも、主は、三日目に復活し、ご「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与え」(ヨハネ1・12)てくださっています。だから、恵みにより、人生の旅路を、主と共に歩んでいる人、歩んだ人々に、「幸いである」と、主は、今日も語りかけておられるのです。
 本当の幸いは、恵みにより、悔い改めに導かれて、主に立ち帰り、イエス・キリストを信じる時に与えられます。それは、この世が与える、つかの間の幸いや慰めではなく、主に従う人に与えられる、本当の幸いと本当の慰め、そして、本当の喜びなのです。栄光在主

日本福音ルーテル高蔵寺・復活教会牧師 奈良部恒平

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