るうてる2026年3月号
「目からウロコの福音」
日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師 浅野直樹Sr.
「神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。」(ローマの信徒への手紙4・13)
イエス・キリストの福音を世界へ広め、キリスト教界の礎を築いた人といえばパウロです。新約聖書が聖典として成立したとき、パウロの手紙が聖書のなかに多数採用されたことからも、影響力の大きさを推し量ることができます。
パウロの手紙が読みやすいという人は少ないでしょう。多くの手紙は文体が堅く、法律家のような語り口です。実際、辛口の評価を受けたことを彼自身が手紙に書いていて「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者たちがいる」(コリントの信徒への手紙二10・10)。
重々しい文体で話し下手なパウロの対極にあるのがイエスです。イエスが書いた文書は何もありません。もっぱら語る人でした。しかもたとえ話をたくさん使い、庶民に伝わる言葉で、神の国をわかりやすく話したので大いに受けました。ですからイエスはいつも群衆に取り囲まれました。 パウロの手紙がなぜ聖書に入れられ、しかも中心的な位置を占めるようになったのか。その理由をひとつあげるなら、イエス・キリストの福音を最も正確に書き残したからだと私は思います。「正確に」とは、イエスの言葉と行いを史実に則して正しく伝えたということではなく、彼なりの表現で、多少小難しい言い回しにはなったけれども、神学的にきちんとまとめた、という意味の正確さです。パウロはイエス・キリストの福音の神髄を適格な言葉で表現してくれました。そのおかげで福音はキリスト教という宗教の器に納められ、世界へと広がったのです。 そのパウロが伝えた福音の神髄、これぞ福音、その正体を冒頭の聖句からひもといてみます。パウロはもともとユダヤ教ファリサイ派でした。「ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員」(フィリピの信徒への手紙3・5)と告白しています。そんなパウロにとってアブラハムはなんといっても信仰の祖、信仰の父でした。アブラハムは「生まれ故郷を離れて、わたしが示す地に行きなさい」との召しを受け、主の言葉に従って旅立ちます。神は彼に約束します。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」(創世記12・2)これが冒頭聖句の「世界を受け継がせるという約束」です。
次にパウロはローマの教会の人たちに告げます。
「その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。」神のみ旨に従って生きる、アブラハムのように行動する、それが「律法に基づいて」生きる信仰者の本来の姿であり、パウロが目指した生き方でした。けれども私たちは信仰者でありながら、そうではない姿をさらけ出します。思いと言葉と行いにおいて罪をおかし、神に背いてしまいます。パウロはそうした人間の罪から目をそらしません。「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」(ローマの信徒への手紙7・19)このように告白する彼自身もまた罪に悩んだのです。
そこから律法によらない義があることに気づきました。我田引水したのではありません。信仰の祖アブラハムから、新たな義を発見したのです。「聖書には何と書いてありますか。『アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた』とあります。」(ローマの信徒への手紙4・3)律法の書である創世記から引用しながら、しかも律法によらず信仰による義を説いたのです。キリスト教の教えは、よく「信じる者こそ救われる」と言われたりしますが、まさしくそれです。広く社会で知られるキリスト教信仰の神髄です。パウロが神学的にまとめた教えがその基となっています。こんなことも言います。
「不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。」(ローマの信徒への手紙4・5)誰よりも自分に厳しく、律法に徹し、行いを重んじたパウロが、手のひらを返してこう言い切ったのです。ダマスコへの道すがら復活のキリストと出会って、「目からウロコ」体験をしたパウロですが(使徒言行録9・18)、神の義についても目からウロコ体験をしたのです。
行いが問われ、業績で評価される人間社会ですが、神様の前では違います。信じることで義とされます。神様の愛を受けとれるという福音です。これは私たちも体験できる目からウロコです。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
(72)「変わらないもの」
「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」(ペトロの手紙一1・25)
「今、歌ったり、読む本が同じものでも、昔、歌った歌や、読んだ本の言葉の意味が違ってくる時ありますよね。」と言われ、確かにあるかもしれないと考えさせられた時があります。もちろんどちらの考えが良いかなんて判断する必要もありません。その時、その時が一人一人にとって真実だからです。
私にも幾つかあります。その中の歌の言葉の意味が自分の体の状態で変わったものがあります。それは自分が、車椅子が必要になる前と、必要になった後のことでした。歌は昔のものだし、この歌を好きな人もたくさんいます。歌は変わりません。歌詞も変わらないのです。ただ、その時、その時の一人一人に語りかけてくるのです。言葉が生きて働いているのです。
ふっと思いました。これって聖句も同じかもしれないと。「何月何日は、この聖書の箇所から先生がお話ししてくださった。」と思う方がおられるかもしれないですが、大体の方が聖句にも、先生からのお話も初めて出会います。
それは今のあなたに神様が語られ働かれるからです。言葉として語られる言葉は変わりません。賛美の歌詞も変わりません。変わるのはそれらを受け止める今のあなたです。変わることは怖いことでも、いけないことでもありません。わたしたちは変化するものです。変わらないで働き語りかける方は、いつもここにおられて、あなたを必要とされています。あなたは大切な存在です。変わらずあなたと共におられます。たとえあなたが変化の中にあったとしても、わたしは変わりません。
リレーコラム「全国の教会・施設から」㉝
日本福音ルーテル湯河原教会
牧野祐之(日本福音ルーテル湯河原教会代議員)
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。」(マタイによる福音書6・33・聖書協会共同訳聖書)を年間聖句として、一人一人がみ言葉に向き合って過ごしています。
ジョン・ボーマン牧師が70年前に宣教を始めました。40年前頃から小田原教会と兼牧体制が始まり、数年を除いて続いてきました。4月からは新しい体制になります。
牧師と信徒(役員会)は車の両輪との考えにより、牧師は説教とサクラメントに重きを置き、信徒はその他のことに積極的に関わるようにしてきました。毎週日曜日の礼拝は、信徒自身のためにも地域の方々のためにも大切にしてきました。そのため多くの牧師方に協力を頂いています。また毎週説教の原稿をプリントにしたりメールにしたりして週日に振り返る助けにし、説教を日々の生活に活かせるようにしています。
二つ目の特長は、信徒相互牧会が根気よく続けられてきました。ほとんどの会員は歩いて来られる距離に住んでいて、普段から交流があります。高齢者の送迎や説教のお届け(今はメールが主)、近況のお尋ねなどが行われています。
去年の秋には、チャリティーコンサートを行い、町内の皆さんを招き豊かな時を過ごすとともに、能登復興支援活動への応援をしました。
三つ目の特長は、お墓をすぐ行ける町内に持つことです。教会外の方の利用も考え、十分な広さを持って作られています(真鶴吉祥公園墓地内)。昨年の主題「祈り・・神の家族として」のもと、祈りによる繋がりを求め続けていきたいと思います。
全国の皆様、湯河原教会で礼拝に与りにおいでください。
慈愛園乳児ホーム
潮谷佳男(慈愛園乳児ホーム施設長)
慈愛園乳児ホームは、熊本市中央区の県庁近くに位置し、交通の便に恵まれるとともに、江津湖にもほど近い自然豊かな環境にあります。その歴史は非常に古く、前身である「ルーテル孤児の家」に二人の幼児がいたという記録が残されており、少なくとも1919年以前にさかのぼります。その後、現在の神水の地に、北米一致ルーテル教会の寄付金によって施設が設立されました。設立当初は「コロニーオブマーシー」と呼ばれていたようですが、九州学院初代学長である遠山参良氏によって「慈愛園」と名付けられ、今日まで創立者モード・パウラスが言った「散らされた人々を集め、ひとりも失われないようにする」という理念が受け継がれています。
乳児ホームでは、新生児からおおむね2歳頃までの乳幼児を定員15名で受け入れています。潮谷義子園長の時代に導入された担当制の「ケースマザー制」により、職員が一人一人の子どもに付いて、カリキュラムの作成、発達診断、ケース管理までを一貫して担い、継続的で丁寧な養育を行っています。熊本という地域性から、「こうのとりのゆりかご」や「内密出産」に関わるケースにも対応する必要があり、運営は決して容易ではありません。加えて、病虚弱児や障がいのある子どもが全体の約3割を占めており、養護施設に比べ医療的ケアの必要性が高いのも特徴です。そのため看護師3名を配置し、保育士や心理職など多職種が連携し、それぞれの専門性を生かしながら養育にあたっています。
現在、社会的養護の分野では「高機能化・多機能化」が求められていますが、慈愛園乳児ホームでも本体事業に加え、ショートステイやトワイライトステイ、緊急一時保護、里親支援センター、病児デイケア、「もうすぐパパママ教室」など多様な事業を展開しています。里親委託や特別養子縁組の歴史も古く、その実績から熊本県より委託を受けた里親支援センター「養育家庭支援センターきらきら」では、阿蘇から天草まで県内各地を巡回し、里親支援や研修、リクルートに日々取り組んでいます。乳幼児の命を預かる現場は、病気や感染症への緊張が続きますが、子どもたちの笑顔と確かな成長が、職員にとって何よりの励みとなっています。
改・宣教室から
小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・宣教室長)
榎本千代乃さん(単立久遠キリスト教会信徒)
小泉 こんにちは。榎本さんは永年、点字雑誌「信仰」の主筆をなさっておられますね。どのような雑誌なのですか。
榎本 日本盲人キリスト教伝道協議会(盲伝)が発行する月刊の点字雑誌です。まだ点字の読み物が少なかった1915年に、全国の視覚障がい者に福音を届けたいという盲人キリスト者のあつい祈りの中で「信光」として刊行が始まりました。その後「信仰」と名称を改めつつ連綿と発行が続けられ、今年で110周年を迎えました。2004年からは墨字版も発行が始まり、現在はテープやデータ、デイジーと呼ばれるCD版も発行されています。
小泉 110年前から一度も途切れずに発行され続けている日本の雑誌は、正岡子規が創刊した句誌「ホトトギス」と、この「信仰」くらいのものだと伺いました。発行が続けられてきたということは、この雑誌が必要とされ続けてきたという証しだといえますね。主筆である榎本さんは、どのようなお働きをされるのですか。
榎本 編集委員会の中でその月のテーマを検討し、それにふさわしい執筆者に手紙やお電話で原稿を依頼します。巻頭メッセージを超教派の牧師に依頼するほか、8月は平和をテーマに「わたしの残したい証言」、10月は「信仰110年を覚えて」、11月はルイ・ブライユの点字考案2百年を記念して「点字とわたし」といった具合です。
小泉 編集にあたってのご苦労がおありのことと思います。
榎本 締め切り間際になって「やっぱり書けない」と言われてしまうことなどがあると、代役探しに焦ってしまうこともありますね。でも、実際には喜びの方がずっと多いのです。抗がん剤治療をなさっておられる方から「信仰を毎月読むことで慰められ、勇気が与えられた」と伝えていただいたりすると、やりがいを感じます。
小泉 ありがとうございました。最後に、榎本さんのキリスト教との出会いと、愛唱聖句を教えてください。
榎本 日本点字図書館に長年勤めていたのですが、お昼休みに小さな聖書研究会があって、そのつながりで受け取ったテープから、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい」(ルカによる福音書19・5・口語訳聖書)というみ言葉をいただいたのです。そのころ、まだ神様の存在を疑っていて、神様を上から見下ろすような思いでいたのですが、イエスさまが木の下からわたしに呼びかけられた気がしました。自分がイエスさまと出会ったことが、その時にはっきりわかったのです。
小泉 本日はありがとうございました。「信仰」のますますの発展をお祈りいたします。
世界の教会の声
浅野直樹(日本福音ルーテル市ヶ谷教会教師・世界宣教主事)
「ウエルカムな教会めざして」
クリスチャンとしておもてなしが出来ているのだろうか? 人種、ジェンダー、性別、性的指向、障がい、経済的地位の分け隔てなく、教会は全ての人に開かれているだろうか?うっかり失礼な態度をとっていないだろうか?
青年たちは、2023年世界ルーテル連盟(LWF)総大会でユースが優先課題とした方針「受容性と参加」を実践すべく、11月8日から12月6日にかけて「ウエルカム!」にフォーカスを当て研修しました。参加者93名が探求したのは、「ウエルカムの神学」「ウェルカムツール」「ウエルカムの実践」。各セッションに神学的な検討を交え、専門家による講義と体験談の分かち合いがありました。
「仲間はずれにされがちな人に対して、安心できる居場所を提供することを心がけたい」(エルサルバドルのパブロさん)
「ウエルカムの神学」セッションではロールプレイをして、教会、スーパー、公園などを初めて訪れたとき、歓迎されたと感じたかどうか、なぜ良かったか、悪かったかを熱心に議論しました。
「ウエルカムツール」セッションでは、LWFユースプログラム担当のサリバン氏が「キリスト者リーダーシップとは自己都合でぐいぐい引っ張ることではなく」エチオピアのメカネ・イエスース神学校のグデタ博士の言葉を引用して、「相手を包み、共感し、一致と正義を守るものでなければならない」と述べられました。
「ウエルカムの実践」セッションでは、参加者たちが学んだことを実際の現場で生かした体験などを紹介し合いました。「心からの歓迎は単にあいさつだけでなく姿勢を示すこと、誰にとっても、ここにいて良いんだと安心できる場所を作ることです」。インドのラジクマルさんはこのように述べて、共感、傾聴、自分自身に偏った見方がないかどうかを知ることの大切さに気づきました。
ウエルカムソングを作曲する、その人の言語で祈る、場所や資料を、障がいを抱えている人たちも利用できるようにする、真心をもって接する、音楽チームの仲間へ招くなど、青年たちはさまざまな方法のウエルカムの取り組み方を考案しました。正義を訴える地域住民の抗議行動に誘ったり、一言「あなたは大切な人です」と伝えたりすることも、とにかく言葉と行動を通して、そして連帯の大切さを常に学ぶこと、それがウエルカム。
「隣人のために備える、グループ内の不平等や自分自身の偏見に気づく、教会や社会のなかで誰が受け入れられ、誰が仲間外れになっているかを正直に話す、みんなの居場所をつくる、変わるべき所を変えていく。それが神様の召しに応えて隣人を知るということです。誰との出会いであっても、それは神様との出会いです。なぜなら出会いは全て、神にかたどって造られた誰かとの出会いなのだから」。(LWFユースプログラム担当のサリバンさん)
https://lutheranworld.org/news/youth-reflect-making-churches-welcoming-and-inclusive
教会とディアコニア③
石居基夫(ルーテル学院大学学長・日本ルーテル神学校教授)
ヘンシェル先生とシュッテ先生が来日されたのは1958年ですが、実はこの50年代には、日本福音ルーテル教会ではディアコニアの働きを教会の本格的事業としていくことについて検討がなされていました。
敗戦後、日本では民主化の波と共にキリスト教は一種のブームとなりました。ルーテル教会に限っても北欧やドイツ、デンマークなどから、また当時のアメリカのそれぞれにルーツを持つ宣教団体からも新たに宣教師が送られて来ます。そうした流れの中、戦後日本のさまざまな社会問題に取り組むために、ドイツ福音主義教会の海外伝道部および世界キリスト教宣教連盟主事のパウル・メラー博士から、ディアコニッセ派遣の申し出がありました。
日本福音ルーテル教会で働いていたアメリカの女性宣教師らの働きかけもあって、すでにディアコニア事業のための委員会が1950年の常議員会で設置されていて、同年の教会総会では、このドイツからのディアコニッセ受け入れの決議とともに、今後のディアコニア事業をどのように実現できるかの検討が委員会に託されたのでした。
19世紀ドイツでは、テオドール・フリードナーがイギリスのエリザベス・フライの影響を受けて、深刻化する社会問題、特に女性や子どもたちのために取り組みました。1836年にはカイザースヴェルトに母の家(ムッターハウス)という施設を造り、そこでディアコニッセ養成を始めます。それが病院、孤児院、幼稚園、そこで働く看護師や幼稚園教師の養成などに展開を見せるのです。あのナイチンゲールもカイザースヴェルトで看護師訓練を受けたのですから、その先進性がわかります。
このドイツのムッターハウスの取り組みがデンマークや北欧、またアメリカにも大きな影響を与えたわけです。北欧が福祉国家となっていく大きな要因といってよいでしょう。また、九州女学院(現九州ルーテル学院)の初代院長のマーサ・B・エカード先生もアメリカに作られた四つのディアコニッセ養成学校の一つで学ばれました。初期の宣教師夫人たちがルーテルでの社会福祉や幼児教育に大きな貢献をされた源流がここにあるのです。
こうした実績を踏まえ、ディアコニア事業が日本の宣教に生かせないか、特に女性の教職、その養成ということとあわせて考えられ、また他のルーテル教会との共同事業を起こすことも含めて、50年代には検討されていったのです。
「教会讃美歌」新デジタル版下版の歌集刊行について
松本義宣(日本福音ルーテル東京教会・板橋教会・千葉教会・津田沼教会牧師・典礼委員会委員長)
現行「教会讃美歌(小改訂版)」が、従来の「アナログ製版」での印刷(増刷)が不可能となる事態を受け、「デジタル版下」を新たに制作するのに伴い、小改訂を加え新装版を刊行することになりました。「2000年小改訂版」と併用できるように、歌詞・旋律、曲番号はそのままですが、歌集としていくつかの改訂、変更点がありますので説明いたします。
①記譜法を「2021年教会讃美歌増補(分冊)I」で採用した3段楽譜形式(旋律の下に可能な限り歌詞を付す)へレイアウト変更しました。そのため大多数の歌が見開きとなり、見やすくなりますが、ページ数がほぼ倍となります。物価高騰で配布価が値上がりすることをご容赦ご理解ください。
②一番の特徴は、本来の歌詞ではない慣用の終止「アーメン」をすべて省いた点です。あたかも「終わり」の合図のように唱えられてきましたが、この慣習は19世紀後半の英国の歌集からと言われ、日本では1931年版「讃美歌」から始まり、1954年版も踏襲して定着しました。賛美歌の歴史の中では後代のことです。ルターのコラールにもカルヴァンの詩編歌にもなかったものです。各教派の再検討がなされ20世紀半ばごろからは、多くの歌集が止めている習慣です。会衆が斉唱で歌唱したものに「アーメン」は必要ない訳で、習慣が変わるのは、とまどいを感じ、けじめ?がないと居心地の悪さを感じるかもしれません。もちろん、歌われるTPOで、どうしても「アーメン」と唱えたい場合は、従来の「アーメン終止」、旋律の和声での歌唱を付けてもかまいません。
③曲集の後に載る「主の祈り」は、従来のNCC口語訳に加えて、改訂式文で採用した「カトリック・聖公会共通口語訳」を掲載しました。また、増ページのため、「交読詩編」と「教会歴(暦)に適する讃美歌」は省かれています。現在、聖公会と共同で全詩編の「交読版」を作成中で、完成後これが用いられるため、また、教会暦に適しその礼拝にふさわしい賛美歌は、教会暦の改訂共通聖書朗読日課(RCL)導入に伴い箇所が変更になり、別途ウェブ配信等で対応する予定のためです。
本来なら、初版以来52年、小改訂からも26年が経過し、増補のために用意した歌も含めた大改訂、「新歌集」が待望されますが、まずは、この「デジタル版下版歌集」が広く用いられることを願っています。
引退教職挨拶
浅野直樹Sr.
人から言われたわけではないけれど、青年期に名古屋めぐみ教会に通い始めた私は熱心なクリスチャンでした。聖書を真剣に、信仰的に学びたいという意気込みから、30歳のとき神学校の門をたたくことになりました。神学校では信仰的にというより神学的に聖書を読む訓練が始まり、当初はあれこれ戸惑いましたが、今から思えば牧師として立つために不可欠な年月でした。
1990年に按手を受け、初任地岡崎教会へ牧師として赴任しました。1998年に日吉教会の招聘を受け、新たな働きが始まりました。日吉教会在任中の2005年には日本福音ルーテル教会の生みの親、米国サウスカロライナ州の教会へ交換牧師として1年間派遣され、牧会する機会をいただきました。帰国後、世界宣教主事を任ぜられ海外諸教会との窓口になると、少し遅れて2009年に市ケ谷教会から招聘されました。市ケ谷に住まい始めてまもなく世界ルーテル連盟理事、そしてこの時期、東教区長のお役も重なりました。年齢的にも働き盛りだったこの頃が、私の一番の繁忙期でした。36年間のこうした私の牧師人生は、家族と教会の皆さまによって祈られ、支えられ、ようやくここにたどり着けたというのが実感です。
区切りの古希を迎えて、さてこれからどうしようかと思い巡らしたところ、自分にはこれ以外なにもできないと気づきました。これとは説教を書くこと語ること。36年間毎週しているうち、この繰り返しは自分のライフサイクルにはまり込んだようです。大げさな言い方ですが、呼吸の一部になったみたい。この呼吸を止めちゃうと脳に血が回らなくなり、今日は何曜日だっけ?と人に尋ねることになりそう。牧師の数も足りていない今、欠けた器でも神様が用いてくださるというのならそうしようという思いに至り、微力ではありますが、もうしばらく牧会のお手伝いをさせていただくことにしました。みことばをゆっくりと深く吸い込みながら、説教の呼吸を続けていきたいと思います。
安達均宣教師退任のご挨拶
安達均(アメリカ福音ルーテル教会宣教師、日本福音ルーテル神水教会、松橋教会、熊本教会国際礼拝牧師、九州ルーテル学院インターナショナルスクール小学部チャプレン)
アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)宣教師として8年間務めさせていただき、3月をもって退任します。聖霊の助けによって日本福音ルーテル教会(JELC)とELCAの協力の元で与えられた数々の恵みに感謝します。
思えば、按手後16年になりますが、最初の8年間はアメリカで、次の8年間は日本で仕える期間となりました。
2004年4月にELCAの牧師候補生になるための最初の面接を受けました。面接官は日本で50年宣教し、昨年召されたケネス・デール牧師でした。面接最後の祈りの後にデール先生は、「君のこれまでの経験から、教区で仕事をする可能性もある。」と言われ、さらにデール先生自身が、日本を愛しておられましたから、「日本での宣教をしてくれたら嬉しい。」とも言われました。
牧師候補生となってから、最初は働きながらオンラインでミネソタ州ルーサー神学校の授業を受けはじめました。6年間を要しましたが、神学校を卒業し、約5百人の教会員(その1割は日本人)を数え、出身教会でもあるカリフォルニア州の復活ルーテル教会より招聘をうけ按手となりました。ただし、教会の牧師だけではなく、教区の財務と南カリフォルニアの多言語伝道をしている教会を教区としてサポートする仕事も拝命し、教区で仕える牧師になりました。
そのような期間が8年続いた時でした。ELCAからJELCへ、熊本で仕える牧師を探しており、派遣したいと招聘を受けて、妻・さと子とともに、2018年4月より熊本で仕えさせていただくことになりました。神水・松
橋・国際礼拝の牧師、慈愛園チャプレン、神水幼稚園チャプレン、さらに九州学院と九州ルーテル学院インターナショナルスクール小学部で聖書を教えるという、いくつ兼務しているかわからないような宣教期間でした。
しかし、すべてが恵みでした。熊本弁で「のさり」(注1)という言葉を学びましたが、実感しています。ありがとうございました。退任後も毎年8割方の期間は、熊本で生活させていただきたいと思っています。今後もなにとぞよろしくお願いいたします。
(注1)「のさり」とは、「天からの授かりもの」「運命」「幸運」を意味する方言。
連帯献金のお願い
2025年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、戦争、災害、飢餓に苦しむ方々に連帯するために、多くの貴い献金をいただきありがとうございました。
どうぞ引き続き、2026年も「連帯献金」を覚えて、国内のみならず、世界中の困難の中にある方々、福音宣教の働きを覚えてお捧げください。
お捧げいただく際には、それぞれの献金目的[LWFパレスチナ支援エルサレムプログラム][LWFウクライナ支援][能登半島被災地支援][ミャンマー震災支援][その他災害支援][カンボジア宣教][その他世界宣教][喜望の家]を郵便振替用紙に明記頂き、左記の郵便振替口座にご送金ください。
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会
2025年度 連帯献金
◆ LWF パレスチナ支援エルサレムプログラム 1,485,759円
横浜教会/都南教会/都南教会教会学校/九州学院/女性会連盟/むさしの教会/小城教会/神戸東教会/聖パウロ教会/久留米教会/イモリアキヒロ/古屋四朗/相場郁朗/齋藤文雄/太田やす子/聖ペテロ教会/なごや希望教会/公財)JELA /田主丸教会/長野教会/下関教会/西中国地区るうてる秋の大会/松本教会/二日市教会/豊中教会/横須賀教会/所あかね/厚狭教会/宇部教会/望月隆延/賀茂川教会/健軍教会教会学校本校/田園調布ルーテル幼稚園/大岡山教会/高蔵寺教会/京都教会/相場郁郎/国府台母子ホーム/市ヶ谷教会/帯広教会/蒲田教会/大森教会/日吉教会/健軍教会/東京池袋教会/合志教会/福岡市民クリスマス実行委員会
◆ カンボジア宣教 156,351円
全国総会席上献金(半額)/田園調布ルーテル幼稚園/大江教会
◆ その他災害支援 135,900円
小岩ルーテル保育園/厚狭教会/合志教会
◆ LWF ウクライナ支援 499,729円
横浜教会/都南教会/九州学院/むさしの教会/豊中教会/聖パウロ教会/女性会連盟/阿部光成/山之内正俊/箱崎教会女性の会/田園調布ルーテル幼稚園/藤が丘教会女性会/京都教会/国府台母子ホーム/市ヶ谷教会/蒲田教会/日吉教会/東京池袋教会
◆ 能登半島被災地支援 1,891,949円
藤が丘教会/賀茂川教会/豊中教会/大森教会/都南教会/大垣教会/むさしの教会/熊本地区女性会/三鷹教会/松本教会/東京教会/按手式席上献金/天王寺教会/京谷信代/修学院教会/神水幼稚園/博多教会/福岡西教会/横須賀教会/拳母教会/女性会連盟東教区女性会/国府台母子ホーム/羽村教会/太田立男/市川教会/谷口和恵/津田沼教会/市ヶ谷教会/栄光教会/保谷教会/浜名教会/富士教会/蒲田教会/なごや希望教会/神戸東教会/宇部教会/女性会連盟/高蔵寺教会/大岡山教会/聖パウロ教会/東教区甲信地区女性会/久留米教会/札幌教会/大分教会/帯広教会/所あかね/恵み野教会/大江教会/静岡教会/東教区甲信地区信徒の集い/下関教会/市ヶ谷教会壮年会/藤が丘教会女性会/久留米教会附属日善幼稚園/札幌教会札幌北礼拝堂/健軍教会/東京池袋教会
◆ ミャンマー震災支援 821,376円
恵み野教会/函館教会/合志教会/帯広教会/浜松教会/太田立男/札幌教会/千葉教会/市川教会/健軍教会/名古屋めぐみ教会女性会/博多教会/福岡西教会/津田沼教会/松本教会/長野教会/市ヶ谷教会/保谷教会/浜名教会/小倉直方門司八幡教会/名古屋めぐみ教会/蒲田教会/横須賀教会/なごや希望教会/大垣教会/宇部教会/高蔵寺教会/下関教会/大岡山教会/久留米教会/二日市教会/栄光教会/大分教会/箱崎教会/静岡教会/むさしの教会/藤が丘教会
◆ 釜ヶ崎活動(喜望の家) 18,150円
シオン教会柳井礼拝所/大分教会/日吉教会
◆ その他世界宣教 189.980円
大垣教会/シオン教会柳井礼拝所/箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)
