るうてる2026年2月号
「あなたの羊飼いは誰ですか」
日本福音ルーテル岡山教会・松江教会・高松教会・福山教会・三原教会牧師
加納寛之
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
(ヨハネによる福音書21・17)
〈牧師としての働き〉
「岡山教会、松江教会、高松教会、福山教会、三原教会の牧師の加納寛之です」。これが今の私の自己紹介であり、担うことを与えられた働きです。4県5教会、広範囲(山陽、山陰と瀬戸内海を渡って四国と広島)ということで驚かれるところまでがセットです。そこに建てられた教会の歴史を大切にし、信徒と共に歩む恵みをかみしめています。人と出会い、神様と共に歩むことは喜びです。とはいえ、心苦しいですが、毎週それぞれの教会に行って牧師が礼拝を担当できるわけではありません。信徒奉仕礼拝(ビデオ)や信徒の高齢化を考慮して月2回の礼拝にしている教会もあります。少ない機会だからこそ大切にし、みことばを宣べ伝えるための工夫をしながら歩んでいます。
〈羊飼いとして〉
牧師という呼称はラテン語の「牧者」を語源とし、イエス様が「私は良い羊飼いである」と言われたことに倣い、羊飼いのような指導者、師として歩む者を指します。大前提はイエス様が羊の大牧者であるということ。牧師も信徒もイエス様に養われ、導かれて歩んでいることを忘れないようにしましょう。牧師はイエス様の働きを託された者として歩みます。
礼拝を通して教えること、導くこと、また魂の配慮、癒やしなどもあります。牧会とは羊を飼う(成長させる)ことです。遠くとも直接顔をあわせ、礼拝と交わりをし、パウロのように手紙を送ったりするのは、羊を愛しているからです。
〈無牧ということはない〉
先日、教派を超えた活動をするグループの「無牧教会ドキュメンタリー」を製作するためのインタビューを受けました。離れた教会を一緒に回り、礼拝を守りながら「日本福音ルーテル教会では無牧ということはないんです」とお伝えしました。無牧というと牧師が住んでいない教会のことを指すと思われるかもしれませんが、牧師が不在状態の教会のことを指します。日本福音ルーテル教会では居住する牧師がいなくても必ず主任牧師が任命(招聘)されます。たとえ距離は離れていても牧師、あなたの羊飼いは居るのです。これは幸せなことだと思います。
羊飼いの居ない迷う羊になることはない。「あなたの羊飼いは誰ですか」と問われた時、自信をもって自分を牧する者の名前を挙げられるでしょうか。牧師と信徒が信頼関係をもって歩みたいと願います。
〈あなたも羊飼い〉
教会の中の羊飼いは牧師だけではありません。信徒は羊であると同時に羊飼いでもあります。教会は信徒の相互牧会があるからこそ豊かに歩めるのです。むしろ、信徒の相互牧会がなければ教会という主の家族の交わりは成り立ちません。牧師が離れた場所にいるからこそ強く実感し、深く感謝し、信頼しています。羊飼いとは、役員や、司式や、礼拝奉仕をしてくれる人だけではありません。お互いに声をかけあうこと、祈りに覚えること、目に付かない奉仕などを通してあなたも羊飼いとなっているのです。それぞれの賜物、優しさをもって自然な姿で羊飼いとして歩んでいると覚えてほしいと思います。
〈時に役割を変えながら〉
私は学生時代、山岳部でしたが、登山パーティーは、リーダーが先頭、サブリーダーが最後尾を担うのが一般的です。リーダーは、羊飼いと同じ役割を担い、正しい道へと導き、後ろの者に気を配って進みます。けれども、危険な場所ではリーダーとサブリーダーが場所を入れ替え、リーダーは後ろから群れを守り、サブリーダーが皆を導きます。イエス様、牧師そして信徒。教会はそれぞれが羊飼いとして教会の歩みの中で時に先頭に立ち、時に後ろに行き、役割を変え、信頼しながら歩んでいるのです。
私たちは誰もが等しく神様に愛される羊であり、羊飼いとしても歩みます。わたしもあなたも羊飼い。牧師も信徒も互いに養い、養われる者となる感謝をもって、信仰生活を歩みましょう。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
(71)「これいいよね」
「それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」(テサロニケの信徒への手紙一4・17)
最近、頭の中で何度も繰り返される歌があります。そんなに気にしていなかった歌なのに何度も、何度も繰り返され、朝起きたときに特に頭の中に響いていました。あれ?私この歌好きだったのかしらと思わされるくらいでした。その歌に最近久しぶりに出会ったのは「ひ」から始まる歌を探している時でした。「『ひ』から始まる歌、なにかご存じですか?」と聞いた私に「この歌知ってるかな、何となく好きで覚えているんだ」と歌い出された。「あーーーそれ知ってます」と思わずうれしくて叫んでしまいました。
そのような私に、私の職業をご存じのはずのその人は意外にも「何で知ってるの?」とお聞きになられたので、「この歌も賛美歌の一つですよ」とお伝えすると驚かれていました。あーこの言葉ちょっといいなとか、この曲好きとか、あの人の考え方好きだなとか、いろんな出会いがあります。それがたまたまキリスト教だったということも、そうではないこともあります。何でも良いというわけでもありませんが、このことを通して出会いはどこにでもちりばめられていて、たとえそれらがどこから来たのか分からなくても、それぞれの魂に響いた出会いには必ず寄り添ってくださる方がおられ、語りかけてくださると思い私は安心しました。
「何となく好きよ」とあなたが思うそこに「あなたを大好きだよ」と語られる方が必ずおられます。私に何度も繰り返されるあの賛美歌も、私に繰り返される神様から語られる声なのかもしれません。
2026年より神学教育のあり方が変わります!
松岡俊一郎
(日本福音ルーテル大岡山教会・湯河原教会・仙台教会牧師・神学教育委員会委員長)
学校法人ルーテル学院は大学・大学院事業を2025年より募集停止とすることを決定しました。今後、数年をかけて大学・大学院については閉校へと進んでいきます。各種学校である「日本ルーテル神学校(以下、神学校と表記する)」は引き続き継続されていく見通しです。
大学・大学院事業が終了へと向かうということだけでも、大きな体制の変化ではありますが、神学教育を支える神学校も教員の大幅な減少という大きな節目の時を迎えています。わずか15年前は10人近い専任の教員がいましが、2026年からは専任は2人という体制になります。これに現場兼任の神学教員3人を加えて、神学教育にあたることになります。
神学教育委員会では神学校と話し合いを続けて2024年から、この大きな体制変化を見越して新しい体制を検討してきました。この見通しを昨年の全国総会において「教職養成の今後」という形でご紹介させていただき、その方向性をご承認いただいたところでした。その後も、検討を重ね、このたび2026年からの体制について個々の教会のご理解とご協力を賜りたく、ここにご報告いたします。
①教会と神学校の役割の明確化
神学教育委員会では、昨今の新任教師の抱える課題等を踏まえ、現場教育の大切さを改めて確認いたしました。そこでこれまで、学校教育の一環として7カ月間行われてきた宣教研修を、インターンと名称を変更した上で、これを1年とすることを軸としました。
これを実現するために(図をご覧ください)、神学候補生(「神学場について、「神学校生」と「教会付教職候補生」に区分し、神学校(座学)を3年間のカリキュラムに改編した上で、ここに在学する学生を「神学校生」と呼称し、その後行われるインターンを受ける学生を「教会付教職候補生」と呼称することといたしました。つまり、座学の学びを3年間しっかりとしていただき、ここで牧師としての適性が一定見込めると考えられる学生がインターンを行い、そこで適性が妥当と判断されて初めて按手を受けるための教師試験を受験することができるということになります。
大切なことは、神学校を卒業するという要件を満たすことによって、そのまま按手となるのではなく、その後のインターンによって牧師となる適性があると判断されて初めて按手の受験資格を得ることができるという点です。もちろんこれまでの神学校も同様の理解で神学教育を行ってきました。しかし、このたびの改革によって、牧師となるために必要な座学における課題と、牧師となるべき適性の部分を判断する役割を明確に区分することによって、座学における責任は神学校に、適性に関する責任は教会(特に神学教育委員会)が担うという責任分担が行われることになります。表現を変えて言えば、学校法人と宗教法人の責任を明確に区分する体制ということになります。
そもそも神学教育は、教会の行う業であり、教会は神学校にその働きの特に座学の部分を委託してきたわけですから、今回の改革はいわば、本来の形を整えるという意味もあることをご理解いただけると幸いです。牧師を生み出すのは教会の役割であり、その学生を育てる責任も教会にあるということです。
②現場教育の充実
図をご覧いただくと分かるようにインターンは1年〜3年という記載がある通り、学生の成長の状況によって柔軟に対応できるようにしました。
これによって、学校法人のカリキュラムとして7カ月間の宣教研修で一定の結論を出すのではなく、少なくとも1年間、しっかりと現場で個々の教会に受け入れられ、これを指導する牧師(あるいはチーム)が責任を持ってインターン生を育てるという充実した体制を取ることができると考えています。もちろん指導する牧師やチームの判断のみで適否を判断することは偏りを生む可能性もありますので、最終的な判断は、神学校教員も含まれている神学教育委員会と、指導にあたった牧師、チームで行うことによって公正さを担保することになります。いわば神学校、神学教育委員会、現場教職の三者が適当と判断して初めて教師試験が受けられるということになります。
この学生の適性の成長については、インターンだけでなく神学校生として派遣される個々の教会(主に都心の教会)においても同様に対応をいただきたいと神学教育委員会は考えています。実習に来られている学生は、数年後には牧師として個々の教会に派遣されることが求められていることを踏まえてご対応いただきたいと考えています。
神学校は、大学を卒業していることが入学の要件となっており、本来であれば社会人として人生をスタートする年齢であることからも、神学教育委員会が考える適性とは、いわば社会人としてふさわしい振る舞いを期待するものだということです。その意味では、神学校生時代の教会生活は社会人となるための職業訓練の場であるということです。
③奨学金制度の拡充
これらの体制の変化を受けて、神学生特別奨学金規定の改定も行います。学生が学業や教会生活にしっかりと向き合っていただくため神学校生に対しては月12万円の生活費、インターン生については月10万円の生活費を支給する制度に変更いたします。これに神学校生については神学校の授業料を加算して支給することとしました。神学校生1年次の借り入れについては、牧師になってから返済をお願いすることとし、2年次以降の奨学金については15年牧師として奉職すれば免除となるという仕組みは変わりません。奨学金の原資は、個々の教会にお願いしている「神学生奨学金献金」となっています。個々の教会の財政も大変厳しい中ではありますが、引き続きご協力をお願いしたいと考えます。
④個々の教会へのお願い
一番お願いしたいことは、個々の教会で是非、神学生を生み出していただきたいということです。
神学教育委員会は、召命には二つあると考えています。
一つはご本人の牧師になりたいという心です。これは決して外すことのできない大切なことです。教会が大好きで、宣教のためには何でもするという信仰が個々の教会で育つことを、心から願っています。
もう一つは教会が与える召命(任命)です。個々人の召命が、教会の中で皆に認められるものになるということです。
よって召命はさまざまな試練の中で育てられることも大切なことだと神学教育委員会は考えています。牧師になるためには、さまざまな経験と能力が求められることも事実だからです。聖書の専門家であるだけでなく、社会人としても、群れのリーダーとしても、教会の管理者としても知識と見識が幅広く求められる職務だからです。図にあります「プレ」の部分がここにあたります。個々の教会で個々人の召命が育つことと、教会が召すという部分が十分に育てられて神学校に送り出して頂くことを心から願っています。
個々人の召命を、教会の与える召命に育てることが、いわば神学教育と言えるでしょう。この大切な働きを日本福音ルーテル教会全体で担っているということを改めて確認したいと考えます。
カンボジア訪問報告
中島和喜(日本福音ルーテル大江教会牧師)
2023年の全国教会総会において、日本福音ルーテル教会(JELC)はアジア宣教、中でもカンボジア宣教を行っていくことが決議されました。一から宣教したブラジル宣教とは違い、既にある現地の教会に協力していくことが現実的だと判断されました。現地にはLCC(Loutheran Church Cambodia)という教会組織とLHCO(Lutheran Hope Cambodia Organization)という地域開発を主にしたNGOがあり、JELCはその二つと連携し宣教協力をしていくことを考えています。今回の訪問ではLCCの教会3カ所とLHCOの事務所1カ所を視察してきました。
LCCの教会は現在5つの教会と2つの伝道所を持っています。礼拝以外の日には、英語教室などを開くことで地域から多くの子どもが教会に集い、信徒の数も年々増えています。牧師数は、私たちが訪ねた際には5人でしたが、11月に2人が按手を受け、現在は7人になりました。資金面でも海外からの支援や農業経営などによって安定しつつあり、私たちが訪問した際には建て替えられたばかりの奇麗な教会も見ることができ、活力と希望に満ちているように感じました。一方で、国民の大多数が仏教徒であるカンボジアにあって、キリスト教は拒絶されることも多く、孤立を経験することが大きな課題であると語っていました。
もう一つの訪問先であるLHCOは地域開発事業を興し、農協を通しての農業を中心とした経営を行っています。農業指導や財務指導、安定した収益を得られるような契約体制を構築し、地域の農家を支える働きをしています。特に女性のリーダーシップ育成に熱心で、これまでカンボジアは男性中心の社会で、女性が働くことは好ましく思われていませんでしたが、LHCOに多くの女性が参加する事で、価値観が変わるだけでなく、安定した収益を得られるようになり、家族の生活が大きく改善したと教えてくださいました。
二つの組織で共通して求めているものは人材です。特に神学教育や農業指導など、指導者の育成という点は現地で解決できない問題でもあります。また、孤立するキリスト者たちの助けもまた、同じキリスト者からの祈りと励ましであり、そういう意味でも「人」を欲しているという状況です。
実際にどのような働きになるかはこれからも検討を重ねていくところではありますが、改めて「人」の力の大きさを感じる訪問となりました。
メーガン・ティ宣教師自己紹介②
本記事は、1月号に掲載した自己紹介の後編です。
5.日本での宣教活動で挑戦したいことは?
東京教会の皆さんと知り合い、どんなことにワクワクしているのか、どんな夢を持っているのかを聞くのが楽しみです。皆さんと共にイエスと歩む旅に同行できることを光栄に思い、感謝しています。もし教会が関心を持ってくださるなら、東京で耳にする食や住まいの不安について、どのように応えていけるか一緒に考えてみたいです。また、日本福音ルーテル教会の他の教会の皆さんとも出会い、その信仰に満ちた活動についてもお話を伺いたいです。
6.日本で訪れてみたい場所はありますか?
北海道に行ってみたいです!私はアメリカのとても雪深い地域の出身なので、そりやスキーをまた体験できたらうれしいです。海にも行きたいです。家族みんな特に海が大好きです。最後に、本物の茶道を一度見てみたいと思っていました。もしおすすめの場所があれば、ぜひ教えてください!
7.好きな聖書の一節は?
私がずっと好きな聖書箇所は、あまり説教で取り上げる機会がない(数年に一度、クリスマスの日に読まれる)ヨハネによる福音書1章4節です。
8.この聖句を選んだ理由は?
この聖句は、イエスの人々への愛の力強い証しです。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」特に困難な時には、私は光に目を向けるようにしています。それがどこにあるか、どこで私に出会うか。たとえわずかな光でも。それはイエスの変わらぬ存在を思い出させてくれます。
私の中に命があるなら、イエスが共におられます。そしてイエスの命によって、私の道にはいつも光が差します。どんなこともイエスの光に勝ることはないという真実から、私は勇気と慰めを得ています。暗闇の中でこそ、その光はより一層輝きます。これは私たちがしっかりと握っておくべき力強い言葉であり、人生がどこに導かれても、私たちは救い主イエス・キリストの愛と恵みによって、必ず光を持ち続けることができるという、神からの深い約束です。
教会とディアコニア②
石居基夫(ルーテル学院大学学長・日本ルーテル神学校教授)
私の生まれ育った武蔵野教会に、1966年、ヨハンナ・ヘンシェルという女性宣教師が着任されました。来日されてからすでに7年ほどたっていたと思います。共にドイツ福音主義教会から派遣されたエバ・マリア・シュッテ先生と共に三鷹にお住まいで、ディアコニッセとして東京下町のいわゆる『ドヤ街』(簡易宿泊所の集まっている所 ※1)などで子どもセンターや独居の高齢者訪問などに従事してこられた方でした。
武蔵野教会でも、高齢のご家族や妊産婦などを訪問されましたが、時々教会学校でお話をしたり、子どもの賛美歌を教えてくださったりしたことを覚えています。けれども、それ以上に印象深く残るのは、重症心身障害児施設・島田療育園(現・島田療育センター)の子どもたちをご自宅で開かれていた三鷹集会での礼拝、そして武蔵野教会にも時々お連れになったことでした。島田療育園初代園長小林提樹先生との交わりから、障がいの重い子どもたちに関わり、あたたかな家庭の交わりが必要と、何人かの子どもを養子とされました。しかし、先生はただご自分のお働きとしてそれをされただけでなく、教会の交わりにその子たちを招きました。
島田の子供たちとの出会いは、教会に集うすべての者にとって、特別の意味をもたらしました。誰もが、神様からいただいたいのちを喜び、恵みを分かち合い、困難を支えあうように招かれていることを経験する。その重みとかけがえのなさは、実際に礼拝と交わり、食事などを共にすればよくわかります。ディアコニアを生きるとはどういうことかを、ヘンシェル先生は身をもって私たちに教えてくださったのです。
ディアコニアは特別な施設や場所、特定の専門職によってなされることではありません。私たちを愛し、新たに生かしてくださるキリストを通して、私たち自身が皆、互いに仕えるもの、愛するものとされていく。当然なのに、たやすくはない。いや、だからこそ具体的な交わりと関わりの中で、共に生きる心と確かな働きが、信仰のうちに養われていくのです。
1970年、ヘンシェル先生は武蔵野教会を会場とした障がいを持つ幼児のための通園施設「つばめ会」を開設されました。教会の青年や女性たちが支えたその活動は、7年ほどで閉じましたが、日本での先駆的役割として高く評価されました。
ヘンシェル先生のお働きとそこで共になされた経験とが、今に続く東教区ディアコニアの核となったことはいうまでもありません。
※1 『記者ハンドブック 新聞用字用語集 第14版』(2022年発行・最新版)で「不快表現」となっていますが、当時、簡易宿泊所街を指す表現として使用されていたため文脈を重要視し使用しました。(機関紙るうてる広報室)
メコン・ミッション・フォーラム報告
森下真帆(日本福音ルーテル八幡教会・小倉教会・門司教会・直方教会牧師)
2025年11月11日~14日にベトナムのホーチミンで行われたメコン・ミッション・フォーラム(MMF)に森田哲史牧師と共に参加いたしました。
MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。
今回の主な議題は神学教育についてでした。メコン川流域各国では質の高い神学教育が求められており、ことにルター神学や文脈化神学(contextual theology)の分野でその傾向が顕著です。会議の前半ではさらなる神学教育の発展に向けて活発に議論が交わされ、神学教育充実のための特別委員会が設置されたことが今回の大きな成果でした。後半ではこの1年の活動報告、予算・決算の承認、審議事項の協議などが行われました。
MMFにあたって、各団体が受けたい支援を公開する中、日本福音ルーテル教会が宣教協力を行っているカンボジアルーテル教会からは、次のような支援がリストアップされていました。神学教育支援(客員講師など)、牧会者及び信徒リーダー育成のためのトレーニング支援、地域の神学教育プログラムに対する奨学金および支援、文脈化神学の研修カリキュラムと教材の開発、開拓伝道および宣教拡大のための資金提供、地域集会の支援、インフラ整備支援(研修センター、礼拝施設、集会所など)、ネットワーキングとパートナーシップ形成、祈りと霊的支援。
このような例からもメコン川流域国の教会がさらなる成長を目指して、意欲的に宣教に取り組んでいることがわかります。
しかし、MMFが掲げているのは一方的な支援ではありません。高まるニーズに応えながら、メコン地域と支援国が互いに学び合うような豊かな宣教協力を目指して、今後も協議が続けられていきます。
会議の合間には、各国からの参加者と交流を深めることができました。特にカンボジアからの参加者とは多くの時間を共に過ごし、お互いの教会の状況や牧師になるまでのストーリーなどを、楽しく語り合うことができました。
来年のMMFは、ラオスで開催予定です。メコン地域の宣教について、とりわけカンボジアルーテル教会との宣教協力について、引き続きお祈りいただけましたら幸いです。

