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るうてる2026年

るうてる2026年1月号

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「わたしは宣教する」

日本福音ルーテル松本教会・長野教会牧師 秋久潤

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」
(マルコによる福音書1.35~38)

 新しい年、2026年となりました。この2026年を、はりきって行きましょう!いつも笑顔で、元気印で行きましょう!・・・・・・と、元々の自分におよそ似つかわしくないようなことを、あえて言ってみました。「自分を超える」とはこのようなことかなと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。愛と希望と喜びのうちに、心を燃やしながら共に歩んで行きましょう。
 さてこの聖書箇所は、イエスが弟子であるシモンとアンデレの家で、熱を出して寝ていたシモンのしゅうとめをいやしたことを皮切りに、人々が皆、病人や悪霊に取りつかれた人を、イエスのもとに連れてきたあとの場面です。
 続々とイエスのもとに連れて来られる病人や悪霊に取りつかれた人々を救うイエスの業は、おそらく夜遅くまで続きました。しかしそのあと、朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて人里離れた所へ出て行き、そこで祈っていました。イエスが神に祈るために、ご自身だけの静かな時を設けるのは、福音を宣べ伝え、人々への救いといやしの業を行うために必要なことだったのでしょう。
 朝早く、人里離れた所で祈っているイエスを探し当てたシモンとその仲間は「みんなが捜しています」とイエスに告げます。彼らがイエスにこう告げたのは、群衆の願いをかなえるために、イエスにいやしの奇跡を行ってほしいからです。しかしイエスは「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」(1.8)とシモンたちの願いを退けます。「そのために」とは、福音宣教を指します。「宣教する」「悪霊を追い出す」「病気をいやす」、この三つは神の国を宣べ伝える手段ですが、中心となるのは「宣教」です。「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコによる福音書1.155)という福音の確かさを示すために、悪霊が追放され、病気がいやされるのです。イエスが来たのは、福音を宣べ伝えるためです。奇跡が真の救いとなるためには、そこに働く神の力を見る目が大切です。奇跡は、神を知る出来事となるでしょう。ですが、奇跡は救いの入り口であっても、真の救いそのものではありません。イエスは、それを人々に示すためにカファルナウムを離れました。そしてガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出しました。
 イエスは、ご自分一人ではなく、直接の弟子たちとだけでもなく、その他の多くの人々の支持や協力を得て宣教活動を行いました。
 人と人が共に何かをすることには、時としていざこざやトラブルがつきものです。ですがそれでも、何か事を成し遂げ、それを広げていくには、自分一人だけではなく、人々の協力や助けが大きな力となります。そして何か大きな事を成し遂げるだけに限らず、あらゆる面において一人でさまざまなことを抱えこもうとせずに、手放し、「人に任せる」ことが必要な時があります。
 宣教とは、人々が神と出会うことへの奉仕です。たとえ直接的な伝道でなくとも、隣人を助ける愛のある行いが、人々と神が出会うことへの奉仕となり、自分自身も神と出会える時となるでしょう。
 聖書の中では「招く」という表現がよく使われます。イエスの招きに従うとは、私たちが苦しんでいる人、助けを求める人を、主イエス・キリストの心の部屋に招き入れるように、自らの内に招き入れることなのではないでしょうか。
 イエスは復活後、弟子のペトロに、「わたしを愛しているか」(ヨハネによる福音書2・15~17)と三度問いました。
 私たちが、主イエス・キリストへの愛のもとに、苦しんでいる人、助けを求めている人に手を差し伸べていくことができるように、私たちは、日々、神に祈り、神のゆるしと愛を覚えながら、この地上での時を生きていきましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(70)「ここにも」

「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」(ヨハネの黙示録4.1)

 「雨の匂いが好きです。」と言われて雨に匂いなんてあったのかしら?と不思議に思っている私を置き去りにしてその人は続けました。「特にあの雨の降り始めの土の匂いが好きなんです。」あー、やっとわかるような気がする。あの匂いか。乾いた土に、ポツンポツンと雨が染み込む匂いだ。もし、雨に匂いがあって雨が付くたびに何か匂いがしたら嫌だろうなぁと考えていたら、楽しくなりました。でも、雨の降り始めの匂いって土の匂いだけじゃなくていろいろあるんじゃないかと思います。葉や花の匂い、建物の匂いだったり、匂いを感じる人の数だけ匂いの種類はあるのかもしれませんが、それら一つ一つによって存在していることを思い起こされるものがあるような気がします。
 土の匂いを感じることで忘れていたあそこの土や、あそこにあった草や花。存在していることを暴くのではなく、静かにあなたにそっと存在していることを教えてくれます。
 雨だけじゃありません。光や風、ぬくもりや冷たさ。あなたが感じる一つ一つが、それらの存在を教えてくれるのです。それだけではなく、それらを感じているあなたがここにいることをあなた自身にささやいてくれるのではないでしょうか。神様がお造りになられたとわざわざ知らなくても神様が造られた一つひとつは、あなたや、全ての一人一人に語りかけます「わたしもあなたもここにいます」と。

「全国の教会・施設から」㉜

日本福音ルーテル小田原教会
指原建司(日本福音ルーテル小田原教会代議員)

 小田原教会は、ボーマン宣教師によって1955年9月18日に市内から離れた酒匂川の東(川東地区)の家庭集会から始まり、昨年で宣教70周年となりました。教会堂は1966年5月15日(牧師館は1968年6月9日)にJR鴨宮駅から歩いて約10分の巡礼街道に面した場所に、ヴォーリズ設計事務所により十字架塔を持つ箱舟をイメージして建てられました。この地は神仏への信仰があつい地で、駅名は加茂神社に由来し、巡礼街道の巡礼は、だるま市で有名な飯泉観音への参詣道です。小田原教会は地元に受け入れられておらず、礼拝出席者も20年前と比べ半減し、10名に満たない存続の危機にあります。隣の湯河原教会との兼牧で礼拝を守っていますが、小田原教会に牧師は定住しておらず老朽化した牧師館を2022年に解体し駐車スペースとしました。教会のホームページも前任牧師の個人契約のネット環境を利用しておりました。
 そのような状況の中で2024年6月に長岡牧師が、牧会委嘱(湯河原と小田原の教会を兼牧)を受けて下さったことから変化が起きました。牧師提案で、周囲の人たちに教会のことを知ってもらおうと、藤が丘教会からの献金を活用して同年11月17日に宮本新牧師の講演と著名な演奏家によるコンサートを行い30名もの方が集まってくれました。
 近所の方々に「講演とコンサート」のチラシを配ってみると、教会の周りが農地から宅地に変わっていたのには驚きました。巡礼街道沿いに建っていた工場が閉鎖となり、25年前に大型商業施設ができました。その結果小田原教会の周囲も住宅地となったのです。
 「講演とコンサート」を実施できたことで教会員も自信を深めました。すぐに礼拝出席者が増加したわけではありませんが、沈滞ムードに変化が生まれました。2025年に東教区の伝道支援金を活用した3カ年伝道計画(毎年宣教のイベントを行いながら、ネット環境を整備して信徒拡大を図り、教会の担い手を育成する)が伝道奉仕部で承認されました。
 同年9月14日に行った「宣教70周年記念特別礼拝(心に響く、言葉と音楽)」では40名の方が集まりました。また、一人の信徒の活躍でネット環境も整備され、昨年11月30日の城南神奈川地区オンライン合同礼拝に参加できました。ルカによる福音書18章2節の「神を畏れず人を人とも思わない裁判官」に対する「やもめ」のように、宣教のため、諦めず、何度でも、何でもするつもりです。

社会福祉法人慈愛園慈愛園デイサービスセンター
岡崎光治(慈愛園デイサービスセンター所長)

 慈愛園デイサービスセンターは、今から38年前の1987年3月、熊本市内で最初に開設した通所介護事業所です。特別養護老人ホームパウラスホームに併設し、施設運営も一体的に行っています。通所事業所の定員は30名で日曜日を除く毎日20名前後の方が利用されています。デイサービスは在宅高齢者の方を対象に、食事や入浴機能訓練などの介護サービスを日中受けることができる日帰りの施設です。慈愛園のデイサービスの一日は朝8時半、職員が運転する送迎車(4台~5台)によるご自宅へのお迎えから始まります。デイサービスの施設に到着後は血圧や脈拍、体温などを看護職員が確認し、入浴や脳トレなどを行います。その後、昼食の時間になります。昼食は隣接するパウラスホーム(特養)の厨房で調理された出来たての温かい食事です。昼食はなかなかおいしいと評判です。
 天気が良い日は、広大な慈愛園の敷地を散歩して季節の草花を観賞してもらったり、近くの動植物園に花を見に行ったりします。この他、レクリエーション活動はデイの職員が工夫して取り組んでいます。季節に応じた野菜作りや押し花、おやつ作り、カレンダーづくりなどに取り組んでいます。また、レクリエーションの一環として多くのボランティアの方にもご協力いただいています。音楽演奏や利用者様と一緒に歌を歌っていただいたり、フラダンス教室などご協力いただいています。こうして午後を過ごし、夕方4時ごろには帰り支度が始まります。職員がご自宅までお送りします。
 これがデイサービスでの一日の過ごし方です。このような事業所ですが、デイサービスは一般企業も開設でき、参入しやすい事業です。高齢社会で需要は増えているものの、社会福祉法人が運営する事業所はどこも苦戦を強いられています。慈愛園デイサービスセンターでは、職員による工夫や他施設の取り組みなどを参考に、慈愛園らしい特色あるサービスを求めていきます。将来に向け、慈愛園創設時の思いを受け継ぎ、地域になくてはならない、地域課題に呼応でき、質の高いサービスが提供できる施設であり続けたいと思っています。

改・宣教室から

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・宣教室長)
松本祐一郎さん(日本福音ルーテル健軍教会信徒・こどもLE.C.センター施設長)

小泉 松本さんとは、こどもLE.C.センターを通しての出会いでしたね。今は施設長になられ、こども食堂にも取り組んでいると伺いました。
松本 虐待件数が増え続けている背景には、貧困や地域のつながりの希薄化など複雑な要因があり、子どもたちは厳しい環境に置かれています。そこで児童心理治療施設「こどもLE.C.センター」と、お隣の児童養護施設「広安愛児園」とで、地域の子どもたちと家族を支えるためにコロナ下にお弁当の配布をはじめたのです。
小泉 さらに地域のこども食堂ネットワークも立ち上げられ、代表も務めておられるのですね。
松本 はい、こども食堂はブームのように語られることもありますが、継続には資金や人材、地域との関係が欠かせません。施設のお金をまわすことは出来ませんから、上益城郡で活動するこども食堂がネットワークを組んで、行政や企業と協力しながら支援や寄付を共有できる仕組みを立ち上げたのです。
小泉 松本さんが子どもたちの福祉に関わる思いを聴かせて下さい。
松本 いくら虐待を受けてきたといっても、慣れ親しんだ地域や学校、友人から切り離されて施設に入ることが子どもたちの幸せとはいえません。本来、児童心理治療施設など必要とされない社会こそがよい社会なのです。虐待を受けなくてすむ、子どもたちにも、大人たちにも温かく、優しさに包まれた社会。そんな社会のために、わたしたちがまず動かなければならないと思ったのです。
小泉 教会との出会いや洗礼に至った背景を教えてください。
松本 縁があってドイツの現地で社会福祉の実践を学ぶ機会が与えられたとき、教会が地域の核となってさまざまな取り組みを行っていたのを見ました。印象的だったのは、子どもが高齢者の車いすを押して礼拝堂に入っていった場面です。ちょうど当時、病気を経験し、「死」や「生き方」のことも考えていたこともあったのかもしれませんが、キリスト教の愛と奉仕の精神に触れ、自分にとって大切な道だと感じ、洗礼を受けました。
小泉 今日はありがとうございました。最後に、大切にしておられる聖句を教えてください。
松本 「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(イザヤ書16.4)ているです。子どもたちは尊厳ある一人の存在です。これからも子どもたちと共に歩み、学び、成長していきたいと願っています。

日本福音ルーテル教会北海道特別教区
日本ルーテル教団札幌圏諸教会
宗教改革日合同礼拝報告

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・北海道特別教区教区長)

 今回説教者として特別にお招きした日本聖公会北海道教区主教笹森田鶴師のメッセージは、多様な背景をもつ世界の聖公会の共同体において、自治が侵害されない平和をつくり出していく困難さがあることに触れながら、それでも対話による交わりと一致へと粘り強く歩んでいく教会の希望を語る、励ましに満ちたメッセージでした。
 歴史的三職・主教制というルーテル教会とは異なった教会制度を有する聖公会にあっても、主教は司祭・信徒の同意がなければ、その指導性を発揮することが出来ないのだといわれます。不安が増幅していくこの社会にあって、この世は強いリーダーシップを求めがちではあるけれども、教会はそのなかで踏みとどまり、小さな声を聴き続ける共同体でなければならない、との強調が胸に響きました。
 毎年、宗教改革記念日の夜に行われるルーテル2派によるこの合同礼拝に、今年は聖公会から説教者をお招きすることができ、また主の食卓を共に囲むことが出来ました。ニケア信条1700年という記念すべき年にあって北海道にあるルーテル2派の協議のもとで、教会の東西分裂の要因となったニケア信条の一節を、あえて「聖霊は父から出て」という形で共に告白されたことも、歴史的なことであったと思います。
 会場となった日本ルーテル教団札幌中央教会には、ルーテル両教会と関係幼稚園、聖公会やカトリック、またネットで案内を見たというノンクリスチャンの方もおいで下さり、オンラインでつながった道内各地の方々とも共に、礼拝をひとつにする喜びを分かち合う夜となりました。

東教区 宗教改革合同礼拝報告

内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会・小岩教会牧師・東教区伝道奉仕部長)

 東教区ではこれまで10月31日の夜に宗教改革日礼拝を持ってきましたが、今年からは31日の前の直近土曜日または31日が日曜日となる日はその午後に、宗教改革記念礼拝として持つこととしました。また、会場も市ヶ谷教会に固定ではなく、ずっと以前に持っていた形に戻り、都心のある程度の広さの教会を持ち回りで行うこととしました。毎年、皆さん熱心に集ってくださるのですが、やはり高齢の方も多くなられているので、明るいうちでの開催としました。また会場も、変えていくことでそれぞれの地域の方が集いやすいようにと考えました。
 そして今年は、10月25日の土曜日午後2時より、東京池袋教会を会場に開催しました。77名の参加でした。
 集会は、去年に続いての二部構成で開催しました。第一部は聖餐式礼拝で、「真に自分を生きるため」との題の説教を日本ルーテル神学校校長の宮本新牧師よりいただきました。司式は高村敏浩牧師と永吉秀人牧師また角本洵神学生と鷲見和哉神学生にお願いし、教区の聖歌隊にも2曲の賛美奉仕をいただきました。集会の第二部は、短めのシンポジウムを持ちました。2021年の教区総会で採択し、現在も更新中の宣教方策「新しい教会をめざして」のテーマを前もってお伝えしていましたが、その後さらに更新し「教会の新しいあり方をめざして」とのテーマにて昨年の合同礼拝第二部で発題いただいた立山忠浩牧師のレジュメ「これからの教会に願うこと」も取っ掛かりにしながら、これからの教会のために自分はどのようなことができるだろうかということを中心に、会場に集われた皆さんより自由に話していただき、とても感謝な時間となりました。

大阪地区 宗教改革主日合同礼拝報告

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜島の家代表)

 10月26(日)の午後2時から、豊中教会を会場に、大阪教会、天王寺教会、豊中教会の3教会による宗教改革主日公同礼拝が行われました。38人が豊中教会の主日礼拝に合流し、聖餐礼拝と交流の時を持ちました。
 この合同礼拝のきっかけは、7月に3教会の合同役員会を持ったことです。というのは、大阪教会と豊中教会の牧師がそれぞれこの2年~3年の内に定年を迎えます。全国的に牧師数が減少する中で、大阪地区の教会同士の協力が不可欠になってきています。これまでも牧師同士、代務者としての礼拝担当の機会はありましたが、会員同士での交流は、なかなかその機会を得られませんでした。会員の高齢化とともに、お互いに行き来する機会も減り、特にコロナ禍以降は、女性会や教会学校キャンプなどでも顔を合わせる機会が少なくなっていました。また、会員の顔ぶれも変わり、昔からお互いをよく知るメンバーが少なくなってきていました。
 しかし、今後の大阪地区の宣教体制を考えるためには、3教会がお互いを知る機会を持つことは喫緊の課題でした。そこで合同役員会を定期的に持つことと、会員同士の交流の機会を増やすことを考え、まずは宗教改革主日の合同礼拝を企画したわけです。
 当日は、礼拝式文は豊中教会のものをベースに用意していただき、司式を秋山牧師、聖書朗読を竹田牧師、説教を大柴牧師がそれぞれ担当して行いました。個人的な感想ですが、豊中教会は、日常的には15人~20人ほどの人数の礼拝出席でしたから、40人近い会衆の賛美の声を聞いたときは、「ルーテル教会のつながりと連帯」を感じて正直涙が出そうになりました。礼拝後の茶話会では、7グループに分かれて、自己紹介を通して、会員同士お互いのことを話し合うひと時を持ちました。参加された皆さんからも「集まれて良かった」という感想をいただき、改めて良い交わりの時が持てたのだなと思いました。
 合同の聖餐礼拝と交流を通して、豊中教会も励まされ、力をいただいたと思っています。

熊本地区 宗教改革合同礼拝報告

角本浩(日本福音ルーテル神水教会・松橋教会・荒尾教会牧師)

 熊本地区には「ルーテル」に属する施設、学校、幼保、教会が全部で40ほどあり、熊本地区宣教会議では毎年6月に聖壇奉仕交換、そして宗教改革主日に記念行事を行っています。宗教改革主日は、「講演の年」「音楽の年」「合同礼拝の年」を3年周期で守っており、今年は「合同礼拝の年」でした。
 合同礼拝では地区の牧師が皆、聖壇に上がります。会衆席には信徒たちに限らず、施設等の職員、学生の方々がたくさん来られるので、聖餐式では、クリスチャンでない方々への「祝福」のために2人の牧師が立ちます。熊本地区ならではの大きな恵みだと思います。
 今年の合同礼拝は、ニケヤ公会議から千七百年という節目もおぼえ「わたしはしんじます」をテーマとしました。また100年目を迎える九州学院ブラウンメモリアルチャペルを会場とし、九州学院みどり幼稚園の園児さんたちによる「さんび」が礼拝を和やかに彩ってくれました。
 宗教改革主日前日のルーテル学院大学・神学校世話人会も恒例行事です。そのため後援会の方がいつも土曜日から来熊してくださいます。今年は新しく会長になられた山根さんが来てくださいました。三鷹の様子をご紹介いただき、共に祈ります。日曜日の礼拝でささげられる献金等は、今年もすべて後援会におささげしました。
 礼拝には、説教者として神学校校長宮本新先生をお招きしました。力強いメッセージをいただき、満たされた私たちでした。礼拝後、体調を崩された宮本新先生のこと、また石居学長が校長代理をなさることをお聞きし、私たちは今、宮本新先生のご回復、そしてルーテル学院大学・神学校をおぼえ、祈っています。

世界の教会の声

浅野直樹(日本福音ルーテル市ヶ谷教会教師・世界宣教主事)

国連気候変動枠組条約第30回締約国会議(COP230)に信仰的アプローチ

 世界ルーテル連盟(LWF)は、昨年11月にブラジル北部のベレンで開催された国連気候変動枠組条約第30回締約国会議(COP30)に参加しました。今回の会議では、証拠に基づいた運動の推進(アドボカシー)と、地域社会と先住民が地球の気候変動にどう関わっているかを明示することが目的でした。
 LWFから約40名の代表者が対面またはオンラインで参加し、他の宗教団体と共催してイベントを行い、信仰ベースの気候対策を呼びかけました。

「ベレンのCOP30は、気候変動対策の決意を地球レベルで確約する重要な機会です。私たちLWFが続けている働きが、弱い立場にある人々を守ろうと取り組んでいる地域にとってどれほど意義深いものかを示す良い機会です。」(エレナ・セディロさん・LWF気候正義対策担当)

 オンライン参加者3名と現地参加の12名は、LWFに属する世界18教会の代表者です。ホスト国ブラジルのルーテル教会(IECLB)が、他の教会や宗教団体の協力を得ながら、礼拝などのイベントをサポートしました。
 ベレンでの会議にはLWF代表者数人が参加し、また地球を覚える集会と気候マーチ(行進)など国連主催のイベントに大勢が参加しました。
 LWFと他の宗教団体は、気候正義について意見を交わし連帯を強めるための集会、タラノア対話を開催しました。ほかに先住民のことを知るためのセッションや、環境保全、気候変動で危機的状況にある地域の保護についてディスカッションする場を設けました。その他のイベントとして、地球温暖化の防止にむけた信仰と科学に基づく協力体勢の推進、気候変動に対する補償を求める活動の推進、また世界が低炭素経済へ、平等、包括的そして人権に基づく取り組みへと移行することを目指した集会が行われました。
 過去のCOP会議でもそうでしたが、今回もLWFユースが気候正義を覚えて各方面で活躍しました。植樹やワークショップ、国ごとの計画作りに参加しました。
 LWFの呼びかけで気候止義の働きに協力する加盟教会もあります。またLWFワールドサービスは、気候変動危機の緩和のためのプログラムなどを実施しています。

教会とディアコニア①

石居基夫(ルーテル学院大学学長・日本ルーテル神学校教授)

 このたび、この「るうてる」誌に「教会とディアコニア」をテーマとしての連載企画を提案いただきました。ルーテル学院大学・大学院を終えていかなければならない時だからこそ、与えられた機会だと思っています。長く社会福祉や臨床心理という対人援助の専門教育と研究を重ねてきたことの意味を、ただ学校の中だけで確認するのではなく、教会と共に学びの時を持たせていただけることを本当に幸いなことと思っています。
 昨年の夏に行われた法人会連合の総会でも学んだことなのですけれども、ルーテル学院の働きは、教会の宣教の働きの一つとして、そして同時に教会のさまざまな宣教を支えるものとして、絶えず教会の皆さまと共に作り上げてきたものであることを改めて思い起こしています。だからこそ、この節目にあたってそれは何であるのかということを確認し、カタチは変わったとしても次の世代へとその使命を引き継いでいきたいのです。
 ルーテル教会の宣教は、始まりこそ教会における福音伝道に集中をしていましたが、10年後には佐賀での幼稚園、20年を数えるまでには神学校と九州学院、そして30年後には慈愛園の社会福祉への取り組みを展開しました。もちろん、宣教母体からの大きな祈りと支え、具体的な宣教師たちの決意と働きがあったからこそ生まれてきた事業です。けれども、それと共に、私たち教会の祈りと働きの中に具体的な働き人が与えられ、成り立ってきたものです。そうしてルーテルの宣教は多様な働き(奉仕)を実現することができました。この宣教の中心にあるのはキリストご自身であり、信仰において働きを守る使命を私たちは神様からいただいたのだと思います。
 そのすべての取り組みに共通するのは、キリストのみことばに生かされ、導かれつつ、それぞれの働きの意味を確認し、働きそのものにおいて喜び、教会をあげて神の民としてそれぞれに参与するということでした。そこには日本にある私たちが受け取ってきたルーテル教会のディアコニアの精神が息づいているのだと思うのです。もしかしたら、そのディアコニアということに気づかずにいるかもしれませんが、ルーテル教会の宝と賜物とを今だからこそ確認をしたいのです。
 今回からの連載の中で、ディアコニアとは何か、そしてそれを生きてきたルーテルの宣教とは何かということを共に確認しつつ、学んでまいりたいと思います。

メーガン・ティ宣教師自己紹介④

1.お名前とご年齢を教えてください。
 メーガン・ティです。年齢は34歳です。

2.ご趣味は何ですか?
 夫と一緒に新しい料理を作るのが大好きです。最近はプルコギの作り方に挑戦しました。神様が日本に導いてくださるずっと前から、完璧な卵焼きを作ろうと頑張ってきました。まだ成功していませんが、東京で四角いフライパンを買えるので、これから上達できると期待しています。料理教室に通って、みそ汁や豚カツの作り方も学びたいです。
 また、読書、刺しゅう、ガーデニング、息子たちと遊ぶこと、ランニングも好きです。

3.牧師になろうと思ったきっかけは?
 14歳の時から牧師になりたいと思っていました。私は教会に通って育ったわけではなく、友人に誘われて堅信クラスに参加したのがきっかけです。イエスの物語に夢中になりました。私の召命は、イエスが示してくださった「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛する」という模範に深く根ざしています。私の家族で初めて神学校に進み、初めての牧師になりました。2018年に按手を受け、ミネソタ州とテキサス州で奉仕してきました。東京教会は3カ所目の任地です。

4.日本の印象は?
 今のところ東京しか見ていませんが、都市の中に美しさへのこだわりに感動しています。緑が多く、美しい壁画や彫刻、建物も独特で素晴らしいデザインです。アメリカでは公共交通機関がほとんど使えない都市が多いので、東京の複雑な電車やバスのシステムには本当に感謝しています。車が無くても移動できるのは、奇跡のようです。そして、これまで出会った東京の人々にもとても感謝しています。私は外国人で、日本語の勉強を頑張っていますが、私や家族とコミュニケーションを取るのは簡単ではないはずです。それでも多くの方がとても親切で、辛抱強く接してくださいます。そして東京教会での最初の3回の日曜日もとても楽しかったです。本当に、ここで聖霊の存在を感じています。

第33回春の全国ティーンズキャンプ開催のお知らせ

 今回は東京開催です。イエスさまの十字架の道行きについてみんなで考えて、体験します。参加のお申し込みをお待ちしています!
〈テーマ〉「イエス・キリストの十字架」
〈日時〉2026年3月30日(月)~4月1日(水)
〈会場〉高尾の森わくわくビレッジ(〒193-0821東京都八王子市川町55)
〈参加費〉1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)
〈参加対象〉2007年4月2日~2014年4月1日生まれの方
〈応募締め切り〉2026年2月15日(日)
〈申し込み〉公式ブログよりお申し込みください。
https://tngteens.hamazo.tv/e10095252.html

【同時募集】スタッフ募集
〈募集人数〉若干名
〈募集資格〉2007年4月1日以前生まれの方
キャンプの全日程に参加できる方
事前に開催されるZoomでの研修会に参加できる方
〈スタッフ応募締め切り〉2025年12月末日
〈申し込み〉公式ブログよりお申し込みください。
https://tngteens.hamazo.tv/e10095256.html

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