るうてる2024年02月号
「主の変容に励まされ」
日本福音ルーテル湯河原教会、小田原教会牧師 岡村博雅
「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」(マルコによる福音書9章7節)
私たちは希望がなくては一日たりとも生きてはいけない。それは平和な状況ばかりか、戦時下においてですら同じではないだろうか。常に死と隣り合わせているような暗闇の中にあっても、人は希望を持ち続けて生きることができる。
主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを「連れて」、高い山に登った。それはやがて福音を伝える中核となる者にご自分が変容する姿を見せて、ご自分が誰であるかを教え、死を超える希望を悟らせるためである。
2節の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」の箇所は原文では受動態の動詞が使われている。それは主イエスがご自分で姿を変えたのではなく、この3人のために、父なる神によって姿を「変えられた」のだと示すためだろう。ギリシャ神話の神も映画のヒーローたちも自ら変身するが、主の変容はそのような変身ではない。100%人間である主が、実は100%天に属する存在であることを、天における輝きを垣間見せることによって示してくださった。
主イエスの正体をいっそう明確にするのは4節のモーセを伴ったエリヤの出現である。エリヤは天に取り去られたと信じられていた。そのエリヤが現れたことは、主イエスが天に属する存在であることを証ししている。つまりエリヤがモーセと一緒に姿を現したのは主イエスのためではなく、この弟子たちが、自分たちは今天の有様を目にしていると信じさせるためだと考えられる。
変容は主イエスの正体を示す出来事だが、なぜ主はご自分の正体を示す必要があったのだろうか。この記事の前にはペトロの告白があり、主による受難予告とペトロの誤解が語られ、主は弟子にも群衆にも十字架の道を歩むようにと語りかけられる。つまりマルコは主の変容の意味は受難との関係の中で考えるべきだと指し示しているのである。「自分の十字架を背負って私に従え」と十字架の道を示されているとおりだ。
ペトロは主の変容を見て言葉にできない喜びを味わったことだろうが、彼はそれに溺れっぱなしではない。この事態を確かなものにしようと知恵の限りに思い巡らす。彼の結論はそれぞれに小屋を造り、この天の栄光を地上につなぎとめることであった。
このことからペトロは主から受難を告げられても、相変わらずメシアの受難をよく把握できずにいることがわかる。主イエスの栄光の姿を見るとそれを永遠に残したくなり、小屋を造ろうとする。しかしメシアとしての主イエスをとどめることはできない。メシアは苦しまねばならないからだ。神が人類の救いのためにお定めになった主イエスの道は十字架の道である。その道の先には、ペトロたちが今目にした栄光がまっているのだが、ペトロの思いはそこに至らない。ペトロたちは、「これに聞け」というこの時に聞こえた神の声に従うことができなかった。それは彼らが「恐れた」からである。恐れは見るべきものを見えなくする。彼らはこの時はまだ十字架の先に栄光が待っていることを悟りえなかった。
この高い山でのペトロたちの体験を通じて、神は信じる者に主の変容と復活の栄光を見せてくださる。私たちもこの出来事に励まされたい。十字架を背負って生きるとき、あの高い山で主が変えられたあの天上の輝く姿を心に描くことができるのは希望だ。十字架を背負って生きることの意味はそのまま主の変容の意味に直結している。
終わりの日には、私たちの目から涙はことごとく拭われる。それまで私たちには嘆きも労苦もつきまとう。それは避けようのないものだ。そんな私たちに、主は「大丈夫だ」「安心なさい」と栄光の姿を見せて励ましてくださる。この物語を何度も読み直すうちに、温かく安らかな光りが心に満ちてきた。
主はどんな苦難の中をも共に歩んでくださいます。私たちを、あなたを、必ずや光の中へと伴ってくださいます。ハレルヤ!
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
㊼一つ一つに
「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」 (ルカによる福音書9・16~17)
「どんなに単調に思える仕事であっても、あなたの配るお皿一枚一枚を受け取る誰かのために祝福があるように、と祈りながら一枚一枚を配ってみなさい。あなたがたとえ毎日やっている同じ仕事でも決して単調ではなくなるわ。」この先輩からの言葉により毎日同じ仕事で単調でつまらなく感じていたお皿配りが意味あるものになったという話を読んだことがあります。
意味のない仕事はないんだなぁと思いながら、仕事をしていなくては生きている意味がないのかなと思ってみることがあります。
病気が分かったばかりの時に、障害が進み働けなくなるかもしれないと病気仲間と話していた時、突然一人が「仕事をして働いていないと人間じゃないよ。」と言っていたのを思い出してしまいました。
病気で働けなくなった人は人間じゃないのだろうか?そんなことはない。仕事ってなんだろう?働くって?単調な仕事に祈りが意味を与えてくれるのなら、祈りのあるところには必ず働きがあります。たとえ祈っているということが他人にわからなくても。イエス様みたいにパンや魚を増やせなくても。だってあなたが祈っているから。
誰の祈りでも必ず神様に届いているから意味のない単調な仕事なんて無い、それらにあなたが祈りを添えれば。私は何もできないと思わなくてもいい。手を合わせられなくてもあなたの心を合わせて神様に向ければ。だって祈りは必ず神様に届くから。あなたは神様にお任せできます。
リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑨
日本福音ルーテル稔台教会
内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)
稔台教会の始まりは1951年7月からのエーネ・パウラス宣教師の働きがきっかけです。これは、陸軍演習場の原野であった稔台に戦後の開拓団が入り、共働きの夫婦が多いことから、市川におられたパウラス師に協力をいただき保育園を開設、ほどなく伝道も開始されました。保育園そのものは別の場所で、また直接の関係はありませんでしたが、宣教師の隣人に仕える姿に人々は感化を受け、集会へ足を運ぶきっかけとなりました。
稔台教会として公認を受けたのは1954年で、1955年に最初の教会堂献堂が行われました。初代の邦人教職は石田順朗牧師。その後、もう一つの大きな出来事として、田中良浩牧師のとき1967年から開始された学童保育が挙げられます。このように、稔台教会は開設当初より、地域の子どもたちと親御さんに奉仕する関係を続けてくることができたことは本当に感謝でした。1983年に2度目の教会堂献堂が行われ、現在に至ります。
学童保育(放課後児童クラブ)は3年前より、松戸市の全クラブが、市が主体として行う事業となったため、教会ゆかりのNPO法人から市内の別のNPO法人へと移管し、会場を貸す形に変えました。当会場以外の市内のクラブは小学校内に移設されており、稔台教会としても、近い将来、クラブは小学校内に移ってもらい、その後はクラブに入ることのできない子どもたちのために、教会ゆかりのNPOを通して奉仕をしたいと計画しています。
稔台教会は現在、上記のような地域への奉仕だけでなく、社会全体への奉仕として、世の痛みを覚え、隣人の命を守りまた豊かに得させるための働きにつきたいと願っています。脱原発への学びや支援の取り組みも、その一つです。
他の課題としては、現在の会堂になってから40年となり、10年前に中規模修繕は行いましたが、上下水道管の交換を含む残りの工事もそろそろ行いたいと予定しています。
認定こども園めぐみ幼稚園
山﨑かおる(めぐみ幼稚園園長)
めぐみ幼稚園は、75年前、戦後の混乱の時代に、幼児教育の場がほしい、という地域の要請にこたえて、宣教師モード・パウラス先生の祈りと尽力により、旧三菱工員クラブを利用した小さな園舎で開園しました。2015年には、幼保連携型認定こども園として新たな歩みを始め、0歳から6歳までの子どもたちの豊かな育ちを見守っています。 「神と人から愛され健康で心豊かな子ども」が遊ぶ園として、一人一人の主体性を大切にしながら、自由でのびのびとした保育の実践に努めてまいりました。社会が変化し、時代の要請が変化しても、変わらずイエスさまの愛を子どもたちに伝えています。
この3年間は、感染症拡大のことがあり、毎年大切にしてきた行事等、教師間でよく話し合って、縮小したり、形を変えながら、できるだけ実施してきました。プレイデイ(運動会)は、大きな江津湖公園での開催をやめて、子どもたちが慣れ親しんだ園庭で、0歳から3歳までの小さい学年、4歳以上の大きい学年に分けて、時間差で行うようになりました。子どもたちが安心して参加できます。感謝祭礼拝、子ども祝福礼拝は、集まる人数のことを気にせずに、礼拝を行うことができました。チャプレンの安井宣生牧師、曾我純神学生が来てくださって、祝福の祈りをしてくださいました。クリスマスは、クラスごとに、礼拝と祝会を行うようにいたしました。少人数のため、子どもたち同士の一体感、保護者の方々との一体感をより強く感じて、嬉しくお祝いできたように感じます。
ここ数年、また、これからも、少子化の影響のなか、認定こども園として園を運営していくことの難しさがありますが、私たちが、いつもイエスさまに見守られ、愛されていることを、保育を通して子どもたちに伝えていきたいと願っています。
改・宣教室から
小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)
―今回は、地域とともに新しい取り組みをはじめておられる東京教会の野坂幹也さんのお話しを伺います。はじめまして。東京教会の松本義宣牧師から、野坂さんとコミュニティ・カフェについて紹介していただきました。野坂さんと教会との出会い、またコミュニティ・カフェについて教えていただけますか。
野坂 はい、もともとは前任牧師時代の「牧師カフェ」に出入りするようになったのがきっかけで英語礼拝に参加するようになり、東京教会で洗礼を受けたのが6年前です。牧師の交代とコロナ禍によるカフェの中断がある中で、地域における外国人支援の活動を模索していたChurch World Service(CWS)というキリスト教団体からの働きかけがあって、2022年の春に東京教会でコミュニティ・カフェの活動が始まりました。いろいろな国籍の人たちが出入りしながら、料理教室やワークショップ、オルガンコンサートなどのカフェの取り組みが続けられてきました。
―なるほど。東京教会は新大久保のメインストリートのど真ん中にあって、外国の方々もアクセスしやすい立地ですね。昨年は、地域のお祭りにも出店なさったと伺いました。
野坂 大久保祭りですね。地元の方々も教会に期待してお声かけして下さったので、コミュニティ・カフェと英語礼拝の参加者を中心に、7カ国の料理をテイクアウト出来るお店を出店し、とても好評でした。お祭りで配布したチラシを見て教会の礼拝においでくださった方もあり、伝道的な効果もあったと思います。古くから住んでこられた地域の方々の中には、様変わりしていく街の様子に戸惑っている方々もおられるようです。このようなお祭りが、外国籍の方も、韓国コスメを買いに来られる若い人たちも、昔からおられる地域の方々も、そして教会も、みなが協調していけるきっかけになるなら嬉しいですね。
―興味深いお話しをありがとうございました。最後に野坂さんが大切にしておられる聖句を教えて下さい。
野坂 マタイ25章40節の「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」は、訪問介護士という私の仕事の中でも、日々意識している私の大切な御言葉です。私自身も小さな存在であることに気づかされることで、イエス様と共に歩むことができると感じるのです。
世界の教会の声
浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)
ドイツ大統領夫妻がオーガスタナ・ヴィクトリア病院を訪問
ドイツのシュタインマイヤー大統領夫妻が2023年11月、東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院(AVH)を訪問し、ガザ地区から送られてきた患者たちと面会をしました。オーガスタナ・ヴィクトリア病院はオリーブ山にあり、世界ルーテル連盟(LWF)がオーナーとして運営しています。ガザ地区からの患者100名以上がここで治療を受けていて、その多くは親類に付き添われてやってきた子どもです。彼らは10月初旬にハマスとイスラエル間で始まった戦争のために帰宅できなくなっています。
「病院は人間愛が通う場所です。」シュタインマイヤー大統領はこのように述べ、病院の働きに讃辞を送り次のようにコメントしました。「今起きている戦争が、この病院とここで治療を受けている患者さんたちに影響が出ていることは確かです」。「ガザ地区からの患者の移送は今はありませんが、今後どうすべきかについてはスタッフと協議したいです。」
大統領とエルケ夫人は、ファディ・アトラシュCEOはじめ病院幹部との話し合いが終わるとガザ地区の患者たちと面会しました。夫人は、「重病の子どもに付き添うお母さんたちは、ガザ地区のその他の子どもたちのこともとても気にかけていらっしゃいますね。」と述べました。
東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、がんと腎臓病治療を専門としています。もともとはドイツ帝国期にドイツ人巡礼者のためのセンターとして建てられましたが、1948年の中東戦争を機にパレスチナ人難民の支援施設として病院となりました。現在のところオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、ガザ地区とヨルダン川西地区からの患者に放射線治療と小児透析を提供できる東エルサレムで唯一の病院です。多くの子どもを含む約7000人の患者が、毎年ここで治療を受けています。
※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。
山内量平探訪記②
古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)
ルーテル教会の初代日本人牧師、山内量平は和歌山県の人です。
私は、南紀白浜空港から紀勢線で南部(みなべ)に着きました。南高梅で知られるみなべ町は、静かな落ち着いた町です。
山内家は江戸時代から「松屋」という酒造業を営む豪商でした。坂井信生著『山内量平 日本のルーテル教会初代牧師』には「信用金庫の支店から海岸にいたる場所」とあって、その間は200メートル以上あります。松屋の跡地を確かめられる資料はないかと町立図書館で司書に尋ねてみましたが、残念ながら明治初期の地図はありませんでした。
海とは反対側の町外れの法伝寺に、量平の祖父と父の墓があるそうなので、行ってみました。墓地の中に屋根のついた特別な場所があって、祖父、繁樹と父、繁憲の大きな墓がありました。もうひとつの女性の墓は祖母でしょう。量平の母、三千代は、後に受洗したからです。
「繁樹大人奥都伎」という墓の横には、みなべ町指定文化財の立て札がありました。それによると、繁樹は1773年に生まれ、本居宣長門下で国学を修め、老後田辺藩から士分の待遇を受けて多くの門下生を教えたとあります。山内家が地域の文化の中心でもあったことを伺わせます。量平とその妹たちも、この環境で育ち、男女とも幼少時から教養を養われて育ったようです。
次回は、最初にキリスト教に出会った妹、季野を取り上げます。
メコン・ミッション・フォーラム報告
森田哲史(日本福音ルーテル大江教会牧師)
2023年11月14日~16日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に参加いたしました。
MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。
1日目の研修は、プロジェクト・マネジメント・ワークショップとして、ディアコニアについて行われました。その際の考え方の一つとして、ニーズベースとアセットベースという考え方が印象的でした。ニーズを聞くと言えば私たちは良い印象を持つかもしれません。しかし、ニーズベースは、コミュニティがどれだけ発展しても、常に何かが欠けているという意識があり、本質的にネガティブであり、外部からの継続的な介入に依存してしまうと言います。一方のアセットベースは、すでにそこにあるもの、人やコミュニティがすでに持っているものに焦点を当てることにより、本質的にポジティブであり、コミュニティ自身が開発の長期的な管理者となることが出来ると言います。
2日目は、神学教育をテーマに、各国が置かれている現状と課題をグループごとに分かち合い、その後マレーシアとシンガポールで行われている取り組みが分かち合われました。
3日目は、MMFの総会があり、この1年間のMMFの活動報告、予決算の承認、審議事項の協議などが行われました。
JELCでは2023年の全国総会において、アジア宣教、中でもカンボジア宣教を行っていくことが示されました。カンボジアの持っているもの、日本の持っているものが組み合わされ、より大きな宣教の働きのために用いられるようお祈りいただけましたら幸いです。
カンボジアルーテル教会 ビショップ就任式出席報告
永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)
この度、2023年11月9日にカンボジアのプノンペンで行われた、カンボジアルーテル教会初代となるビショップの就任式に出席してまいりました。カンボジアルーテル教会は、ルーテル世界連盟(LWF)が主宰する「メコン・ミッション・フォーラム」の活動から生まれました。
このメコン川流域の宣教を考える会議は、この地域に宣教師を派遣している欧米などの諸外国も参加しています。日本も20年以上にわたり出席しており、負担金を拠出してまいりました。メコン川流域には、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの各国があります。
カンボジアルーテル教会が設立されたのは2010年。シンガポールの主導で宣教が始まり、アメリカをはじめオーストラリア、ドイツ、香港、フィンランドの宣教団体の協力で進められています。2024年からはアメリカとの共同宣教として日本もカンボジアの宣教に加わる準備をしています。
カンボジアにルーテル教会が誕生して14年目。アジアで最も若いルーテル教会は、アジアの希望であり、世界の希望のシンボルです。就任式はプノンペン市内にある超教派の聖書学校で行われました。カンボジア初のビショップに就任されたのは、スリリャック・タッチ(Sreyliak Tuch)氏。シンガポールのビショップが司式を務め、マレーシア、アメリカ、南アフリカのビショップと日本の議長を含めて5名による按手がなされました。この日、他に4人の牧師がカンボジアのビショップから按手を受け、これで按手を受けている牧師は総勢5名となりました。すでに4つの教会が建てられています。今回は2019年にアメリカの支援で建てられた最も新しい教会を訪問しました。下水道のない未舗装路脇に立つ地方教会で、礼拝をはじめ学童保育、家庭支援を行い、養鶏やキノコ栽培を通して地域産業への寄与が目指されています。パンデミックの影響で3年間は活動を休止したものの、今年からの宣教で既に28名の受洗者が与えられたという喜びの報告を受けました。
今回の渡航は単身、突然の通訳者の不在、帰りの飛行機がないというトラブルの中、日曜日までに帰国できたことに安堵します。
「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」刊行2年!
松本義宣(典礼委員会委員長・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)
「歌わない・歌えない」コロナ渦中の2021年10月に刊行され2年が経ちました。まだお手元に届かず、目にされていない方もあるかと思います。「るうてる」紙上で収録曲の簡単な紹介の連載も一段落つきましたので、改めて「増補版」の紹介、PRをいたします。
本来は、2017年の「宗教改革500年」に合わせた刊行を目指し、当初は200曲ほどの教会讃美歌の補完・増補版を計画していましたが、力不足のため遅れ、準備ができ著作権等のクリアが可能となったルターの賛美歌や公募曲を中心に、54曲を「分冊Ⅰ」として刊行しました。これまで紹介されていない、また新たに翻訳したルターの賛美歌が目玉です。これまでのものと合わせてほぼ全てのルターの賛美歌が日本語で歌えます(1曲未完!)。さらに、新しい試みとして、テゼー共同体風の繰り返す賛歌や、邦人による創作歌、他の歌集からの収録もあります。併せて「改訂式文」に付された新しい「礼拝曲集(式文歌)」も紹介しました。歌集を用いて、セットではなく、礼拝内で自由に取捨選択、味わい用いていただけるようにしています。
印象的な出来事の紹介 です。2022年7月、カトリック教会「シノドス」会議のためのエキュメニカルな合同礼拝(カトリック、聖公会、日本福音ルーテル教会、NCC)が、聖イグナチオ教会で開催された際、当時はまだ会衆賛美は自粛し、カトリック教会のシスターの聖歌隊が歌うのを聞く礼拝でした。各派が歌を持ち寄りましたが、開会の歌として増補12番「喜べ教会よ」を提供しました。これはルターの宗教改革的福音信仰の真髄を示す代表的な歌です。それが、シスターたちの歌声で聖堂に響いた感動を私は今も忘れられません。2023年には、COVID—19の5類変更を受けて、東教区「教会音楽講習会」で増補版を歌う会を持ち、秋には大阪での「聖書日課・読者の集い」でルターの教理問答歌を賛美しました。各教区・地区・教会でも紹介の試みがなされ、広く用いられていくことを願います。
※「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」(1,100円)の購入は、本教会事務局または各キリスト教書店まで。
教職授任按手式開催のお知らせ
李明生事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)
2024年3月3日(日)19時から21時に日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(日本福音ルーテル東京教会)を会場に4年ぶりに教職授任按手式を開催予定です。
受按予定者(かっこ内は出身教会)
笠井春子神学生(田園調布)、
河田礼生神学生(三鷹)、
三浦慎里子神学生(室園)、
デイビッド・ネルソン神学生(本郷)
の4名です。
詳細が決まりましたら改めて各教会にお知らせをいたしますが、どうぞご予定くださいますよう何卒お願い申し上げます。
第36回教会音楽祭 メロディー公募のお知らせ
秋吉亮(日本福音ルーテル日吉教会信徒)
今年、数年ぶりに教会音楽祭を対面で開催いたします。この音楽祭で歌う短いメロディーを作曲してくださる方を公募いたします。曲の長さは20秒以内が目安です。聖句、応募要件は以下の通りです。
■ 聖句
詩編103編 22節前半
「主に造られたものはすべて、主をたたえよ」(新共同訳聖書)
詩編146編1節
「ハレルヤ。わがたましいよ 主をほめたたえよ」(新改訳聖書)
※聖書はどの訳を用いてもけっこうです。語順入替えや繰り返しは、しないでください。
■ 応募要件
①未発表の曲に限る
②五線譜の形式で提出すること(単旋律でも合唱でも可)
③聖書のどの訳を用いたか、譜面に明記すること
④作品の著作権は、一旦教会音楽祭実行委員会に帰属させ、第36回教会音楽祭終了後速やかに作曲者に返却する
※採用は、教会音楽祭実行委員会で協議・決定いたします。その際、実行委員会が応募作品に手を加える可能性があることを、ご了承ください。
■ 提出先:
メール添付の場合
mail@cmf.holy.jp
郵送の場合
〒105–0011
東京都港区芝公園3–6–18
日本聖公会東京教区事務所
礼拝音楽委員会「教会音楽祭」係
■ 応募締切:
2024年3月8日(金)必着
■ 発表:
第36回教会音楽祭にて
■ 問い合わせ先:各教派の教会音楽祭実行委員、または教会音楽祭ホームページ「お問い合わせ」よりお願いいたします。
ホームページアドレスはhttp://cmf.holy.jp/
2023年度「連帯献金」報告
2023年度も多くの方々から「連帯献金」に対しまして
支援を頂きました。感謝してご報告いたします。
(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)
■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会
■エルサレム緊急支援 1,166,924円
竹内輝、なごや希望教会、長崎教会、岡山教会オリーブの会、太田立男・泰子、羽村教会・羽村幼稚園、福岡市民クリスマス実行委員会、西宮教会、知多教会、奈多愛育園、木邨仁代、日田教会、藤が丘教会女性会、厚狭教会、名古屋めぐみ教会、西条教会、大分教会、横須賀教会、シオン教会柳井礼拝所、清水教会、浜松教会、都南教会、都南教会教会学校、宮崎教会、栄光教会、小倉・直方教会、蒲田教会、聖パウロ教会、湯河原教会、岡山教会、松江教会、京都教会、小鹿教会、石田宏美、市ヶ谷教会、るうてる愛育園、大江教会、帯広教会、静岡教会、合志教会、清水紀子、浜名教会、健軍教会、秋山仁、高知ほっとチャーチ、横浜教会、田園調布教会、高蔵寺教会
■メコンミッション 17,700円
泉川道子、ルーテル聖書日課読者の集い
■災害被災者支援 25,000円
コヤマヨシオ、聖パウロ教会
■ウクライナ人道支援 1,692,747円
仙台教会鶴ケ谷礼拝堂、松本教会、唐津ルーテルこども園、むさしの教会ヴィニヤードの会女性会・壮年会、大岡山教会、小田原教会、国府台母子ホーム母・子・職員一同、国府台母子ホーム利用者有志、田園調布教会、田園調布ルーテル幼稚園、湯河原教会、山県順子、雪ケ谷教会、小林勝、岩田茂子、金城学院ハープアンサンブル部、函館教会、甲府教会、藤が丘教会、日田教会、豊中教会、蒲田教会船山、むさしの教会、定期総会席上献金、大岡山教会教会学校、女性会連盟、湯河原教会、川上直子、東教区女性会、宣教フォーラム実行委員会、玉名教会、東京池袋教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、都南教会教会学校、蒲田教会、聖パウロ教会、小岩ルーテル保育園、匿名献金
■トルコ・シリア震災被災者支援 4,378,651円
イシモリトシユキ・キョウコ、林雄治、ウエダケイゾウ、久保陽司、博多教会、福岡西教会、石井千賀子、木原伊都子、シオン教会柳井女性会、諏訪教会、竹内輝、近藤義之、小川原智、石田宏美、掛川菊川教会、原田恭子、若林宏子、佐藤紘一郎(重子)、高蔵寺教会、安藤真理、小鹿教会、復活教会、清水教会、佐藤義夫・福子、なごや希望教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、武井順太郎、清水紀子、関満能、函館教会、岡山教会オリーブの会、本郷教会、シオン教会防府、知多教会、小城教会、保谷教会、小石川教会、シオン教会徳山、八幡教会、佐藤節男、西条教会、山之内正敏、シオン教会柳井礼拝所、大江教会、千葉教会、唐津ルーテルこども園、小杉由子、日田ルーテルこども園、小倉・直方教会、東京池袋教会、浜名教会、広島教会、札幌教会、甲府教会、宇部教会、筑後地区女性会、名古屋めぐみ教会、刈谷教会、恵泉幼稚園、厚狭教会、田園調布教会、松江教会、湯河原教会、健軍教会、岡山教会、福山教会、賀茂川教会、賀茂川教会教会学校、小岩教会、甘木教会、挙母教会、羽村教会、別府教会、荒尾教会、大森教会、真生幼稚園、天王寺教会、大柴譲治、二日市教会、沼津教会、神水教会、蒲田教会、岐阜教会、藤が丘教会、小城ルーテルこども園、都南教会、帯広教会、西宮南福音ルーテル教会、日田教会、浜松教会、小田原教会、松橋教会、栄光教会、恵み野教会、岡崎教会、久留米教会・田主丸教会、静岡教会、玉名教会、京都教会、三鷹教会、西宮教会、八王子教会、室園教会、豊中教会、津田沼教会、大垣教会、仙台教会、大分教会、箱崎教会、横須賀教会、コマツヤスヒロ、むさしの教会、宮崎教会、市川教会、鹿児島教会、神戸教会、中野邦子、下関教会、修学院教会、東京教会、聖ペテロ教会、高蔵寺教会教会学校、匿名献金(2件)
■世界宣教(無指定) 308,755円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、宇部教会、下関教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、横須賀教会、賀茂川教会、三鷹教会、シオン教会平和礼拝席上献金、宮崎教会、めばえ幼稚園、日吉教会、岡村博雅
今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、戦争、災害、飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[パレスチナ支援LWFエルサレムプログラム緊急募金] [ウクライナ人道支援] [メコンミッション] [釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教(目的指定なし)]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗) 日本福音ルーテル教会