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バイブルエッセイ

神によって変えられる

 「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15〜16)

 10月31日は何の日でしょうか。このように問うたならば、これをお読みのみなさんはおそらく迷うことなく「宗教改革記念日」と答えることでしょう。特に今年は500年目という記念の時であり、今月23日には長崎でカトリックと合同で記念礼拝も行われます。ただしかし、世間の人々に同じ質問をしたら、十中八九、いや100人に99人は「ハロウィン」と答えることでしょう。
 近年では日本でも盛んで、子どもや若者が仮装を楽しんでいます。これは元々はケルト(ヨーロッパ)の新年のお祭りに由来して……という説明はしばしば耳にしますが、それだけでなく、そこにキリスト教も深く関係しているということは、あまり教会の中でも知られていないのではないかと思います。

 ケルトの暦では10月31日は大晦日で、その夜は地獄の釜の蓋が開き、悪霊や先祖の霊がこの世に溢れると信じられていました。先祖の霊ならば歓迎しそうなものですが、もし境目が閉じてしまったらこの世で悪霊化してしまう為、篝火を焚いたり恐ろしい格好をしたりして悪霊も先祖の霊もあの世に追い返すということが行われていました。この「サウィン祭(死神祭)」が、今日のハロウィンの仮装の元となっています。恐ろしい扮装は、本来は言わば戦装束であったのです。

 しかし、キリスト教の伝来により、この行事は大きく変化します。死者の祭りがその時期に行われるということは変わりませんでした。むしろ、その点ではキリスト教の側が影響を受け、元々は5月に行われていた死者の礼拝が11月に行われるようになります。今私達の教会の暦で11月に召天者記念礼拝を行うのはその為です。変わったのは、死者との関わり方です。サウィン祭においては、先祖の霊は恐怖の対象であり追い払うべきものでした。しかし、聖書の教えにより、私達には永遠の命が与えられており、死者もまた神様の愛を受け、共に同じ主の平安の内にあることを知ります。死者の祭りは、生きる者も召された者も共に唯一なる主の元にある、その喜びを知る時となったのです。死者を覚えるという出来事は同じでも、キリストの教えにより、その在り方、意味するところは180度変わりました。そこには不安や争いではなく、平安と喜びが与えられることとなりました。恐怖のサウィン祭は過ぎ去り、希望と安らぎに溢れる召天者記念の時が与えられたのでした。

 ところで、キリスト教では死者を弔う日の事を「諸聖人の日」(All Hallows Day)と呼びます(謂れは先月号の鈴木先生の記事をお読みください)。そしてこの記念日は、クリスマスと同じように、前日の日没から祝われたそうです。Hallows dayのEvening、Hallows’een。これが「ハロウィン」となるのです。
 神様の働きにより、恐ろしいサウィン祭は、喜びのハロウィンに変わりました。恐怖や不安を前にしても、たとえ死という恐ろしい出来事と向き合う時であっても、神様が共にいてくださる時、そこには喜びが溢れてゆくのです。

 さて、今年は宗教改革500年という年です。この宗教改革という出来事も、100年前と今では、大きく意味を変えています。100年前は、カトリック教会とプロテスタント教会の分裂の象徴でもありました。
 しかし今、カトリックと合同で、この宗教改革を覚える礼拝が行われるところまで来ています。そこには確かに、和解させてくださる神様の力が働いています。神様の力は、世界に働き、歴史に働き、今を生きる私達にも働いています。

 神様の恵みによって、世界は、私達の在り方は、大きく変化してゆきます。不安や争いが取り払われ、安らぎと喜びが満ちあふれてゆくのです。死者の記念日が恐怖ではなく喜びの時となったように、宗教改革が争いではなく和解の象徴となったように、神様は私達の人生の只中にも働き、私達にまことの平安を満たしてくださるのです。

 日本福音ルーテル久留米教会、田主丸教会、大牟田教会 牧師 宮川幸祐

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