小さな平和
主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。 (ミカ書4章3節)
前任地の新霊山教会では、デンマーク牧場福祉会のチャプレンとしての働きも与えられていました。施設の一つである特別養護老人ホーム「ディアコニア」では毎朝、礼拝が行われています。デンマーク牧場のある地域は、茶畑と緑の丘に囲まれた自然豊かなところで、お茶の収穫の時期には、地域の人々はお茶を収穫する道具を抱えて大忙しです。また、お茶を収穫する車両が畑を往復するのが日常の風景となっています。車の運転中には窓を全開にして、漂うほのかなお茶の香りを楽しみました。「ディアコニア」の礼拝を行う部屋からの風景には牧場があり、たくさんの風車が回る緑のお茶畑が広がっていました。武器を農具に持ち替え、土を愛する平和な世界そのものであり、またミカ書の示す先の理想の世界のようにも感じました。
去年の今頃、冒頭の聖句を用いて「ディアコニア」での礼拝に与りました。青い空が広がる外の風景を譬えに話をしました。礼拝の後、入居されているある女性が思い出話をしてくださいました。それはその方の弟さんは無線技士の学校に通っていたそうですが、戦地に赴いたというお話でした。女性のお母様が「戦争に行かないでくれ」と弟さんを必死に止めたにも関わらず、彼は「同級生皆が志願しているのに自分だけ行かないわけにはいかないんだ!」と泣いて押し切り、17歳で海軍に志願したのでした。出征の日に家族と共に駅に着いた時、彼は列車までの見送りは断ったそうです。そして、仕立てたばかりの軍服に身を包んだ彼は改札口で満面の笑顔で敬礼をして、プラットホームへ消えて行ったのでした。 2年後、彼はボルネオ島付近の海域で深夜に攻撃を受け戦死しました。引き揚げて来た戦友の話では、彼は通信兵として最後まで司令部への打電をし続け、退艦することなく暗い海に沈んでいったそうです。
戦死の連絡に家族皆で一晩中泣いたこと、辛い気持ちを押し殺しながら戦中戦後を生きたこと、家族と畑を耕し懸命に働いたこと、神様との関わりといえば祭りを手伝うくらいだったことなどをお話しくださいました。そして「今、静かな生活の中で神様のお話を聴いて、お祈りできることが本当に幸せです」とも。
辛い経験に始まり、そして今、生かされて神様のみ言葉に触れていることを「幸せ」だとおっしゃったのでした。私は、戦争はこの地上に残された人々に深い悲しみしか残さないことを痛感しつつ、同時に神様のみ言葉が彼女に小さな平和を与えているのではないかと感じました。
ミカ書を通して語りかけられていることは、神様は私たち一人ひとりを愛しておられるからこそ、互いに愛し合うことを望まれたということです。神様は憎しみと悲しみの道具となる武器を捨て、地を耕し、神様から糧を与えられて共に生きていくことを望まれたのです。それは、私たち人間が互いに愛し合うことを忘れて争うならば、どのような悲劇が起こるのかを神様は誰よりもご存じだからです。
「もう二度と、少年が、未来ある若者が、悲しみを押し殺して笑顔で出征することがないように」、「もう二度と、国と国との争いに、愛する子どもたちが巻き込まれ、暗く冷たい海で命を落とすことがないように」、そのような神様ご自身の強い祈りが込められたものだと思います。
み言葉を宣べ伝え、神を愛し、隣人を愛していくこと。そして戦争のない世界を願い求め、「土」を愛していくことも、これからの宣教のあり方だと思うのです。
去年のカトリック教会との宗教改革500年共同記念では、平和を祈り、その象徴としてカンナの球根を分かち合いました。津田沼教会でも元気に育っていますが、そのような小さな形でも、土を愛し、平和を祈るリレーを続けていくことが大切なのではないでしょうか。同時に、一人ひとりが心の内に、神様から幸せという名の小さな平和を味わうために、神様のみ言葉を宣べ伝え続けていくことが大切なのではないでしょうか。紛争の絶えないこの世界において、多様な小さな平和の積み重ねが、やがて本当の平和となることを祈りつつ
日本福音ルーテル津田沼教会 牧師 渡辺髙伸