メルマガ795
(新約聖書/マタイによる福音書6章5-6節)
この聖句って、わたしにはなんだか耳の痛いものでした。自分の信仰がパフォーマンスになっていないか、という思いがあるからです。職場などで周りにクリスチャンの仲間がいないなかで、自分の信仰が周りにどう見えているかふと考えてしまいます。また、クリスチャンではないから理解してもらえない、と向き合うことをあきらめてしまうことさえあります。まず、何より祈ることから始めなければと思いつつ、日常に忙殺され、たまの日曜に教会に行くことが精いっぱいな日々です。
特に最近は、教会に集うことはもちろん、外出自体がはばかられる時代になりました。家にいながら礼拝に参加することも増えました。私にとって、自分自身のクリスチャンであるというアイデンティティを保つためには、教会で礼拝に集うことは欠かせないものでした。しかし、そんなことも言ってはいられない日々になり、家にいることが好きではない私にとって、なにをどうすれば日々に楽しみを見つけられるのかととても悩んでいました。
以前は、この聖句を読んで、自分への戒めのような印象を受けていましたが、“家で祈る時間を大切にしてもいい”と最近ではこの時代の信仰生活におけるアドバイスのようにも取れる気がしてきました。今こそ生きにくさを感じる人のため、一生懸命に日々を生きるみんなのために祈る時間を大切にしたいと思います。そうすれば、たまに行くことができる教会での礼拝もより恵み深いものになると信じています。
この聖句を選んだわけはもうひとつ。片づけがとっても苦手な私が、とても頑張って片づけて、初めて満足するほどきれいになった部屋で、おうち時間を過ごす時間が前より楽しくなったから。誰に褒められるわけでもないけど、部屋を整えることがこんなにも生活を豊かにすることを恥ずかしながら知りませんでした。みんなの日々にもささやかな幸せが訪れ、それに気づくように祈っています。
