メルマガ783
(旧約聖書/詩編139編11)
「太陽と月 いつもありがとう ぼくを照らしてくれて ぼくを見守ってくれて ぼくこわくない」実家に飾られている、小学校のころ私が作成した「照らしてくれて」という題の詩です。
現代では街灯がいたるところに設置され、家やお店も照明がつけられて、夜でも道を歩くことができるようになりました。それでも夜は暗いですし、暗い道は恐いです。私は街の中に住んでいますが、真っ暗な道を帰ったことがあります。おそらく雷が原因で、私の住んでいる地域一帯が停電になりました。自転車のライトが照らすのはせいぜい1メートルほどでした。それでもなんとか帰ることができたのは月明かりのおかげだったと思います。月には雲がかかっていましたが、それでも青白い光がうっすらと街を照らしていました。最寄りの駅から家までの短い道のりでしたが、光のありがたさがわかる経験でした。
しかし暗いのは夜道だけでしょうか。敵の誘惑を受け、悪役に転じてしまうことを「闇堕ち」と、また将来が見えず、不安を覚えることを「お先真っ暗」と表現します。考えてみると、どうなるかわからない未来を思い、悲しみにくれてしまったり、時には欲望に負けて悪いことをしてしまったり、私たちは暗闇の中を歩いているようです。しかし、イエス様はまことの光として、来られました。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」この光は欲望に負けてしまう私たちの罪や弱さを赦し、不安や悲しみに苛まれる私たちを照らしてくれます。ですから、日々の中で暗闇を感じた時はイエス様を思い出してみてください。教会に行ったり、聖書を開いてみたりするのも良いかもしれません。イエス様の光があなたを照らし、見守ってくれていています。だから、何も恐れることはないのです。