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「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とイエス様は言われます。わたしのもとに来て休みなさい、あなたの重荷を降ろしてもよい、とイエス様は呼びかけておられるのです。とってもラッキーなお知らせです。
でも、私は思うのです。イエス様に「休ませてあげよう」と言われて、「はいそうですかどうも」と言ってさっさと休むことができる人はどれだけいるでしょうか。私たちは休むことが苦手だと思います。この世の中を見渡してみた時、どうしてこんなに多くの人が、働きすぎて病気になって、時には死を選ぶのでしょうか。どうしてこんなに多くの人が、学校に行けない時、病気になって休んでいる時、年を取って思うように動けなくなった時、罪悪感にとらわれるのでしょうか。本当は休んでもいいのに、本当は手伝ってもらってもいいのに、「私は休みたい」「私は助けてほしい」と言えないのはどうしてでしょうか。
私たちには、私たちを苦しめているはずの重荷が、いつしか私たちそのもの、私たちの存在証明のように思えてくることがあります。私がどれだけ働いたか、どれだけ頑張ったか、が私の生きた証であるように思えてくるのです。いつも忙しく働いて、誰かの役に立っていないと、自分には生きている価値がないように思えて、必死で頑張ってしまいます。イエス様に「休ませてあげよう」と言われても、休息を拒んでしまう私たちがいるのです。
しかし聖書において、休息は聖なる行為です。神は創造のあと第七の日に、ご自分の仕事を離れて安息なさいました。そして人間にも、その日を聖別して安息するように命じられます。人が労働を離れて休み、神様のことを思い出すためです。休みは自分の抱えている様々な重荷からいったん離れて、神に心を向ける時でした。神によって造られ、神によって生かされていることを感謝する時でした。
ですから、イエス様は「わたしのもとへ来て休め」と言われます。私たちが自分の重荷、自分のプライドを離れて、神を思うためです。休息は、働いていない間の無駄な時間ではありません。神に思いを向け、神を知り、神と共に生きるための、大切な時間です。ふだん私たちは、働いている時間こそが自分の価値を高めてくれると信じています。しかし聖書はまったく逆のことを教えます。休む時、私たちは神に思いを向けることによって自分の本当の価値に気付くことができるというのです。それは私たちが神の子であり、神に愛されていて、神様と一緒に生きていることを思い出すということです。
だからこそ、イエス様は休むことに私たちを招かれているのです。体が疲れた時、心が疲れた時、ゆっくり休んで神様のことを思い出してみませんか。
《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。》
(新約聖書/マタイによる福音書11章28節)

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