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バイブルエッセイ

2016.12

「イエスがお生まれになったとき」

201612 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。        (マタイによる福音書2章1節~3節)

クリスマスページェントは、
♬ 昔ユダヤの人々は神さまからのお約束、貴い方のお生まれを嬉しく待っておりました。
 貴い方のお生まれを皆で楽しく祝おうとその日数えて待つうちに、何百年も経ちました ♬
という歌から始まることが多いと思います。

 マタイによる福音書1章では、イエス・キリストの誕生の次第を、聖霊によって宿ったこと、そして、その誕生は700年以上前から預言者イザヤによって「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7・14)と告げられていたと伝えています。私たちもユダヤの人々はメシアの誕生を待望していたと聞いています。けれどもマタイによる福音書が語るクリスマスの出来事は違うのです。

 イエスさまがお生まれになった時に、東方の占星術の学者が星に導かれてヘロデ王のいる宮殿に訪ねて来ました。そして、「ユダヤ人の王」として主イエスがお生まれになったと東方の学者たちから聞かされて、ヘロデ王だけではなく、エルサレムの人々も、喜びどころか不安を抱いたと語るのです。生まれたばかりの主イエスは、泣き声をあげるだけで、何を語ったわけでも、何をしたのでもないのです。それにもかかわらず、多くの人々に動揺を与えたのでした。
 
 ここにイエスさまの誕生を巡る2通りの人間のドラマを見ることができます。東方の占星術の学者たちと、ヘロデ王とエルサレムの人々です。
 マゴスと呼ばれる東方の占星術の学者たちとは、天文学が盛んなペルシアやメソポタミアあたりの学者であろうと言われています。ユダヤから見れば遠い国です。彼らはユダヤ人ではなく異邦人です。他宗教の学者たちです。キリストとは縁もゆかりもないその人たちが、「ユダヤの王」として生まれたキリストを礼拝するために、星の導くままに旅をしてきました。どれほどの長旅だったのかわかりません。

 しかし、分かっていることは、その旅は危険に満ち、困難の伴う命がけの長旅であったということです。驚き以外何ものでもありません。マタイによる福音書ではイエスさまを礼拝したのは、この異邦人の学者たちだけです。彼らがイエスさまを「ユダヤ人の王」と認めたということは、イエスさまもまた異邦人の王でもあるということを意味しています。彼らはメシア(キリスト)に最も近い存在となっていたと言えるでしょう。

 他方、エルサレムの人々は預言者の言葉を聞いていた人々でした。預言者の言葉を身近に聞いていたはず、知らされていたはずです。にもかかわらず、それらの言葉を受け入れることができませんでした。祭司長たち、律法学者たちはユダヤ教の指導者、代表者であったのです。彼らはヘロデに問われ、聖書からメシア(「ユダヤ人の王」)が生まれる場所がベツレヘムであることを即座に言い当てています。しかし、それだけです。自分たちで確かめようとはしませんでした。メシア(キリスト)に近い存在であったにもかかわらず、実際には最も遠く離れた存在だったと言えるでしょう。
 「あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」(エペソ人への手紙2・13/口語訳)

日本福音ルーテル高蔵寺教会牧師 中村朝美

 

 

2016.11

「イエスは涙を流された」

 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。  (ヨハネによる福音書11章33節~35節)

201611 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 今年の3月、3歳の男児が急逝しました。猛威を振るったインフルエンザによるのです。4月には天王寺教会併設の真生幼稚園に入園予定でありました。2歳上の兄が在園しており、職員一同、驚きと痛みに襲われました。職員共々、仏式での通夜に参列し、小さな小さな棺に納められた男児とお別れをすべく、その亡骸の傍らに佇んだ時、もはや涙をこらえることはできませんでした。なぜなら、棺の彼は、入園式のために用意された晴れ着であろう、ブレザーと蝶ネクタイを身にまとい、頭には園の制帽を被っていたからです。
 翌朝早く、霊安室を訪ねると、父親が棺に寄り添っていました。夫婦交代で寝ずの番をしていたものの、途中から妻は起き上がれなかったとのこと。告別式に参列できないので祈りに来たことを伝えると、父親は、「祈りだけでなく、説教をしてください」と求めたのです。今ですか?と聞き返すと、「今ここでです!」と言う。そこで、聖書の死生観と救いを語り、神の御手に委ねる祈りを捧げました。
 しかし、何ということか! さらに悲しみは覆い被さります。幼子の死からひと月も経たぬうちに父親が逝去したのです。訃報を聞いた時、まさか子の死を嘆いてかと不安を拭えませんでしたが、病身ゆえの死でありました。
 母親は子の死から50日後、遺骨を教会に納めました。その後、求道を始め、降誕祭には長男との受洗を望んでいます。人が隣人に慰めの言葉を持たぬ時、ただ寄り添うことのみ残されます。しかし主は、なお御言葉をもって福音を語り、救いを約束してくださいます。

 ラザロの死に際して、イエス様は涙を流されました。この涙のわけを聖書は語らず、秘められています。だからと言って、イエス様はラザロの死に間に合わなかったから涙を流されたのだという、聖霊が関わらず、祈りも無き想像は退けられるべきです。
 死者が復活するという出来事でありながら、このことはヨハネによる福音書だけが伝えます。ラザロはマルタとマリア姉妹の兄弟です。この姉妹については、ルカによる福音書10章が伝えるところの、「働き者のマルタと信仰深いマリア」という評判が知られますが、ヨハネが伝える姉妹の様子は、また別の印象です。姉妹はイエス様にラザロが重篤であることを伝え、癒しを求めますが、主の到着は墓に葬ってから4日後でした。
 まずマルタが出迎え、イエス様と復活について問答し、最後に、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」との告白に至ります。遅れてマリアも迎えますが、主の足元にただただ泣き崩れるばかりでした。イエス様は、マリアと一同が泣いているのを見て心に憤りを覚え、そして、涙を流されます。
 イエス様の憤りは、何に対するものであったのか。涙のわけがここにあります。イエス様は、ラザロが病気であると伝えられた時、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と語られています。そして、死が公然と人々の希望を中断し、ラザロの人生を終わらせようとするのを見て、死の領分をわきまえない暴挙に憤られたのではないか、と受け取ります。
 キリストの教会は、葬儀の務めを神より託されています。この務めは、キリスト者として召された者が天国へと迎えられたことを宣言することではないとわきまえます。また、死によって人生を中断された者を喪った悲しみへの慰めに終わるものでもないと心得ます。キリストの十字架が神の栄光であるごとく、復活の望みにおいて、人の死も神の栄光を証しするものであることを伝えたい。
 望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。 アーメン。

 日本福音ルーテル天王寺教会牧師、喜望の家責任者 永吉秀人

 

2016.10

「それでも赦しを語る」

 ぶどう園の主人は言った。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。」(ルカによる福音書20章13節)

201610ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出ました。収穫の時期になり、主人は収穫を受け取るために僕を送りますが、僕は袋だたきにされ、追い返されてしまいます。二人目の僕も、三人目の僕も同じでした。それで主人は愛する息子を送るのですが、農夫たちはぶどう園を自分たちのものにしようと考え、跡取りである主人の息子を殺してしまったというのです。

 最初の僕が袋だたきにされた時点で主人は、農夫たちが信用できる相手ではないと分かったはずです。それなのになぜ主人は、農夫たちにぶどう園を預けたままにし、彼らを信じて僕を送り続けたのでしょうか。私たちは、信用できない人、それも既に裏切られたというような人に再び何かを頼もうとはしないでしょう。
 主人に人を見る目がなかったということではありません。この主人は、信用できない者であっても信じ続ける、裏切られても相手を信じて待ち続ける人だったのです。

 ぶどう園は神様と神の民の関係を表しています。ぶどう園の主人は神様、農夫たちは民の指導者たちであり、また神の民のことです。人々は神様から任されたこの世界で自分勝手に罪を犯して暮らしていたので、神様は人々が悔い改めるように何人もの預言者を遣わしたのですが、人々は預言者を退け続けたのです。

 それで神様は「わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう」と独り子であるイエス様をこの世界に送られたのです。人々が信用に足る者たちではないとよく分かっていても、それでも神様は人々を信じ続けてくださったということです。

 たとえでは、主人が「戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」となっています。それでは実際のその続きはどうだったのでしょう。聖書は、イエス様を殺してしまった者たちも、すべての罪に生きる者が、神様の許に立ち返り、罪の赦しを受け取るように招かれていると私たちに告げています。そして、私たちは神様の前に繰り返し罪を犯し、神様を裏切り続けている人々の中に自分自身の姿を見いださなければなりません。信用できない者たちを信じ続け、徹底して赦しを与え続けようとされている神の愛にもう一度心を向けなければならないと思うのです。

 宗教改革から500年を迎えようとしています。私たちの在り方をもう一度見直し、恵みを確かめる時です。私たちルーテル教会がこれまでこだわり続けてきたこと、これからもこだわり続けていかなければならないことは、赦しを語り続けることだと、私は思っています。

 自分の罪に気づき、十字架の赦しを受け取った者であっても再び罪を犯します。その度に私たちは何度でも赦しの言葉を聞くのです。十字架の赦しを伝える務めは、牧師だけにではなく、教会に連なるすべての信徒にも与えられています。

 赦しの言葉を語り続けるところに留まるのではなく、赦された者が成長するための言葉に、語る言葉の重心を移していくべきだという考えもあるでしょう。赦された者として成長していくことは、もちろん大切なことです。しかし、信仰者としての成長の妨げになるから赦しを語ることはもう卒業しようとは考えないのがルーテル教会だと思うのです。

 赦しを語り続けることによって、私たちの中に甘えが生じてしまう危険があることも事実です。そのことは素直に認め、そうならないように気をつけていかなければなりません。けれども、だから赦しを語ることは少し控えようとはならないのです。それでも「あなたは赦される」と繰り返して語り続けるのがルーテル教会です。十字架の赦しを語り続けることが何よりも大切だからです。ただ神様の恵みにより、十字架をとおして私たちの罪は赦されるのです。私たちは赦しの言葉に「はい」とうなずくだけでよいのです。

 何度でも赦しに立ち返り、感謝と喜びに満たされ赦しの言葉を携えて神様から遣わされていきたいと思います。

日本福音ルーテルみのり教会 牧師 三浦知夫

 

2016.09

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

201609主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)

 詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。

 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。

 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。

 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。

 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです

日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

 

2016.08

「傷ついた癒し人」

201608 71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。

 平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。

 そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。

 イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。

 この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。

 それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
 礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。
 日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦

 

2016.07

「エンキリディオン・必携」

201607「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

 宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。

 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。

 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。

 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。

 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。

 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。

 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。

 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32

日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

 

2016.06

「信仰における耐震構造」

201606「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。(ルカによる福音書6・46〜49)

 イエス様は信仰を建築に例えています。特に49節は深く考えさせられる言葉です。「聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった」と。

 この例えからは、イエス様という岩に信仰の家の土台を置くなら、たとえ洪水のような意外な挫折をも乗り越えられると教えられます。それは誰もが理解できる教えだと思います。要するに、土台の重要性が当然だということです。

 ところで、私は熊本地震を体験して、信仰における挫折を洪水ではなく、地震と繋げて考えてみました。4月14日から、大きな地震が2回起こりました。特に2回目の本震がとても怖かったのです。夜中に激しい揺れが10分間以上続いたからです。さて翌々日、勤務先に行くと、被災は家より酷かったのです。本棚が重ねて倒れており、本は山のように散乱し、ドアも開けられないほどでした。学内の噂では、私の部屋の被災状態はワーストスリーに入っていました。もしこの地震の発生が昼だったら、私はこの危険な場所にいた可能性が高くなり、命を失ったかもしれません。夜の被災は私にとっては命拾いとなりました。

 その後、学内で復旧対策を相談する時、ある先生がこう言いました。「建物の耐震構造には二つのタイプがあります。一つは揺れないタイプですが、もう一つは揺れるタイプです。5棟の建物の内1棟はその揺れるタイプです。ですから、地震の時、揺れることは必ず悪いことではないことを覚えて欲しいのです」と。私はこの言葉を聞いて、建物によっては揺れても、建物を倒さない許容範囲の揺れであるのだと初めて分かりました。確かに、この二つのタイプはいずれも、建物が地震に耐える目的です。でも揺れると、その中にいる者に不安が増えるのも確かなことでしょう。

 ところで、私は牧師であるせいか、すぐそれを信仰に繋げて考えました。「信仰上でも、耐震構造と似たような二つの反応があるのではないか?」と。

 一つは揺るがない信仰です。試練に遭っても、動揺しない反応です。それは一番理想的ですが、現実の生活の中ではなかなか難しいことでしょう。
 

もう一つは挫折によって揺れる反応です。試練に遭って、土台と一緒に揺れますが倒れません。つまりしばしば挫折に遭って信仰が動揺しますが、結果としては信仰を続けている状態です。過去を振り返ると、私も多くの場合その範疇に入っていたようです。揺るがない反応はもちろんイエス様がくださる強さです。しかし一方、揺らぐ反応もイエス様に許されている反応ではないでしょうか。例えば、ペトロの信仰にそういうものが見られます。

 一つ挙げれば、3回「イエス様を知らない」と言い切ったことは取り返しのつかない裏切りです。しかしイエス様はあらかじめ彼にそれを知らせていました。しかも引き続きこう言っていました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32)と。言い換えれば、イエス様はペトロの裏切りを事前に知った上で、容認したのです。しかもただの容認ではなく、ペトロがそれを乗り越えて、立ち直ることすら期待し、更に先を見据えていました。つまり弱さを乗り越えて、聖霊によって大胆に伝道していく強いペトロの姿を、です。

 ですから、この御言葉を聞く時、私たちはまず神様の先行した恵みに目を留めましょう。自分の信仰の揺らぎや弱さを嘆くより、むしろそれは既に神様に容認され、支えられていることなのだ、と。そして感謝しましょう。その揺らぎや弱さを経てこそ、他者に届くことのできる器とされているのです。このイエス様に信仰の土台を据え、主の僕として仕える歩みを新たにしましょう。

九州ルーテル学院大学チャプレン 黄 大衛

 


2016.05

「『いのち』を与える聖霊」

ペンテコステ

イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』 ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』 イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」(ヨハネによる福音書3・3〜6)

 聖霊降臨の期節です。今日は、私たちの救いのために必要不可欠な聖霊のお働きについて、ご一緒に見て参りましょう。 イエス様は言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」

 ここでの「霊」は「聖霊」のことを意味しています。ですからイエス様の言葉によれば、《私たちは、聖霊によって新しく生まれるのでなければ、神の国に入ることができない》、ということです。

 今、「霊から生まれたものは霊である」という言葉に注目してみましょう。聖霊は三位一体における第三位格の神であられます。ですからこの言葉は、「神から生まれたものは神である」とも言い換えることができます。人間から生まれたものは人間です。しかし、神から生まれたものは神です。それでは、もしも私たちが、聖霊なる神によって新しく生まれるならば、その時私たちは、人間なのか?神なのか? その答えは、聖書に求めることができます。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1・12〜13)

 つまり、私たちが聖霊によって新しく生まれること、そのことは、《神の子となる資格を与えられること》を意味しているのです。私たちは普段、当たり前のように「父なる神様」とお呼びします。しかし、実はそれは、自分自身を「神の子」とするに他ならない行為であって、もしも時代が時代なら、死罪に当たる冒とくの罪です。イエス様ご自身、「神の子と自称した」(ヨハネ19・7)という罪で訴えられている通りです。しかし私たちは、聖霊によって新しく生まれているがゆえに、「アッバ、父よ」と呼びかけることができるのです。 パウロもまた、次のように証ししています。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ローマ8・15〜16)

 聖霊を受けるということは、また、水を飲むことにも似ています。聖書に次のように書いてある通りです。(ヨハネ7・37〜39)「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。」
また、イエス様が与える水(聖霊)を飲むなら、そこから永遠の命が生まれて来ます。次のようにイエス様が言われている通りです。「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4・14)

 こうして私たちは、聖霊によって新しく生まれることにより、私たちの内に新しい《いのち》を宿すことになるのです。それをこそ、《永遠の命》と言うのです。このことは、私たちがいつも信仰告白しているニケア信条でも言われています。「主であって、いのちを与える聖霊をわたしは信じます。」その通りです。聖霊によって私たちは、《いのち》が与えられるのです。この《いのち》は、神によって生まれさせられた《いのち》であって、この《いのち》があるからこそ、私たちは神の子と認められ、神の国に入ることができるのです。

 どうか主が、この聖霊降臨の期節に、聖霊についての知識を少しでも私たちの内で増し加え、信仰を強め、豊かにしてくださいますように。

日本福音ルーテル知多教会牧師 花城裕一朗

2016.04

「イエスは傍らに」

201604ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカによる福音書24・13〜15、28〜35)

イエスさまの復活後、それを信じることのできない二人の弟子がエマオの村へ向かって歩いています。   
 彼らはもともと、救い主イエスさまに「イスラエルを解放してくださる」と期待していましたが、その期待は見事に外れ、ご自身は十字架であっけなく死んでしまい、その上、葬ったはずの墓にも見当たらなかったというのです。

 この時の二人のことを想像するに、「これまで信じてきた物が失われてしまい、これから一体何を信じて生きて行けばいいのだろうか」と深い失望と戸惑いの中にあったに違いありません。

 とはいえ、この弟子たちは、あらかじめ知らされていた復活を信じられないので す か ら、不信仰者といえば、そういえるのかもしれません。しかし、神さまの慰めは人間のありようを超えてもたらされます。今日の箇所でも、イエスさまはこの弟子たちの傍らに共に歩み、ご自分について聖書全体にわたり説明をされました。それによって二人の弟子は「心が燃えていた」のです。

 わたし自身、かつて献身する以前に、自らの力ではどうにも抗うことの出来ない重荷を背負う中で、そこから何とか脱しようともがいていた時、いくらもがいても出口が見えることはありませんでした。むしろ、もがくほどかえって不安は増幅し、深みにはまっていく感覚にすら陥りました。

 けれどもそのような時に光となったのは、いくつかの聖書の言葉でした。といっても、わたしに揺るぎない信仰があった、と胸を張るほどの自信があるわけはありません。むしろ、弟子たちと同じように、完全な信仰など持ち合わせてはいなかったのです。ですから、聖書の言葉は救いを確信させる言葉というよりも、あくまで手の届かないところにある小さな希望でした。例えて言うならば、トンネルの暗闇の中で遠くに見える小さい光のようなものにすぎなかったかもしれません。

 けれどもその光があることこそが、沈んだ心を湧き立たせ、トンネルの中を歩む力となりました。状況は何も変わりませんが、光があることの大切さと、その光を見つめることの恵みを思いました。

 後になってそのことを思い返したとき、今日の二人の弟子と自分自身が重なる思いがしました。復活のイエスさまが二人の弟子の傍らに伴って聖書を説明したように、あの時、わたしの傍らにも伴って、聖書の言葉を通し

て希望を見せようと働きかけておられたのでしょう。
 イエスさまはその後、弟子たちに(あの「過越の食事」を思い出させるように)パンを裂いて渡されると、「二人の目が開け、イエスだと分かった」というのです。復活の主をはっきりと認識し、受け止めたのです。

 イエスさまが十字架の死から復活された、という出来事は、自らの力でどうしようもない失望の中にある弟子たちに、新しい希望の光が現された出来事です。

 イエスさまという方は、「お先真っ暗だ」と失望し何の希望を見出せないでいた弟子たちの傍らでこそ共に歩み、ご自身を現されました。ご自身は決して死んで滅びたのではなくて、そこから甦って永遠の命を生きるのだと示されました。それによって、弟子たちに希望を取り戻させたのです。この復活の主との出会いは彼らにとって、この上ない大きな慰めであり、喜びであったに違いありません。
日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会 牧師 池谷考史

 

 

2016.03

「忘れていた祈り」


201603  天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」
 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカによる福音書1・13、18〜20)

 この頃、私はしきりに、定年で退職されたある2人の牧師の言葉を思い起こします。1人は私が牧師になって3年目のこと、退職され、遠い地方にいる息子さんのところへ身を寄せて行かれました。退職後、程なくしてお手紙をいただきました。手紙には「こんなに遠く離れたところに来てしまいました。暗闇のトンネルの中に入ってしまいました。」と記されていました。2人目は一緒に働いた宣教師の方です。やはり定年でアメリカに帰られ、その年の暮れにいただいたクリスマスカードのメッセージは「アメリカの教会では今クリスマスのいろいろな催しで、みんな楽しそうに過ごしています。しかし、ここでは私は傍観者に過ぎません。」というものでした。
 このお2人のお手紙を読んだ時に、まるで、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を読んだ時のような、胸を突かれる思いを持ちました。と同時に現役を退く際の試練と課題の大きさに圧倒されて、何と返答すればよいか分からず、言葉に詰まってしまいました。そして、そのことがあって以来、時折、自分が高齢になった時にどうしていくかを少しずつ考え、積み重ねていくように心がけてきました。

 「あなたの願いは聞き入れられた」(ルカ1・13)と天使に告げられた1人の老人を思い起こします。エルサレム神殿の聖所で香をたき、祈りを捧げるという大事な務めを果たしていたザカリアに天使の声が響いてきます。その願いとは、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む、その子をヨハネと名付けなさい」(同)というものです。ザカリアはこの突然の告知に驚いて
「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」(同1・18)と応えています。このザカリアの驚きと、信じられないという思いは、当然のことと思われます。しかし、天使はこのザカリアの応答を不信仰として、子が生まれるまで「話すことができなくなる」と告げたのです。そして事実そのようになります。
 ザカリアが神殿で祈っていたことは、後にシメオンについて「イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた」(ルカ2・25)、つまりイスラエルが救われることを待ち望んでいたと言われているように、当然ザカリアもそのことを祈りつつ神殿での務めを果たしていたということでしょう。それに対する神さまの答えが「その願いは年老いたザカリアの家にやがて生まれる子の働きを通して達成されるのだ」ということでした。
 
 ザカリアにしてみれば、神がイスラエルの救いをもたらしてくださるのは喜ばしいことではありますけれども、年老いた自分たち夫婦に子が与えられることを通して起こるなどということが、どうして信じられましょうか。それがその時のザカリアの心にあったことだったと思います。そして、その結果ザカリアは沈黙を強いられることになります。けれども、この沈黙が今までのザカリアの生き方を見直すきっかけとなっていきます。

 子どもが与えられること、それは、ザカリア夫妻が若い頃に願っていた個人的な心からの祈りであったかもしれません。年老いた今では、すっかり忘れてしまった、今では全くあきらめてしまっていたことではなかったかと思います。

 聖書を読んでいきますと、至るところで不思議な言葉に出会います。たとえば「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え」(創世記50・20)、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8・28)などです。
 ここに来て神のご計画について考えさせられます。「万事が益となる」ということは最悪のことからも善が引き出される、どんなに悲劇的な状況も、神はそれを創造的な業に展開する力があるということを言っているのです。
 
 退職という人生の転機を神はどのように導いてくださろうとしているのか、思いを巡らせます。主が示してくださる道をなお信頼して。

日本福音ルーテル飯田教会 牧師 大宮陸孝


2016.02

「大きな淵を越える」

201602 

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』

 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」(ルカによる福音書16・19〜31)



 今から40年以上前のことだが、わたしは1冊の小説を読んでいた。ギリシャの作家・詩人であるニコス・カザンツァキスが書き、英語に翻訳されていた『キリストの最後の試練』(The Last Temptation of Christ)という小説である。かなり分厚いペーパーバックだったが、物語に引き込まれて 一 気に読んだ。きわどい描写がいくつもあって、カザンツァキスがギリシャ正教会を破門されたのも理解できるような気がしたのだが、その中に忘れられない 一 場面があって、その場面に押されるようにして神学校の願書を取り寄せた。

 それは、イエスが「金持ちとラザロ」の話を弟子たちにしている場面であった。イエスは弟子たちの前でこの話をしているのだが、「アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう』」とこの話を締めくくった。それが締めくくりだと弟子たちは思ったし、そこで語られている警告も理解することができたと弟子たちは思っていた。
 ところがイエスは、この話にはまだ続きがあるのだという雰囲気で、弟子たちを見回し、イエスの目がフィリポに注がれる。そしてイエスはこう言う。「フィリポ、フィリポ、お前がラザロだ。お前がラザロならさあどうする」。フィリポは動転し、どう言っていいのか分からずにドギマギするばかりだ。すると、イエスはさらに「どうしたフィリポ、どうしたんだ。お前がラザロだ。お前がラザロなら、さあどうする」とフィリポに迫る。

 イエスに迫られたフィリポは蚊の鳴くような声で、「主よ、もしわたしがラザロなら、陰府にまで降りていって、指先を水に浸し、あの方の舌を冷やしてやりたいと思います」と語り、更に「わたしも食卓から落ちたあの方のパン屑をいただきましたから」と続ける。すると、それを聞いたイエスは満面の笑みを浮かべ、「よく言ったフィリポ。よく言った。お前は神の国から遠くない。アブラハムにはできないが、神におできにならないことはない」と答える。あの金持ちにも救いの道が開かれた。ラザロはイエスその人なのだ。

 わたしはこの小説のこの場面にいい知れない衝撃を受けた。そして、これこそ「福音」だと思った。わたしはいつしか泣き出していた。「言は肉となり、わたしたちの間に宿った」(ヨハネ1・14)というヨハネの証しは、このことなのだと思った。イエスは、神の世界と人間の世界の間の「越えることのできない大きな淵」を越えて来てくださったのだ。ラザロはイエスだ。

 アブラハムの言葉は「最後通牒」のように響く。物語そのものもそこで終わっている。しかし、他のたとえ話と違ってこのたとえ話は異例だ。神が王とか主人の姿で現れて語る他のたとえ話と違って、最初から最後まで、語るのはアブラハムという 一 人物である。登場人物がこのように具体的に特定されるたとえ話は、多分、これだけだ。つまり、この物語には神が出てきていないのだ。何らかの意味でアブラハムが神の代理のような役をしていて、それこそ「最後通牒」のように響くアブラハムの言葉も、言ってみれば「最後から 一 歩手前の神の言葉」(スイスの神学者カール・バルト)なのだ。「最後から 一 歩手前の神の言葉」、それは「律法」だ。このたとえ話は、「神の最後の言葉」(福音)が語られる余地を残した話なのだ。わたしはそう思った。福音の神髄に少しだけ触れた気がした。

 それから40数年、いつの間にか定年退職の時期になった。病弱だったから長生きでないと思い込んでいたが、いつの間にか主イエスの没年(30代前半)を越え、ボンフッファーの没年(39歳)を越え、愛するトマス・アクィナスの没年(49歳)を越え、ルターの没年(62歳)さえ越えた。この間、わたしなりに「福音とは何かの説明」を語る機会を与えてくださった日本福音ルーテル教会には、いい知れない感謝の思いを持っている。
感謝!

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校 鈴木 浩 牧師


2016.01

「師二人」

201601「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙4章5~6節)

 私は2人の師に出会ったことを感謝しています。1人は主イエス・キリスト、もう1人はH医師です。
 幼いころから病弱であった私は、よく病院に通いました。今のように自家用車があるわけでもなく、バスがあったわけでもありません。容体が悪くなれば、子どもの足で小1時間かけて歩きます。途中にお店や休憩する所もありません。家に戻ると容体が悪くなってもおかしくありません。

 牧師になり帰省した折に、H医師をお尋ねしました。すでに引退しておられましたが、名前を覚えていてくださり、ご自宅に招いてくださいました。そして帰り際に菓子折りをくださいました。それを見ていた看護師がそっとつぶやきました。「先生に菓子折りを持ってくる患者さんはようけいおらすばってん、先生から菓子折りをもらったのはあんただけばい」。それほどいつも病院に通っていたということかもしれません。

 病院に着くとH医師は真っ白な診察台に寝かせ、手でお腹を触ります。真っ白で、冷たく、私のお腹より大きいと思われる手でした。この手が触ると病気が治るんだ、幼い私はそのように思いました。それが終わると、私の腕より大きな注射器が待っていました。「坊やは豪傑ばい」。ただ痛さを我慢しただけなのに、H医師はいつもこう言ってほめてくださいました。

 後に、私は教会に導かれました。 そして聖書にも同じようなことがあることを知りました。イエスさまのお弟子は、人々に手を当てて癒しを祈ります。イエスさまは子どもたちに手を置いてこう言われます。「天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19・14)

 教会に導かれてH医師の存在の大きさが分かりました。単に肉体の病を治してくださっただけではない。私が救われるために治してくださったのだ。バプテスマのヨハネのように、H医師も語っておられるように思えたのです。「あの方を見なさい。そのために私は病気を治しているんだよ」。

 先に触れた帰省の折り、H医師はこうも言われました。「今なんばしおっと(どのような仕事をしていますか)」。「教会で牧師ばしおっです(牧師をしています)」。「よか仕事ったい。がんばらんばばい(良い仕事だからがんばりなさい)」。

 H医師が教会や牧師についてどのような理解をもっておられたかは定かではありません。でも、私はうれしかったのです。幼い私がこの病院に導かれたのは、体も心も元気になり、神さまの御用をするためであった、そう確信したからです。

 今は分裂の時代です。神のみ国とこの世が引き裂かれ、生と死が、人と自然が、そして体と心が引き裂かれています。そこに本当の平安はありません。
 

すべては主にあってひとつ、そのために働くことは教会の大切な務めではないでしょうか。聖書もそのことを示しています。イエスさまが十字架に死なれた時、神殿の幕は真っ二つに裂けました。天地を隔てていたものは取り除かれ、天の恵みが地に降り注いだのです。そしてクリスマスの日、天使は歌います。天には栄光、地に平和。
 これまで日本福音ルーテル教会でご奉仕させていただいたことを心から感謝し、誇りに思います。教会のお働きの上に、主のお導きと平安を祈ります。アーメン。

日本福音ルーテル横浜教会、横須賀教会 牧師 東 和春

 

 

 

 

 

 

 

 

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